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「…………川、ですよね……?」
「……流れがありますから、そうではないかと思うのですが……」
確信が持てずに呟く沙羅に、応じる雪斗の声も困惑している。その声には驚嘆も混ざっているが、沙羅にはその気持ちもよく分かった。
見渡す水がどこまでも透き通って、まるで鉱物のような煌めきを放っているのだ。風はなく細波も立たず、日光も月光もないのに水面が煌めく。空は黄昏時にも似た色が混ざっており、こちら側は明るいが、対岸の方は暗闇に沈んでいる。これも向こう側が見通せない理由の一つだろう。
河原は角の取れた灰色の石で覆われ、草木の類は見当たらない。川の中にも藻や魚などの生命の気配がなく、それゆえにどこまでも清浄だった。
「……明るい此岸に、暗い彼岸。石の河原……」
雪斗が呟く。何かに思い至ったのだろうか。尋ねようとして、沙羅ははっとした。雪斗の袖を引き、注意を促す。
「雪斗さま! 何か来ます!」
川を横切るように、何かが近付いてくる。
近付いてくるものを二人が注視していると、それとは別に、右手の方から枯枝が流れてきた。見渡す限り木など無いが、上流には生えているのかもしれないし、そもそも上流など無いのかもしれない。
どこからともなく流れ着いた枝は板になり、木組みになり、たちまち渡し場の形を取った。
そこに、何かが――小舟が、近付いてくる。粗末な外套を纏った船頭が乗っており、長い櫓を操っていた。
「三途の川の渡し守……!?」
思い至ったというように、雪斗が驚いて呟く。その声が聞こえたかのように、まだ遠くにいた船頭――渡し守は、二人に浅く一礼してみせた。
渡し守は急ぐでもなく一定の調子で漕ぎ続け、小舟を船着き場に付けた。船の中から、二人に声をかける。
「これはまた、珍しいところから来なすったね。乗るのかい? お代は六文だよ」
口調は飄々としているが、妙に現実味のない声だった。年齢も性別も読み取れない。
声だけでなく、姿も明らかでなかった。頭巾のついた外套が頭の先から爪先までを覆っており、頭巾を深く被っているせいで顔も分からない。
「六文、ということは……やはり君は、三途の川の渡し守……!?」
「左様で」
渡し守は、ひょこりと頭を下げてみせる。
「いやあ、たったの六文では碌な上がりもありません。補修すらままならないぼろ船ですが、乗るんならどうぞ。いやはや、どこかに儲け話でも転がってないもんですかね。船を丸ごと買い換えたいもんですよ」
いやに俗っぽい渡し守だ。妙に感心する沙羅の横で、雪斗は困惑した様子で問いかけた。
「乗るんならって……乗らなくてもいいのですか?」
「左様で。わたしの仕事は客を運ぶことであって、客にならないもんに無理強いすることじゃあありません。それは他の奴らの仕事でさあ」
「他の奴らとは?」
「そりゃあ、時々によって違いますよ。わたしとしては、船に乗ってもらうのがいちばん穏当だと思いますがね」
「そうか……拒んだら、もっと厄介なのもが現れる可能性があるのか……」
雪斗は呟く。どうやらこうしていられる時間は長くなさそうだ。沙羅は渡し守に聞いてみた。
「わたくしたちは小さい女の子を探しているのです。苗字は千和、名前は和歌菜。船に乗せた覚えはありませんか?」
渡し守は曖昧に首を振った。
「客のことは秘密厳守でさあ。客にならなかったのならわたしは知りません。どちらにしろ、何も言えねえんです」
「なるほど、その通りですね。聞いたわたくしが悪かったわ、失礼しました。渡し守の鑑でいらっしゃいますね」
「恐縮で」
二人の気の抜けたやり取りに、雪斗が呆れたような顔をした。渡し守の鑑って何だ、と顔に書いてある。
雪斗は話を変えるように言った。
「珍しいところから、と君は先ほど言いましたね。どういう意味でしょうか?」
渡し守はひょこりと首を傾げた。
「どうもなにも、そのままでさあ。生きたまま体ごといらしたんでやしょう? 体を置いてくるのが普通ですが、体ごとそのまま、こちら側へと通す道もあるにはありますからね」
こちら側とは幽世のことだろう。確かに二人は、参道を通ってこちら側へと来た。特異な例だろう。
だが、と渡し守は言葉を重ねた。
「どこからどうやって来なすったにせよ、渡るんなら一方通行でさあ。その体も、いつまで保つかね」
そう言われても沙羅は瞬いただけだが、雪斗はこくりと喉を鳴らした。彼の手が喉に当てられ、その視線が水面をさまようのを見て、沙羅は思い至って急いで声をかけた。
「雪斗さま、喉が渇いても川の水を飲んでは駄目です。幽世のものを口にしたら、現世に帰れなくなってしまいます」
言いつつ、荷物から水筒を取り出して手渡す。
「飲むならこれを。必要分だけ飲んでくださいね」
「……ああ、すみません。ありがとうございます。僕も水筒を持っていたのに思い至りませんでした……」
雪斗は我に返ったように言い、沙羅が渡した水筒から大事そうに水を少しだけ飲んだ。
少し落ち着いたのか、疑問に思い至ったようで首を傾げた。
「そういえば、壬堂家の霊能は幽世に由来するもので、それは幽世の花を食べたからだと沙羅さんに聞いたような……」
由来がそうなら、どうして壬堂の家は現世で力を受け継いでいるのかと疑問に思ったらしい。当然の疑問だ。沙羅は目を伏せた。
「……。花を食べたその者は、帰れなかったと聞きます。その者の子供だけが、かろうじて現世に生を受け、力を継ぐことができたのだと……」
そうして壬堂は、血筋で力を受け継ぐようになったのだ。




