19.開戦
ホテル付近の森の中では、想が衣吹からの連絡を受け取っていた。
「衣吹さん、どうやら見破られたみたいですね」
「嘘でしょ? 衣吹の変装って見破られることあるの?」
薫は愕然としているようだ。
「外見や声、匂いなどでは絶対に気づくことができないはずです」
「そこから、想の術を合わせると、完璧な偽装になると思っていたよ……」
衣吹が持つ霊魂術の名は『流転幻境』。系統は荒の幻覚術に分類され、相手の五感の認識を改変し、自分を別の誰かだと思い込ませる力を持っている。ちなみに、流転幻境における相手とは、術者の周囲にいる全ての人間である。もちろん、効果範囲に制限はあるが、人間の視力の限界を考えると、それはあってないようなものだ。
「それで、これからどうするの?」
「仕方がないので、強引に奪いましょう」
想は非常に不満気な顔をしている。一方、薫は少し嬉しそうに見える。
「そっちの方がわかりやすいから、私は好きだね」
「私は嫌いです……」
想は大きく溜息を零した。
「船組にも手伝ってもらう?」
「……そうですね。神器を使用されることも考えると、雫さんに操作人形をお願いした方が良いでしょう」
想は携帯を取り出し、雫に連絡を送った。その後、薫と想は衣吹と合流するために、ホテルへと続く道の方へ向かっていた。
一方、灰音たちはホテル内の非常階段を駆け上がりながら、隠密で神器がある場所を探していた。
その道中、灰音たちは上階から凄まじい速度で下る和服の女性とすれ違った。互いに交差するようで、一瞬の出来事だった。しかし、直後に七瀬が足を止めた。
「……今の女性が持っていたもの、恐らく神器だ」
「え?」
何を持っていたかまではわからないほどの接触時間だったが、七瀬は確かに神器の存在を感じていたようだ。
「七瀬さんが言うのであれば、間違いありません。追いかけましょう」
灰音たちは逆側に方向転換し、すれ違った女性の追跡を始める。それから、ホテルの一階まで戻ってきたが、オークション会場の出入口で談笑する人々が多く、先ほどの女性がどこに行ったのか、一瞬見失ってしまった。
結果として、その一瞬が仇となってしまう。神器と思わしき弓を持った女性を再び視界に捉えたときには、既に神器の矢が灰音たちに放たれていた。咄嗟に回避しようとするが、間に合わない距離である。
そして、七瀬と灰音を守ろうとした焔の肩に矢が突き刺さった。それ自体の物理的な損傷は大したことない。しかし、次の瞬間、焔は意識を失うように、床に崩れ落ち始めた。
「周囲の人間を襲え!」
弓を持った女性が叫んだ。直後、焔は体勢を立て直し、最も距離が近い灰音に攻撃を開始した。焔の拳を、反射的に防御する灰音。それと同時に、今回の神器が持つ特別な力についても概ね理解できた。
「お前ら、さっきの女の仲間だろ? 神器を持っている私を見て、即座に追いかけてきたからな」
弓を持った女性が何を言っているか、灰音には分からなかったが、事態はそれどころではない。灰音は焔の攻撃を捌くのに必死である。
更に、戦況は大きく変化する。突如として、弓を持った女性に警備員の男性が襲い掛かったのだ。
その後、弓を持った女性は不意打ちを間一髪で回避すると、人混みを避けるためなのか、ホテルの入口から外に向かって走り出した。続いて、不意打ちをした男性と、それを追いかけるように二人の女性がホテルの外に出る。気づいたときには、灰音たちはホテル内に取り残されたようだった。
「七瀬さん、神器の追跡をお願いします。焔を元に戻したら、即座に合流します」
「……わかった。待っている」
灰音の言葉に七瀬は頷いた後、ホテルの入口の方に駆けていった。そして、灰音も周囲の被害を抑えるために焔の標的を維持しつつ、窓から飛び出して、外に場所を移すのだった。
ホテル入口付近の森の中では、神器を追いかけるため、木の間を縫って走り続ける三人組の姿があった。
「衣吹さん、もう術を解除して良いですよ」
「わかった」
次の瞬間、三人組の内の一人である男性の外見が変化した。どうやら、先ほど奇襲を仕掛けた警備員の正体は衣吹であったようだ。ちなみに、後の二人は言うまでもなく、薫と想である。
「あいつ、相当動き良いね。龍宮とかいう名前だっけ?」
「はい。オークション側が雇った術者です。何の術を持っているかはわかりませんが……」
「ふーん。神器を奪うついでに、あいつも仲間に入れない?」
薫はこの状況を楽しんでいるようだ。この緊迫した場面でも、笑みが零れている。
「……ひとまず無力化してから、考えます」
想は神器のことで頭が一杯のようだ。
「どうやって制圧するの?」
衣吹が想に作戦を尋ねた。直後、想は手に持ったアタッシュケースからボルトアクションライフルと弾薬を取り出した。空になったアタッシュケースは投げ捨て、ライフルに弾を装填する。
「え、それ使うの?」
「足元を狙いますので、ご安心ください。神器に当たっても、いけませんし」
足を奪うことによって、相手の行動を制限する目的であるようだ。
「じゃあ、想の銃弾を命中させるのが目標ってことね。わかりやすくて、良いね」
「はい。ただ、武器を持つ私が最も警戒される対象でもあると思います」
「なるほど。何となく理解したよ」
その後、三人は更に足を加速させ、神器を持った龍宮との距離を詰めていくのだった。




