34.先手
翌日、灰音たちは目前に迫る神在大祭に向けて、最終確認をしていた。
「……いよいよ明日からですね」
「うん、行事自体は今日の夜から始まるらしいけどね」
焔は少し緊張しているようにも見える。
「明日の朝には、七瀬と紫苑が合流するはずじゃ。二人も祭の開始には間に合うだろう」
「あれ、紫苑も来る予定でしたっけ?」
記憶違いかと思い、灰音が千里に尋ねた。
「いや、余が呼んだ」
「……なるほど。まあ、私は賛成ですね」
千里の判断に、灰音は頷くような素振りを見せる。
「それで、余の当日配置は何じゃ?」
「紫苑がいるのであれば、七瀬さんと紫苑を二人組にして、千里さんは自由で大丈夫だと思います」
それが、千里の性格にも合っているだろう。
「わかった。では、余は視界の広い場所で息を潜めることにしよう」
千里の基本的な戦闘スタイルは、遠方から相手を一方的に視認し、五霊禁門の発動条件を満たした後に、勝負を仕掛けるというものである。
「お願いします。後は、私と焔がペアで、椿は詠さんの近くに配置しようかな」
「椿さんと詠さん、とても仲良くなっているみたいですし、適任ですね」
「うん。それに、隣に椿がいれば、式守さんも安心でしょ」
ちなみに、当の本人たちは相変わらず森の中である。
「私たちって、基本的には本殿の周囲で待機ですか?」
「そうだね。ただ……」
灰音が少し考えるような素振りを見せる。
「どうかしましたか?」
「……何か、本殿を固め過ぎるのも良くない気がするのだよね」
「うーむ。明らかに直霊が護衛している雰囲気を出すのもあまり良くないか」
直霊が神社を張っていることは、可能であれば隠しておきたい。それに、警備を集中させると、その場所に神器があることが一目瞭然になってしまうとも考えられる。もちろん、神器が御神体だと知っていれば、その場所は元々推測できるものではあるが。
「それもありますね。何がともあれ、本殿に一点集中というよりは、本殿にいつでも寄れる距離で広範囲に配置しておいた方が良いと思います」
「確かに、余たちは神器を守りに来たわけでもないからな。待つのではなく、境内で例の集団の姿を探すくらいの心持ちが良いか」
「はい」
待ち伏せによる奇襲が有効なのは言うまでもないが、神器の守りが手厚いのは相手側も重々承知していることであるだろう。つまり、もしも宿の強奪を考えているのならば、相手側も入念な準備をしているに違いない。よって、それを先に叩き潰すのも一つの戦略だろう。
「一応、確認ですけど、本殿には入ってはいけないのですよね?」
「神社側にそう言われちゃったから、仕方ないよね。でも、敵の侵入が確認できたら、私たちも突入しても良いらしいから、そこまで問題ないとは思う」
逆に、それ以外は神社で多少派手なことをしても良いと言われている。詠との勝負を引き受けた甲斐はあったと信じたいものだ。
同時刻、椿と詠の稽古も佳境に入っていた。ここまで、詠の攻撃精度は確かに上昇していたが、本気状態の椿に一撃を入れることはできていなかった。ちなみに、詠は一通りの座学を終えて、全ての意識を戦闘の方に割いている。それでも椿に手が届かないのは、基礎性能の圧倒的な差であるのだろう。
「はあ、はあ……」
「休憩にしても良いぞ?」
本気状態を一度解除した後、椿が詠に声をかけた。一方の詠は息を整えるのに必死なようである。
「……大丈夫です」
「そうか。では、再開する前に少しだけヒントをやろう。今までの訓練、いや最初に手合わせしたときから、詠は根本的に勘違いしていることがある」
「……勘違いですか?」
椿の言葉の意味を理解しようと、詠は頭を悩ませる。
「そうだ。あのとき、詠は術者を想定した戦いがしたいと言っていたよな? 座学を終えた今、実際に術者を想定した戦いというのがどういうものか、改めて考えてみると良い」
「……」
そして、詠は黙って考え始めた。しばらくすると、詠は何かを掴んだような表情に変化する。
「ようやく理解したようだな。では、始めるぞ」
その言葉の後、椿は再び本気状態に戻ろうとする。しかし、次の瞬間には、詠の素早い前蹴りが椿の体を捉えようとしていた。咄嗟に回避する椿。ただ、詠の追撃が降り注ぐように、椿を襲う。
「……そうだ、詠。術者を想定した戦いであるのならば、術を発動される前に叩き潰すのが最も良いに決まっている」
一撃で仕留められなかったとしても、絶え間ない攻撃を浴びせることができれば、相手の術発動を実質的に抑制できる。なぜなら、防御や回避を強制されることで、術発動に集中できなくなるからだ。それだけ、意識を割かなければ、霊魂術を発動できないということでもある。
つまり、この訓練の目的は、本気状態の椿に一撃入れるだけの実力を身に付けることではなく、椿が本気状態に変化するのを防ぐだけの実力を身に付けること。よって、椿が術を発動しようとするのを眺めて待つ理由など、どこにもない。
また、それは最初の手合わせのときにも言えることである。もちろん、稽古中を含めて詠は全力の術者を相手にしたかったのだろうが、そもそも術者が全力になる前に潰すのが実戦なのである。
「……だが、術発動の隙とは、自分で生み出すものでもある」
そう呟いた後、椿が上に跳んだ。詠の手が届かない高度まで上昇することで、確実に集中できる時間を作り出したのだ。それから、椿は空中で本気状態への変化を完了させる。
しかし、詠も冷静だった。空まで追いかけるのではなく、落下時の隙を狙っていたのだ。空中であれば、椿は落下するだけなので、動きは予測可能である。そして、地面に到達する瞬間に追撃を入れることで、着地と回避の両方を強制できるだろう。
タイミングを見て、落下地点へと駆ける詠。その後、地面に迫る椿に詠の拳が直撃するはずだったが、椿の身体制御は別次元のものだった。椿は空中で体を捻り、攻撃を巧みに避けると、今度は逆に詠を踏み台にして、頭上を飛び越えようとする。しかし、体が離れない。なぜなら、詠が椿の足首を捕まえているからである。
「……逃がしませんよ」
「それで、私を捕らえたつもりか?」
椿は地面に両手を置くと、掴まれた足を振り解くために、逆立ちしながら独楽のように回転を入れる。足を離すまいと持ちこたえる詠。しかし、最終的には遠心力に負けてしまったようだ。
「及第点だな」
椿は体勢を立て直した後、地面に倒れている詠に向けて、言葉を投げかけた。一撃を入れるところまでは至らなかったが、本気で回避する椿に触れることでさえ、簡単ではない。
「次こそは──」
「良い心意気だが、神在大祭がもう近い。それだけ動くことができれば、十分だ。後は休息に当てるのが良い」
詠はゆっくりと立ち上がるが、連日の稽古で満身創痍と言っても良い。その状態で神在大祭を迎えるのは、本末転倒という判断なのだろう。
「……わかりました」
詠も渋々、椿の提案を飲んだ。その後、椿は完全に力を抜き、元の状態に戻る。
「じ、じゃあ、神社に戻ろうか……」
そして、椿は神社へと歩き始めた。その後ろを詠が追いかける。
「後、言い忘れていたけど……」
道中、椿が口を開いた。
「私ができるのはここまでだよ?」
「……もちろんです」
こうして、椿と詠の特訓は幕を閉じた。




