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幽世の花嫁  作者: さざれ
花の色
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(沙羅さんが、いない……どこを探しても)

 祭が終わった次の日、片付けが進んでいく中を、雪斗は早足で歩いていた。道端で飲み明かした酔客もさすがに起き出して家に戻り、辺りにいるのは祭の後片付けを進める人ばかりだ。

 あちこちを探し、いちおう千和家にも行ってみたのだが、隼人のところには来ていないようだった。思わず安堵してしまったのだが、そんなことを思っている場合ではない。

(幽世……だろうな、やっぱり……)

 鳴らないはずの音を鳴らし続ける〈音無しの鈴〉に目を落として考える。百合が現世に現れたときから鳴っていたので、沙羅の体だけは現世に残されているかもしれないと探していたのだが、無駄だったようだ。今にして思えば、あの百合の姿も現世に存在したのか怪しい。捜していた百合を前にして、眼鏡が機能していなかった可能性もある。

 祭の場で、沙羅と反転するように現れた百合。ずっと彼女を捜していたはずだったが、今度は沙羅が消えてしまった。そして探し当てた、沙羅の秘密。彼女はおそらく、百合とともに――幽世にいる。

 雪斗は巌に協力を求め、黒須平をそれとなく探してくれるように、何かあったら知らせてくれるように頼み、上ノ杜の東鶯邸へと戻った。手早く身支度を整えて荷物を纏め、背立山へと急ぐ。紅葉が進んでいく秋の山を、景色に目を向ける余裕もなく早足で歩く。

(秋山の紅葉を茂み迷ひぬる……いや、縁起でもない)

 万葉の挽歌を連想してしまう状況だが、雪斗は強く首を横に振って打ち消した。余計な考えを振り切るように歩き続け、やがて沙羅に教えられた洞穴に辿り着いた。

「頼む、〈音無しの鈴〉。沙羅さんのもとへ、導いてくれ」

 いなくなって、あまりの喪失感にようやく自覚する。沙羅はとっくに、雪斗にとって失えない存在になっていた。

 鳴り続ける鈴を前に突き出すように、雪斗は洞穴の奥へと進んでいく。鈴を持つ腕がどこかへ突き抜け、世界が交錯し――


 山並がぶれて重なり、離れ、また重なって、二つの山に分かたれる。百合の花野は薄野原に変わり、秋風に吹き千切れる。二人の少女はまったく同じ動作で空を仰いだ。

 鏡写しの世界に、異物が入り込む。雪斗は思いきり手を伸ばして、大声で呼んだ。

「戻ってこい! ――沙羅さん!!」

 差し出された手に、二人の少女は同時に手を伸ばす。

 そうして楽園から、一人の姿が消え――


「……沙羅さん?」

「ええ、わたくしよ。雪斗さま。助けてくれて、ありがとう」

「…………よかった……」

 繋いだ手を額に押し当てて、雪斗は深く息をついた。自分を選んでくれてよかったと、沙羅も深く息をした。辺りを見渡し、自分が祭の後の薄野原に戻ってきていることを知る。

 祭の後片付けが終わりきっておらず、まだ名残の天幕や櫓の骨組みなどをあちこちに残す、何の変哲もない野原だ。だがこの野原は、冬が来て、春が巡ると、地面が力を蓄え、薄が一面に芽吹き、育って穂をつけるのだろう。当たり前で何の代わり映えもしない、そんなことが……涙が出そうなほどの実感を伴って、身に迫って感じられる。

(現世は、美しい……)

 沙羅は心の底から思った。

「わたくしを選んでくれて、ありがとう。連れ戻してくれて、ありがとう。……でも、どうやって見分けたの? もう知っているのでしょう、わたくしがどんな存在であるか……」

 言いながら、沙羅は違和感に気付いた。

「雪斗さまの目が……黒橡色に見える? 眼鏡がないのに……?」

 それだけではない。沙羅をいつも苛んでいた、幽世へと強烈に惹きつけられるような衝動がない。雪斗が変わったのではなく、沙羅が変わったのだ。

「見分けたというよりも、分かった。沙羅さんは戻りたがっていて、百合さんは僕を引き入れたがっていた。間違うはずがない。僕が引き戻した沙羅さんは……現世で生きることを求める、現世の存在だ」

 沙羅は幽世の体を、半身として置いてきたのだ。百合が望んだ通りに――沙羅が望んだ通りに。

 それは弔いだった。葬送で、決別で、誕生だった。沙羅はそれを、魂で理解した。

 訓練すればある程度の霊能は戻るかもしれない。だが、自在に現世と幽世を行き来することは、二度と出来ないだろう。そのことに沙羅は、大きな安堵と、ほんの少しの寂しさを感じていた。

 同時に気付く。沙羅が現世を選んだことの意味と、雪斗が沙羅を選んだことの意味を。

「一緒に生きよう、沙羅さん」

 それが、彼なりの求婚だと分かったから。

(雪斗さまが義理を果たしたと納得したら、婚約を破棄するはずだったのに……)

 婚約が本物になるなんて、思ってもみなかった。でも――嫌ではない。芙美がどこまで予知していたのか分からないが、これは沙羅の意志で、沙羅の選択だ。

 芙美は雪斗を壬堂の後継者とすべく、沙羅の婚約者という立場を整えたのだと思った。だが、違うと今なら確信できる。芙美は沙羅のことを案じて、沙羅のために、この婚約を整えてくれたのだ。人の思いに触れて、自分で選べるように。現世で生きられるように。

 沙羅は返事の代わりに、彼の首に腕を回した。

(おばあさまに、今なら言える。わたくしはこの方を選ぶのだと。現世で生きていくと決めたのだと……)

 優しくて、朴念仁で、ときどきすごく腹立たしくさせる人だ。でも、彼がいい。そんな彼だからこそ、沙羅は戻ってこようと思えた。

 胸の奥の芽吹きが、蕾をつける。気持ちはまだ育ちきってはいないが――

 ――その花はきっと、夏椿のような、雪のような、真っ白な色をしていることだろう。

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