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雪斗が何をどこまで勘付いているのか、沙羅は固唾をのんで雪斗の話に注意深く耳を傾ける。だが、彼の話はそこまでのようだった。
「……それで、間違っていません」
沙羅は言葉少なに肯定した。肝心のところが抜けているが、だいたいはその通りだ。
「でも、それを知ってどうなさるのですか?」
「知ったからには……できれば現世に連れ帰ってあげたいと思います。遺骨の一部でもいい、痕跡だけでもいいから、せめて見つけたい。百合さんが幽世で生きているとか、そんな都合のいいことは考えていません。もしもそうであるなら、芙美さんは何としてでも娘を幽世から取り返そうとしたはずですから……」
雪斗は言葉を切った。
「僕は遠方にいたので、当時のことを知りません。沙羅さんが生まれて、百合さんが消えてしまった頃のことを。いま思えば、芙美さんが何かを予知して僕を遠ざけておいたのかも知れないけれど……」
おそらく、その通りだろう。百合に異変が起きれば、彼女に憧れの目を向けていた少年が――幽世を見る力を持つ少年が――思い余った行動を取らないとは言い切れない。異能を持て余して壬堂に身を寄せた少年を、壬堂の問題に巻き込んで危険に晒してしまうことを、芙美は絶対に肯んじなかったはずだ。
「沙羅さんが幽世に取られそうになったとき、まるで時が巻き戻ったみたいに思えました。成長した沙羅さんは百合さんにそっくりで、綺麗で――儚く消えてしまいそうに見えました。また幽世に奪われてしまうのかと思うと、絶対にそんなことは許せないと……」
「…………」
沙羅は今年で十七歳だ。雪斗が芙美に弟子入りしたとき、百合は十六歳だったからほぼ同じだ。雪斗は芙美のところに一年以上いたのだから、十七歳の百合のことももちろん見てきている。
多鶴からも言われた。成長した沙羅を見たとき、あまりに百合に似ていて驚いたと。目を覚まして起き上がった沙羅はなおのこと百合にそっくりで、二度驚いたのだと。
(雪斗さまはわたくしを、お母さまと重ねて見ている……)
頭では分かってはいたし、当然とも言えることなのだが、心が納得できるかというのは別問題だった。雪斗の話を聞きながら、心の一部が自分でも驚くほど動揺しているのが分かる。
婚約者として意識する中で育ててきた、彼への淡い好意。その芽は確かに存在する。だが、花が咲くかどうか、今となっては怪しかった。
「こんなことを沙羅さんに言うのは不誠実だとは分かっています。でも……僕の心の一部は、百合さんのところに……幽世に、囚われています」
雪斗は内心を吐露した。
「気持ちに区切りをつけるためにも、僕は百合さんを探し出したい。そうして……弔いたい」
言い終えて、雪斗は項垂れた。一回りも年上の青年のはずなのに、その姿はまるで寄る辺ない少年のように見えた。
「……それが、雪斗さまの抱える秘密なのですね」
「……すみません」
「謝らないで。この場合、謝る方が失礼だわ」
自分も秘密を抱える立場ながら、沙羅は雪斗の謝罪を跳ね付けた。これは女性の気持ちの問題だから、別問題だから、これはこれでいいのだ。と、心中で理屈をつける。
「和歌菜さんの時のように、お母さまを捜し出したい、ということなのね?」
雪斗は項垂れたまま頷く。
(……これって婚約者として、愛想を尽かしてもいいくらいなのでは……)
沙羅の考えを読んだように、雪斗が口を開いた。
「こんな僕に沙羅さんが愛想を尽かすのは当然です。ですから、幽世で百合さんを捜し当てられたら……それか、無理だと諦めたら……婚約のすべてを沙羅さんに委ねます。破棄しても構いませんし、僕を便利に使ってくれても構いません。他の相手を探したいのなら手伝いますし、壬堂家を存続させたいなら助力します。それでどうでしょうか」
雪斗の言葉に、沙羅の頭のどこかがぷちんと切れた。そういうことではない。そんなことはどうでもいい。問題はそこではない。一回りも上の大人だと気後れを感じていたのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、雪斗は馬鹿だ。
そして、自分も大馬鹿だ。こんなことになるまで、彼への思いを自覚できなかったなんて。こんなことになってようやく、自分が普通の人間だと思えるようになるなんて。
「二年……いいえ、一年半」
「え?」
「弔おうというのなら、一年半のうちに見つけてみせて」
「……? ……そうですね、沙羅さんへのご迷惑もありますからね。分かりました」
分かっていない。まるで分かっていない。迷惑だとかそういう話ではない。乙女心を分かっていないだけでなく、沙羅が一年半の期限を提示した理由があることすら分かっていない。
でも、言うまい。沙羅は忍の一字で堪え、別のことを言った。
「それと、ひとつ約束していただきたいの。捜し当てたときにお母さまがどんな姿になっていても……決して後悔しないと」
雪斗ははっとした。
「……沙羅さんは……もしかして、百合さんをすでに見つけて……?」
沙羅は少し首を傾げて雪斗を見返した。答えは返さない。そのくらいの意趣返しは許される立場のはずだ。雪斗も悟ったとみえ、口を噤む。
話はここまでだ。沙羅は茶器を片付け、部屋を出ようとした。ここは壬堂の家で、同じ部屋にいるのは婚約者なのに、初対面のとき以上によそよそしさを感じる。
「沙羅さん――」
雪斗が呼びとめた。振り返る沙羅に、雪斗は言葉を詰まらせ、首を振って一言だけ声に出した。
「――おやすみ」
「ええ、おやすみなさい」
沙羅もそれだけを返し、そっと戸を引き閉じた。




