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沈黙があたりの空気を冷え込ませる。熱かったはずのお茶が冷めてしまったのは、話している時間が長かったからか、それとも沈黙のせいか。
お茶の残りに手を付ける気になれず、卓上の瓶を引き寄せて飴玉をひとつ取り、口に入れる。話し疲れたし、考え疲れたし、色々なことがありすぎた。
こうやって食べたり飲んだり考えたりしていると、生きているという実感が湧く。これまで無頓着に流していた生活のあれこれが、実はとても貴重なものだったのだと気づく。
(現世にいるというのは……きっと、こういうことなのね……)
沙羅がそう考えるのは、幽世に去ってしまった少女の家族の嘆きが耳の奥に残って離れてくれないからだ。
沙羅は自分がいずれ幽世に消えてしまうものと思っているが、残される家族がどう思うかなどということには思いが至っていなかった。そもそも唯一の家族だった芙美は亡くなったから考えるまでもなかった。
そこに、雪斗が現れた。芙美に定められた婚約者であると言い、新しい家族になってくれる人が。その真意は分からないまでも、厚意は疑いない。
その彼と千和家の葬儀に参加して、家族を失ってしまうことの実際のところを目にして、頭では分かっていたはずの遺族の嘆きというものの実際がようやく身に染みた気がする。母を見送ったときも、沙羅自身が現世を諦めそうになるときも、こんな……やりきれない思いはしなかった。
いや、気付かなかっただけかもしれない。沙羅は、自分の意識がだんだんと現世の普通の人のそれに近付いていっていることを自覚した。
だが、沙羅のこの体質は「普通」には程遠い。幽世に近しいこの体質の理由を、沙羅はいまだに雪斗に言えないでいる。多鶴から聞いた話を考え合わせると、それはほとんど雪斗への裏切りに近い。
ぼんやりと考えにふけっていると、雪斗が沈黙を破った。
「沙羅さんの、その体質……って言っていいのかな、それはもしかして……沙羅さんの出生に関わるものではありませんか?」
「…………!」
思わず、驚愕を顔に出してしまう。沙羅の反応に自信を得た様子で、雪斗は言葉を継いだ。
「芙美さんは力のある術者でしたが、沙羅さんほどの特異性はありませんでした。百合さんも……少し危うげなところはありましたが、それでも普通の人間でした。そうなると、君の父親に理由を求めるしかありません。聞かせてくれませんか? ――沙羅さんの、父親について」
「…………」
雪斗の追及に、沙羅は――安堵していた。
彼の指摘は少し的を外している。沙羅の抱える秘密に近くはあるが、そのものではない。
沙羅の緊張が解け、雰囲気が緩む。雪斗は逆に少し表情を硬くし、自分が何か間違えたことに気づいたようだったが、何が違うのか分からないでいるようだ。
「……言えません」
沙羅は首を振った。雪斗が何か言おうとするのを制して言葉を続ける。
「わたくしに父親はいません。それ以上に言えることはありません」
「ですが……」
緊張が解けて余分な力が抜けたからだろうか。沙羅は、雪斗の妙な必死さに気付いた。これはまるで、沙羅の体質そのものよりも、沙羅の父親について聞きたいかのようだ。母のことを気にする様子を考えても、多鶴から聞いた話から考えても……
「……雪斗さまは……わたくしのお母さまのことを想っていらっしゃるのでは……?」
「…………っ!」
雪斗は目を見開いた。図星のようだ。その様子に、納得と落胆とを沙羅は感じる。
「そう……やはり、そうだったのですね」
多鶴の推測通りだ。多鶴はあの夜、雪斗の過去について沙羅に教えてくれたのだ。
彼が「見えすぎる」目に悩まされて、芙美の弟子になったこと。雪斗よりも六歳年上の百合に、淡い思いを抱いていたらしいこと。彼が芙美のもとを離れて修行をしている間に沙羅が生まれ、百合が亡くなったと聞かされて衝撃を受けていたこと。多鶴は雪斗付きの使用人として、一部始終を見ていたのだ。
雇い主の私的な話だから、たとえ婚約者にでも明かしていいか迷った、だが、雪斗には過去に決着をつけて先に進んでほしい、沙羅にも不幸になってほしくない……そういった思いで、多鶴は話してくれたのだ。
(あの夜、雪斗さまは、わたくしを……幽世に行ったおかあさまと、重ねて見ていたのだわ……)
だから、行くな、と言ったのだ。あんなにも必死だったのだ。――口付けも、沙羅にしたものだと言えるか怪しい。沙羅は百合にそっくりなのだから。
雪斗は沈黙を挟んで言った。
「…………。……否定は……できません。たしかに僕は、百合さんに憧れていましたから。僕と同じように幽世を見る目を持ち、しかし恐れるどころか楽しげでさえあった彼女に。ですがもちろん、どうこうなったことなどありません。百合さんの娘だから余計に、沙羅さんを守らなければならないと思ったのは確かですが……」
沙羅は溜息をついた。
「多鶴さんの気持ちが良く分かったわ。……張り倒したい」
「沙羅さん!?」
雪斗が驚いた声を上げたが、沙羅は無視した。朴念仁というか何というか、雪斗は女心をまったく理解していない。せめて黙っておけばいいものを。傍で見てきた多鶴はさぞやきもきしてきただろう。基本的には鷹揚で気のいい雇い主だが、時々どうしても手が出そうになってしまう、というのが多鶴の談だ。
「それで、雪斗さま。わたくしのお母さまは……」
「幽世に消えたのでしょう?」
「……っ!」
沙羅は息を呑んだ。だが、すぐに冷静さを取り戻す。まだ、大丈夫だ。彼に全てを知られたわけではない。
「それを、どうして……」
「分かりますよ。亡くなったとは聞いていますが、お墓が無いのですから。芙美さんの葬儀のときにも確認しましたが、百合さんのお墓はどこにもありませんでした」
「……ええ、そうですね」
「それと、もう一つ。これは僕の聞き間違いかもしれないのですが……。芙美さんに沙羅さんと僕との婚約の話を持ち掛けられたとき、二度と家族を幽世に取られたくない、という呟きを聞いた気がして。芙美さんのご主人のことかとも思いましたが、もしかして百合さんのことなのかも、と。百合さんは、通常の亡くなり方ではなくて……文字通り、幽世に行ってしまったのではないかと……」




