許嫁は居ないしアテもない
夏に向けて少しずつ強くなる日差しが騎馬と馬車の一行を照らしている。
道沿いの草木は生き生きとした緑で覆われ、太陽の祝福を浴びて輝いている。
目の前に広がる道は視界の限りに続いていて、風がみんなの背を押すように足取りは軽やかだ。
迷宮伯嫡子のオウドリヒト・フォン・グリムホルン、つまりボクは初めての外交を成功させた達成感と、政治の重圧から逃れた解放感に浸りながら、馬を進めていた。
「いやぁ、しかしオウド君のおかげで良い取引ができた。感謝するぞ」
隣で同じように馬を歩ませているのは、小山のような背丈と筋肉をもつ隣領の伯爵、グスタフ先輩だ。
「ボクは先輩のポーションを婿さんにおススメしただけだよ。気に入ってもらえたのは先輩のウデだと思う」
ここでいう先輩というのは魔法学園の先輩だ。特技は錬金術でポーションを作ること。
西大公嫡女の結婚式で婿さんに先輩お手製のポーションをおススメした。
すると興味を持った婿さんが何か魔法で確認したかと思うと試し飲み。
とても効いたと気に入ってもらえ、いい値段で定期購買の契約を結ぶことになったのだ。
もとから不作の影響で景気が悪く、ポーションの売り上げが落ちて困ってたグスタフ先輩はホクホク顔だ。もちろんこれは正当な取引だから公爵からの借りにはならない。
「いや、しかし効き目や回復能力ならば帝都や公爵領都にもっといい錬金術師は居ると思うのだが」
「先輩のポーションって細かく成分とか調整してあって、怪我だけじゃなくて疲労の回復や栄養補給にも良いって母さんが褒めてたよ」
母さんである迷宮伯は元冒険者だ、長期で戦い続ける迷宮探索では疲労回復や栄養補給はとても重要だと言っていた。グスタフ先輩の領地はいろいろな薬草や山菜の宝庫で、彼のポーションは冒険者向けの独自ブレンドになっている。
「そうか、普通は戦傷や事故の怪我を治すのに使うから回復効果だけを狙うものな……俺の付与効果はダンジョンに潜らないなら不要か。まぁお疲れだったようだし……」
そこまで言うと、グスタフ先輩は「ん?」と何かに気づいたようだった。
「待てよ、それを定期的に飲みたいってどんだけ疲れて……ああ!」
「何に納得してるの?」
「……わからんか?」
「わからない、教えて」
「ははっ、オウド君が結婚したらわかるさ!」
むっ。
先輩は自分は小さくて可愛い奥さんがいるからって偉そうに。
さっきから先輩、先輩って言い続けたせいで帝都に帰っていったアミリ先輩を思い出す。
魔法学園で同じ魔物学の道を選んだ学友であり、一緒に大公家の問題を見つけて魔王の陰謀を防いだ仲間でもある。
彼女としばらく会えないと思うと、なんか急に寂しくなった。
結婚か……それ以前にボクに恋人はできるんだろうか。
― ― ― ― ―
「というわけで、ボクに許嫁とか居たりしないよね?」
「帰ってきて最初の発言がそれですか。居ません」
「えー」
えー、ではない。
結婚式に出席して羨ましくでもなったんだろうか。
久々に帰ってきた若君を出迎えた若い書記官のルークは思った。
無事に帰ってきてくれたのが一番ありがたいのだけど、外交の結果はどうなったのか。
「そもそも近隣の同格の領主に適齢の令嬢がいないから、学園で探すようにと母君である迷宮伯閣下も仰せでしたよね??」
「うん」
「で、そちらの成果は……あ、いや予算不足で留学打ち切らせたのでした……申し訳ございません」
「はっはっは、ルークのせいじゃないよ。ボクも勉強で忙しかったしね」
謝るルークを宥める若君。
若君は思い出す。
辺境の新興貴族の嫡男ということで嫁入り前提になるから、向こうから狙ってくる人はほぼいない。
ただ自分から行くのは恥ずかしかったので演劇部で話し方や接し方を学んだ。
演劇っぽく振舞うことでなんとか女子と話せるようになったが、ウケはしても仲良くなれた子はいなかった。
魔物学ゼミで先輩と自習してる方が楽しかったので、勉強ばかりしてたのもある。
若君が過去を思い出していると、そこに少女が現れた。
淡い青色の亜麻のドレスをひらめかせながらオウドに抱き着く。
「おかえりなさいお兄様。婚約者など不要ですわ!私がおりますもの!」
「ありがとうボクの美しく可憐なドルミーナ!」
オウドは抱き着いてきた妹の亜麻色の髪に軽くキスをすると妹を離した。
しかし妹は兄のそばから離れない。
「妹君がいらしても婚約者は必要ですよね?」
「そうだね」
「そんな!?」
ルークの冷静な指摘にうなづく若君と驚く姫君。
出来るだけ早く借金を返して妹のほうを留学に出さないとまずいのでは、と書記官ルークは思った。
妹……姫君は久しぶりに兄が留学から帰ってきてからなんかいちいち距離が近いし、兄は姫君に甘い言葉をささやいている。
この兄妹はそろいの紺青の瞳を持っているが、髪は兄が茶色で、妹君が亜麻色だ。
母である迷宮伯には固定の夫がいない。冒険先で気に入った男と付き合っては別れを繰り返してきた。
つまり、父が違うのである。
半兄妹なので一般的ではないとはいえ万が一にもこの二人がくっついてしまうとグリムホルン伯爵家として血縁が広がらずに閉じてしまう。
家臣としては貴族と結婚して味方となる親族を増やしてほしいのにそれは困る。迷宮伯閣下もそうお考えのはず。
今は兄しか見えてないが、姫君も年頃の貴族の若者だらけのところに行けばきっとまっとうな恋愛をしてくれる……はずだ。と信じたい。
悩むルーク書記官をよそに、若君は違うことで悩んでいた。
演劇で訓練を続けたのに、年頃の女性の容姿を褒めるのがとても気恥ずかしい。
妹みたいに小さな子や一世代以上年上なら気楽に女性の容姿を褒められるのだが。
アミリ先輩にも知性や人柄を褒めたことはあるけど容姿を褒めるのができなかった。
こんな感じのボクを好いてくれる人が現れるのか……?
兄の誉め言葉で無邪気に喜ぶドルミーナ姫を置いて、若い男二人は悩み続けるのであった。




