表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幽世の花嫁  作者: さざれ
現世と幽世
9/47

9

 そのとき、りん、と小さく鈴が鳴った。〈音無しの鈴〉の音だ。

 雪斗がはっとして眼鏡を外した。屈み込んでいた沙羅は、手元に時ならぬ霜柱が立ち上がっているのに気付き、そこから目を離さないまま、雪斗に声をかけた。

「雪斗さま。円匙を出していただけますか」

 雪斗が袋の底を探り、円匙を取り出す。礼を言ってそれを受け取ると、沙羅は霜柱を剥がすように、地面を掘り始めた。

 雪斗は目を瞠って沙羅の手元を見つめる。沙羅が慎重に掘り出したものをみて、雪斗は息を呑んだ。

「沙羅さん、それは……」

「霜のしもにある、雪の花……おばあさまは〈白雪花〉(はくせつか)と呼んでいました」

 沙羅は掬い上げたそれを軽く擦り、土を落とした。霜柱の根として大きく育っていたそれは、先端が雪の結晶のように六方に分かれていた。有機的な印象はなく、霜柱と同質の筋が走り、見るからに脆そうな見かけをしている。

「……立ち上がった霜柱の下が凍り付いていたとしても、そんな形にはならないはず……」

「ええ。これは幽世のものですから」

 いつしか二人の足元は、初夏の山のそれではなかった。下草は枯れ落ち、冷たい土には這い回る虫の気配もない。

 沙羅は〈白雪花〉を布に包み、大切に籠に仕舞った。

「これ自体に薬効はないのですが、薬を作るときに混ぜておくと長持ちするものが出来るのです。凍らせた食材のように」

「……たしかに、芙美さんから仕入れた呪薬のなかには、期限が非常に長いものもありました。売るときに説明がしにくいけれど、薬効は確かでした」

「確かに、説明には困りますね」

 沙羅は少し笑い、着物の裾を払って立ち上がった。空から雪が舞い落ちてくる。雪斗は睫毛に止まった雪に目を細めたが、擦って取れたそれが雪片ではなく花片なのを見て目を見開いた。

 その様子に思いついて、沙羅は〈白雪花〉を入れた布包みを雪斗に渡した。

「持っていていただけますか? 雪斗さまに持っていただけると、すごく有難いのですが」

「もちろん、構いませんが……」

 何気なく受け取り、雪斗ははっとした。

「触れられる……!? 僕の異能は『見る』だけのものだったはずですが……そうか、ここが既に幽世だからか……」

 現世にあっては「見る」だけであっても、幽世で魂が剥き出しになってしまうと、聞こえ、感じ、味わうことができる。そして、やがては――身体を、忘れてしまう。

 軽く小さな包みを、雪斗はこわごわと見つめている。

 空いた手で、沙羅は雪斗の髪に手を伸ばした。花片を摘み取ると、それは沙羅の指の間で溶けて滴になった。雪斗が目を瞠る。

 雪斗がまだ半ば現世に立っているからだ。定型の世界にいる彼に〈白雪花〉を渡せられれば、形が固定される。

「花片は現世の背立山のものでしょう。それが幽世で雪として融けた。幽世では存在が形を変え、あやふやになり、ときに消えてしまう。呪薬の材料を採取するとき、じつは、いちばん大変なのは持ち帰ることなのです。昔話にもありますよね、金銀財宝を貰って、帰って見てみれば木の葉や石ころで、ああ狐にだまされたのだ――なんていうことが」

 楽しげに言う沙羅が危うく見えたのだろうか、雪斗は沙羅の手首を掴んだ。力は加減されていたが、離すつもりがないらしく、しっかり掴んでいる。

「雪斗さま?」

 物も言わずに雪斗は歩き出した。手を引かれ、強引さに困惑しながら沙羅も後に続く。

 鈴の音が小さくなっていく。辺りの景色がすっかり夏山のそれになり、鈴の音が消えたあたりで、雪斗は沙羅の手を放して眼鏡をかけ直し、深く息をついた。

「沙羅さん……驚かせないでほしい。本当に、君は……」

 当たり前のように幽世へと踏み入ったことに驚いたのだろう。わざとではないが、申し訳ない。

「やっぱり……婚約はやめにしますか?」

「しません。それに、君はそれを狙ったわけでもないでしょう。そのくらいは分かります」

 少し不機嫌そうな口調で雪斗は応える。さらに怒らせるだろうかと思ったが、やはり気になるので、沙羅は〈白雪花〉を出してくれるように雪斗に頼んだ。雪斗はとくに嫌そうな顔もせず、籠から包みを取り出す。

 お礼を言って木陰に移動し、沙羅は包みを開いた。覗き込む二人の前で、先が六方に分かれた形の〈白雪花〉が、そのままの形で姿を現した。沙羅はほっと息をつく。壊れていなくてよかった。

 ひっくり返すと、雪斗が感嘆の声を上げた。〈白雪花〉はその名の通り、雪が凝って花の形を取ったかのような見かけをしている。外側は霜柱と同様に透明で、内側になるにしたがって白が濃さを増していく。六方に分かれて根と見えた部分は、逆さに見ればがくの部分だった。

「根ではなかったんですね……」

「養分を吸い取る部分ではなくて、むしろ逆ですね。この花は空の雪を養分として咲くものだそうです」

「幽世のものは本当に不思議ですね……。しかし、壊れていなくてよかった。もっと柔らかい布で包みなおしますか?」

 不思議な形の花に見とれながら、雪斗は提案する。沙羅は首を振った。

「たしかに貴重なものですが、少しくらい欠けたりしても使うときに困りはしません。そうではなくて、〈白雪花〉が〈白雪花〉のまま持ち帰れたかどうかが気にかかって」

「それは……持ち帰ったら木の葉や石ころだったかもしれない、とか?」

「ええ。単なる氷になっていることが多くて。でも大丈夫、そのままの形で持ち帰れたから、もう溶けないはず」

 沙羅は言って、〈白雪花〉を包み直した。自分の持っている袋に仕舞う。雪斗は持とうと言ってくれたが、このくらいなら採取の邪魔にもならない。

 沙羅は少しためらい、雪斗に提案しようとした。

「家におばさまの残した書きつけがあるのです。こういう特殊なものの……」

 そこまで言いかけて、雪斗が近くに群れ咲いている百合に気を取られているのに気付いた。強い芳香が漂っており、大ぶりの花が白々と夏山の緑に映えている。

「……沙羅さんのお母様の花ですね」

「……ええ」

 沙羅の母親、百合ゆりは、芙美の一人娘だ。芙美を恩師と慕うからには、とうぜん百合のことも知っているだろう。花を見て連想したらしい。

「百合さんは……」

 何を言われるだろう、と沙羅は身を固くした。しかし雪斗は躊躇ったのちに打ち消した。

「いや……何でもありません」

 沙羅にも、それ以上この話を続ける理由がない。二人は微妙な距離を保ったまま、夏の山を歩いていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ