46.信頼
「……なるほど」
想は携帯をしまった後、感情を押し殺すように呟いた。そして、息を吸う。
「残念ですが、今回は諦める以外の選択肢がないようですね」
やけに大きな独り言だった。椿や詠の耳にも届くほどに。椿たちにとっては、増援が合流し、反撃が始めるかと思いきや、逆に撤退宣言のようなものが聞こえてきたということになる。どのような連絡を受け取ったかはわからないが、灰音たちの方で動きがあったと考えるべきなのだろうか。
「ということで、またお会いしましょう」
想は十月神社を離れようとする素振りを見せる。もちろん、直霊は逃がすわけにいかない。しかし、それは想にも重々承知のことである。
次の瞬間、爆発音が轟いた。場所は裏門の方だろうか。本殿付近から裏門は視認できないので、状況はわからないが、音で察することもできるだろう。
「私たちを追跡するのも、また一つの選択。しかし、わざわざ人が集まる期間に襲撃した意味を考えるのも、良いかもしれませんね」
想の言葉によって、思考に迷いが生じた。その時点で、遅れを取ってしまったとも言うべきだろう。気づいたら、想は仮面の人物を連れて、垣を越えるように逃走していた。薫も戦場を離脱し、想たちの後に続く。
また、詠の足は無意識的に裏門の方に動いていた。参拝客や神社の皆の安否を確認せずにはいられなかったのだろう。一方、椿の足は止まっていた。誰を追いかけるべきか迷ってしまったのだ。しかし、冷静な者もいた。
「あの子は私と紫苑が追いかける。椿は灰音たちの方に戻るべきだ」
七瀬が椿に指示を出した。七瀬は敵を追跡するべきではないと考えていた。なぜなら、不自然な撤退だったからである。それが意味するのは、相手を誘き寄せる罠。爆発音で人員を分散させ、追跡者を逆に袋叩きにする作戦などを警戒したのだろう。そして、確実なのは、椿を灰音たちの方に戻すこと。七瀬は皆の安全を優先した判断をしたのだ。
「……了解です」
返事をした後、椿は参道の方へ駆けていく。七瀬も紫苑を連れて、裏門の方に向かっていった。
その後、想たちは直霊との物理的な距離を稼ぐため、ひとまず十月神社から遠ざかるように走っていた。
「それにしても、想は息を吐くように噓を言うよね」
道中、薫が想に話しかけた。
「欺騙こそ、敵と会話する主な理由ではないでしょうか?」
「うーん。言われてみれば、そうかも」
薫は頷くような仕草を見せる。
「ちなみに、これからの指示は何かある?」
「薫さんは先に雫さんの方へ向かってください。私たちは琥珀さんを拾いに行きます」
「わかった」
直後、二手に分かれるように、薫は想たちから離れていった。
「それで、術が解除されたことについて、どうお考えですか?」
二人になった後、想が仮面の人物に質問をした。
「……最初に言っておくと、私が解除したわけじゃない。というか、そもそも不可能」
仮面の人物が口を開いた。声からして、若い女性といったところだろう。
「別にそこは疑っていないです」
「……そう。でも、正直なところ、私にも理解不能。無効されることはあっても、解除されたことは皆無」
「なるほど。結局、謎ですか……」
想は少し溜息を零す。
「後、確認ですが、あなたの術はあの剣士にも通用するのですよね?」
「……それは保証する」
仮面の人物は、確かな返事をした。
「今回は、私の頑張りが足りなかったと。しかし、あの剣士を術中に嵌めるのは困難を極めると思いますね」
「……無効されないだけでも、良い方」
「操作術などは基本的に全無効でしたっけ? にわかには信じられないですが」
膨大な記憶の中でも、二つとない話である。
「……私の情報が虚偽と言いたい?」
「疑心も重要です。実際、話と違う部分があるではないですか」
「……どこ?」
仮面をしているので、表情はわからないが、険しい声色である。
「あなたの話では、二刀流の剣士の他に、鬼火の術者が必ず戦場に姿を見せるということでしたよね? その鬼火とやら、未だに顕現していませんが?」
「……それは私も不思議。直霊の中でも頭一つ抜けた戦闘力があるのが、その二人なのは事実」
「姿を見せない理由があると?」
例えば、既にこの世を去ったなどの理由が考えられる。
「……推測は無意味。とにかく、鬼火が視界に入ったら、離れるのが良い」
「尻尾を巻いて逃げるしかないとは……」
「……鬼火を物理的にどうにもできない以上、仕方ない」
そして、想と仮面の人物の会話が続く中で、背後に映る十月神社の建造物も、景色から消えていくのだった。
時は遡り、参道付近では、屍を破壊してしまった後、伊蝶がいる場所まで一度戻る凜の姿があった。
「……伊蝶、すまない」
「別に気にしないで。人形はまた用意できるから。でも、これで負けたら許さないよ?」
謝る凜に対して、伊蝶は言葉を返した。
「私の敗北が想像できるのか?」
「いや、全然」
凜の質問に、伊蝶は首を横に振った。
「ならば、伊蝶はここで見ていると良い」
「元から、そのつもりだよ」
ちなみに、見ているだけであれば、伊蝶はわざわざ敵の前に顔を出す必要はない。しかし、伊蝶が避けたいのは、一人で隠れているところを発見、撃破されること。それよりも、凜の力をいつでも借りることができる位置にいるのが、無難であるだろう。つまり、伊蝶にとって最も安全な区域が凜の周囲。それは、凜の周囲が敵にとって最も危険な区域であることを意味している。
一方、高火力を誇る凜に対して、灰音たちは策を練っていた。
「千里さん、例のやつはもう見せました?」
「いや、残している」
灰音の質問に、千里が即座に答えた。
「私と焔が隙を作ります。後はお願いしても良いですか?」
「任せろ。必ず、仕留める」
確固たる言葉に、灰音の信頼も揺らぐことはなかった。そして、次に灰音は焔の方へ顔を向ける。
「焔、複雑な指示はしない。ただ一つだけ、私を信じて」
「はい!」
それは、わざわざ言葉にする必要がないものだったかもしれない。




