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かなり際どい話をしている自覚はあった。聞かされる雪斗も絶句している。渡し守は口を挟まず、しかし興味深げに耳をそばだてているようだった。
沙羅は雪斗の様子を窺うが、単純に驚いて恐ろしく思っているだけのようだった。何の心当たりもなさそうだ。
当然だ。彼が、あのことを――沙羅の秘密を――知っているはずがないのだから。
(わたくしが、あのことを明かしたら……雪斗さまは、どう思われるだろう……)
明かすつもりはないが、そんな考えがちらりと脳をかすめる。
だが、自分の考えに浸っている場合ではなかった。渡し守が二人を急かしたのだ。
「それで結局、お乗りになるんですかい? ならないんならお暇しますが」
「……どうしましょう、沙羅さん」
「ちょっと待ってくださいね」
沙羅は再び箸を掌の上に浮かせ、箸が指し示す方向を確かめた。川の方を指している。
「……此岸にはいなさそうですし、彼岸か……少なくとも川の中州などのどこかか……ここに留まっていても進展はなさそうですが……」
「お乗りになるんならお連れしやしょう。ただし、引き返すことはできやせん」
黄泉路は一方通行だ。沙羅は幽世と現世の境を曖昧にすることができるから途中で抜けることも可能かもしれないが、確実ではない。
雪斗が危険を承知のうえでここへ来ているのは分かっている。だが沙羅は、彼を巻き込むのを今になって躊躇ってしまう。
(わたくしひとりなら躊躇しないのに……どこへでも行くのに……)
自分ひとりなら何かあってもどうとでもなる、というよりも、何かあってもどうでもいい。生きろと諭してくれた祖母には申し訳ないが、幽世に消えてしまうのが自分のさだめなら仕方ないと思ってしまう。
だが、雪斗は違う。現世に生きる人だ。現世に生きるべき人だ。沙羅に付き合って幽世に消えてしまうのは……何というか、惜しい。
自分の命を惜しいと思ったことがない沙羅だから、彼の命を惜しいと思ったことに我ながら驚く。
色々と考え込んでいる沙羅を見て、雪斗が問うた。
「船に乗るのは、やはりまずいですよね?」
「そう思います。船は『運ぶ』もの……肉体という容れ物を失った魂を、代わりに運ぶ容れ物ですから。まして他者に行き先を委ねるかたちになってしまうのは危ないと思います」
自分たちで船を作れるなら話はまた別だっただろう。だが、三途の川の渡し守として存在している者に行き先を委ね、渡し賃を払って船に乗り込むのは生を諦めるのとほぼ等しい。
「それなら……」
雪斗は少し考える様子を見せたが、何か思いついた様子で荷物から箸を取り出した。沙羅の持っている箸の片割れだ。
「意味づけを変えることは世界を変えることです。少なくともこの観念の世界では。それなら僕は読み替えましょう。三途の川を御手洗川に。参道の先、神域に至る道に流れる川に。川には橋がつきものです。船ではなく橋で、箸で――」
流れるように言い、雪斗は河原に箸を突き刺した。先ほど枝が船着き場になったように、箸が見る間に変形し、変容していく。朱色の塗りが剥げて木肌が覗き、板になり、丸太になり、丸太が増えて組み合わさっていく。驚く沙羅の前で、朱塗りの橋が虹のように対岸へと伸びていく。
「すごい……」
「こういう意味づけの仕方は、芙美さんに教わりました」
目を瞠る沙羅の前で、雪斗が少し笑った。
「わたくしも教わりましたが……こういうふうに使うなんて思い至りませんでした」
「こういうのは個人差が出ますからね。知識や経験、傾向、そういったものに左右されます。沙羅さんが箸を羅針に見立てたのと同じことです」
「無茶苦茶しますなあ……」
渡し守が感心したような呆れたような表情で、虹のように伸び上がっていく橋を眺めている。こうした横紙破りを咎め立てする様子を見せないのは、彼が川ではなく船を守っているからなのだろう。
「橋ならば自分の意思で歩いていけます。一方通行ということもありませんし、……!?」
雪斗が話し出し、二人で足を進めようとしていたときのことだった。
空がにわかに掻き曇った。不穏な紫電が雲のあいだを走り、耳を劈くような鳴き声が降ってきた。
雪斗が警戒に身を強張らせ、沙羅も表情を険しくした。
雲を分けて、禍々しい怪鳥が現れる。極彩色の大きな翼は色だけを見れば美しいのに、組み合わさって妙に毒々しく、背筋に怖気が掻き立てられる。対して体の色は地味で、薄汚れた色で斑ができており、羽毛が毛羽立っているようだ。と見れば、斑が不規則に動き出した。まるで瞼を開こうとでもするかのように蠕動している。尾は三又に分かれてそれぞれ形が違い、雀蜂の針、蛇の尾、あと一つは鱏の尾棘だろうか。
そして顔は、言い表しようもないほど醜悪だった。眦まで避けた瞼から極端に黒目の小さな眼球が零れ落ちそうで、鼻は潰れ、鉤爪のような嘴の奥からは紫色の舌が見えた。
「…………!」




