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幽世の花嫁  作者: さざれ
少女の行方
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 捜索二日目の朝はゆっくりと始まった。焦る気持ちを努めて抑え、体と心の状態を保つことを心がけなければならない。なるべく普段通りの日常を送ることは、現世の存在としての在り方を保つために重要だ。

 沙羅は重い瞼をこする。疲れを取り、捜索に備えるため、睡眠時間はたっぷり取った。雪斗の疲労具合を考えても、休息時間は充分に取らなければならない。沙羅も早めに床についたのだが、普段よりも寝つきが悪かった。慣れない寝具だからというからではなく――大きな寝台にふかふかの寝具の寝心地はとても良かった――、昨晩の話のせいだ。

(雪斗さまは……)

 思考がそちらへ流れていこうとするのを押し止め、沙羅は大きな硝子窓から外を見た。薄曇りのようで、歩き回るのには有難い天気だ。強い日差しもなければ、動きを制限される雨もない。このままの天気が続いてほしい。

 戸を叩く音がして、部屋の外から多鶴の声がした。

「沙羅さま、お目覚めでしょうか? お食事は時間通りでよろしいでしょうか」

 沙羅は戸を開けて挨拶した。

「おはようございます、多鶴さん。朝食は時間通りにお願いします」

「おはようございます。お食事について、承りました」

 すっきりとは程遠い顔をしていたのだろう、沙羅の顔を見て、多鶴は案じるような表情になった。沙羅は無理に笑顔を作った。昨日の話は気にしていないのだ、と表情で示す。

「お食事、楽しみにしていますね。多鶴さんのお料理、どれも美味しいので」

「……ありがとうございます。たっぷりご用意させていただきますね」

 多鶴は一瞬、謝りたいような素振りをみせたが、沙羅は押し切った。昨日の話は、聞いておいてよかったものだ。

 多鶴は一礼し、階下へ降りていく。

 使用人に対してそんなに丁寧な物言いをしなくてもいいと雪斗からも多鶴からも前に言われたのだが、主筋である楠乃瀬の身内ならともかく、婚約者というのは微妙なところだ。雪斗のように鷹揚な態度が身に付いているわけでもない沙羅には、身内でもない年上の人に砕けた口調で話しかけるのは難しい。壬堂家の使用人たちについては、家族のようなものだから別だ。

 身支度を整え、時間に合わせて客間を出て階段を下り、一階の食堂へと向かう。雪斗はすでに来ていた。

「おはようございます、沙羅さん。よく眠れたでしょうか?」

「おはようございます、雪斗さま。おかげさまで。体調は如何でしょうか?」

 何気なさを装い、沙羅は挨拶を返した。寝起きならともかく、今は瞼の重さも引いている。雪斗にも不自然に映らなかったらしく、何も指摘されなかった。

「もう大丈夫です。子供みたいに深く眠ったみたいで、自分でも驚きましたが。昨日はありがとうございました」

 疲労困憊した雪斗と身を寄せ合ったことを思い出して、沙羅は思わず視線を彷徨わせた。

「ええと、いいえ、こちらこそ助けられていますし……」

 席につくと、多鶴が朝食を用意してくれた。香ばしい麺麭パン牛酪バター、厚切りにして焼いた燻製肉と落とし卵、新鮮な野菜、甘橙オレンジの果汁、牛乳といった洋風の献立だ。

 壬堂家では基本的に和食だが、こういった献立も嬉しい。朝から、しかも食事として甘いものを飲むのは背徳感のある贅沢で、沙羅は甘橙の果汁で喉を潤して頬を緩めた。

 食べながら今日の予定について話そうと思っていたのだが、一度食べ始めてしまえばそれどころではなくなった。かりっとした麺麭と滑らかな牛酪の組み合わせは最高だし、卵は口の中で濃厚な黄身を広げ、燻製肉の塩気が麺麭によく合って体に染みわたる。口直しのように野菜を食べ進めると、まるで季節そのものを取り込んでいるかのような爽快感があった。

 夢中で平らげ、食後の珈琲をいただく。最初に飲んだときは驚いたが、今ではすっかり好物の一つだ。香りがまた、たまらない。

 満足して我に返ると、雪斗が微笑ましげな表情で沙羅を見守っていた。何とも決まりが悪い。

(……これでは子供扱いされても、何も言い返せないわ……)

 思わず視線を逸らすと、多鶴もにこにことこちらを見ていた。ますます居心地が悪い。

「美味しそうに召し上がっていただいて、作り甲斐がありますわ」

「……どれも美味しかったです。ご馳走様でした」

「ようございました。お好みがあれば何なりとお申し付けくださいましね」

「好みなんて、そんな……」

「沙羅さんの好みは、麺麭ならふわふわして口当たりの軽いものかな。違いますか?」

「私にもそう見えました」

 雪斗の言葉に、多鶴も同意して頷く。当の沙羅だけがよく分かっていない。

「え……? ええと、どれも美味しいですが……?」

 さくさくしたものも、しっとりしたものも、どれも美味しいと思う。

「沙羅さんは小食な方だし好き嫌いもあまりなさそうですが、見ていたらなんとなく分かりますよ」

「そういうものでしょうか……」

 好き嫌いをしないようにと芙美に躾けられたが、そもそも沙羅は好き嫌いを言わないたちだった。出された分をありがたく頂くだけだった。食べることにあまり執着もしなかった。

 だが、最近はどうだろう。食事が楽しみだし、傍から見て分かるほどに好みが出てきているらしい。それが我ながら意外だった。

 多鶴の作る料理が美味しいのは確かだが、壬堂の家でも出された食事も同じくらい美味しかった。違いがあるとすれば――雪斗の存在、だろうか。

(おばあさまと一緒に食事をしていた時と同じ……いえ、似ているけれど少し違う……)

「雪斗さまの麺麭のお好みは、ぱりっとした食感のもの。少し焦げ目がつくくらいのもの……違いますか?」

「よく分かりましたね」

 沙羅が言うと、雪斗は目を丸くして肯定した。多鶴も頷く。

「そうなんです。坊ちゃまは昔から、麺麭の皮の部分がお好きで。その部分ばかり選んで召し上がったりとか……」

「余計なことは言わなくていい。それと坊ちゃまはやめてくれ」

 雪斗が苦々しげな顔になる。多鶴は涼しい顔だ。沙羅は思わず微笑んだ。

(何か……いいな。こういうの……)

 好みを指摘できるほどに、沙羅も彼のことを見ていたのだ。婚約者としての実感が、少しだけ湧いた気がする。

(いつか、解消するつもりの関係ではあるけれど。おばあさま、こういうこと……?)

 現世に生きて、食べて、暮らすということ。その実感を、沙羅は少しだけ噛み締めた。

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