45.記憶
椿と詠が会話をしている間、想はこれからの戦略を考えていた。正直、椿と詠の二人が相手では、勝算は少ない。他の人員を招集するのが、無難だろう。しかし、伊蝶たちの戦況はわからない。
思うように頭が回らない。それは、詠の復活というイレギュラーによる動揺も影響していた。詠は戦闘不能であるという前提条件が覆されてしまったとも言うべきだろう。振り出しに戻されたような気分である。
そして、混迷の時間も早くに終わりを迎えてしまう。気づいたときには、椿と詠が二手に分かれて、接近しているのが視界に入っていた。挟撃を狙っていると考えて、間違いないだろう。椿と詠の攻撃、両方を受けることはできない。よって、取る選択肢は回避のみ。
しかし、その思考も筒抜けであった。回避方向を先読みするかのように、詠は和傘を投げる。それを想がアタッシュケースで弾く隙に、椿が至近距離まで接近。椿はアタッシュケースを持つ手を落とすように、斬撃を放つ。想も手を引っ込めることで間一髪避けたが、その際にアタッシュケースから手を離すことになってしまった。それこそ、椿の狙いだったのだろう。
アタッシュケースが砂利に衝突する音が鳴った。それは想が盾を失ってしまったことを意味している。椿の刀を受ける手段がない。二刀が織り成す連撃を全て回避することも確実に不可能である。一瞬の内に、想は追い詰められてしまった。
この状況では、想も撤退一択である。アタッシュケースの中にあるライフルを回収されてしまうが、背に腹は代えられない。しかし、戦場を離脱し、薫の招集のために声を発しようとする前に、椿が目の前まで迫っていた。それほどまでに、速度差があったと言うべきだろう。
もう避けることはできない。だが、諦めるわけもない。多少の犠牲を払って、逃げることは不可能ではない。想はそう自分に言い聞かせるように、覚悟を決めた。そして、椿の攻撃が想に届こうとする瞬間だった。
「椿さん、左!」
詠の声が、椿の耳に届いた。直後、椿の視界の左端に人影が映る。自分の方へ突進するように近づく様子から、敵の増援と考えて間違いない。更に、手には薙刀を持っているのも見えた。当然、無視することはできない。
結果的に、椿は攻撃よりも防御を優先した。自分に向かって振り下ろされる薙刀を、同じく刃で受け止める。その瞬間に椿は確信した。この敵も相当な手練れである。
ちなみに、敵は仮面を装着しているので、顔は視認できないようだった。外見情報としては、髪色が白である程度しかわからない。
「邪魔する奴は斬るぞ?」
「……」
椿が話しかけても、特に反応はない。無言を貫いているようだ。
「……ん?」
付近で戦闘中の七瀬も、敵の突然な増援に反応したのか、椿たちの方を一瞥した。
「余所見は駄目だよ」
その言葉の後、薫は七瀬に急接近し、テーザー銃を蹴り飛ばす。だが、その隙に薫を踏みつけるかの如く、紫苑が空から迫る。とはいえ、薫も紫苑の攻撃を腕で受け止めた。
「あはは、軽いね……!」
薫は押し返すように、紫苑の体を腕で振り払う。薫にはまだ余裕があるように見える。しかし、霊魂術の準備ができるほどの実力差ではないのも事実だった。
一方、仮面の人物が椿を抑えている間に、想はアタッシュケースを拾いに向かっていた。詠も弾き飛ばされた和傘を回収し、想の前に立ち塞がる。しかし、重りを手放した想は軽快さを増していた。
和傘の横降りに対し、想は宙を舞うように回避した後、その勢いのまま、詠の頭部目掛けて飛びつく姿勢を見せる。詠は屈むことで何とか避けたが、反応が遅れていたら、両足で首を絞められることで、気絶どころか絶命にまで至っていた可能性もあるだろう。
忘れてはいけないのが、想は詠の殺害を狙っているということ。そして、想にとって、素手であっても人を殺すことは容易である。普段は銃を使用しているが、想の真価が発揮されるのは、むしろ格闘戦。もちろん、想が何か格闘技を習っているというわけではない。
四条家の霊魂術である屍索累誄の強みとして、非陳述記憶である手続き記憶を奪うことができる点がある。つまり、知識や思い出だけでなく、身体が覚えている記憶も奪うことができるのだ。例を一つ挙げると、バイオリン奏者の記憶を奪えば、想はバイオリンを弾くことができるようになる。
もちろん、これは技術だけを奪うことには注意が必要である。例えば、短距離走選手の記憶を奪っても、フォームなどを模倣できるだけで、同じタイムで走ることができるわけではない。筋力などの物理的な要因が関わるからだ。このため、腕力があるわけではない想は、ボクシングなどよりも合気道や柔道を得意としている。
想の格闘技術の高さは、詠にも伝わっていただろう。だからこそ、想が再び詠に接近したとき、詠は想の技を警戒してしまった。しかし、想は詠が受身になったのを確認し、今度は詠の横を素通り。そのままアタッシュケースの回収に成功。殺意による威嚇で、詠に防御を強制させたと言うべきだろう。
これで、状況は五分に戻る。その後、椿は一度詠に合流する判断を取る。もう詠を一人にはしないということなのだろう。対する想も仮面の人物と合流し、態勢を立て直す。
「私を助けてくれるとは意外ですね」
「……」
「わかっていますよ、神器のためということは」
仮面の人物が声を発さないので、想が一方的に会話しているように見えた。
「さて、隠し札を出したからには、勝ちましょうか」
想の言葉に、仮面の人物が無言で頷く。しかし、次の瞬間、想の携帯が連絡を受け取ったことによって振動する。その連絡の内容を確認したとき、想たちが取るべき行動は一つに定まった。




