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いちおう麓には出たが、ここから東鶯邸まで歩いてどのくらいかかるだろうか。雪斗が動けないようなら、通りがかった人をつかまえて伝言を頼むなり、どこかで電話を借りて車を回してもらうよう頼むなりしなければならない。
沙羅の考えを読んだように雪斗が言った。
「歩けます。……でも、あと五分だけ休ませてください」
「分かりました。山からは下りましたし、急がなくて大丈夫ですから」
もうすぐ夕暮れ――逢魔時にさしかかるところだ。幽世の山でこの時間帯を迎えることになるのは危険すぎるので、山を下りるのが間に合って良かった。逢魔時も危ないし、その後の夜はもっと直接的に危ない。幽世のものを見ることのできる二人だが、夜目がきくわけでもない。現世の森とて夜は危険だ。捜索どころではない。
「……正直、きついです。沙羅さんは平気なようですが……。でも、帰って来られました」
「繰り返せば慣れると思います。……それがいいことなのかは分かりませんが……」
繰り返すうちに魂が形を変え、幽世に消えてしまう危険だってある。慣れることは馴染むことで、手放しに歓迎できることでもない。本能的に危機感を覚えるなら、きっとそちらが正しいのだ。
「……。とりあえず、東鶯邸に戻りましょう。あとのことは休んでから話すことにして」
「……ええ、そうしましょう」
そう応える雪斗の声がどこか満足げで、沙羅は少なからぬ危惧を抱いた。
彼は幽世に、何かを探している。求めている。――幽世に、近付きたがっている。
そのことが、はっきりと分かったから。
沙羅は東鶯邸で風呂を借り、多鶴の心づくしの料理をいただき、荷物を整理して翌日の支度を整えた。電話を借りて千和家へも連絡を入れておいた。雪斗の体調次第だが、翌日は朝から捜索を再開するつもりだ。
洋間の応接間で舶来の紅茶をいただきながら雪斗と翌日の捜索の方針について話し合い、最低限必要なことを確認して割り当ての客間に下がろうとした時だった。
「沙羅さま。申し訳ありません、少しよろしいでしょうか?」
「多鶴さん。何ですか?」
多鶴に遠慮がちに引き留められ、沙羅は上げかけた腰を下ろした。多鶴は雪斗が部屋を出たことを確認し、潜めた声で沙羅に問いかけた。
「その……坊ちゃまとは……」
「雪斗さまが、何か?」
「いえ、あの……何もないですか?」
意味が分からずに首を傾げると、多鶴は重ねて問うた。
「その……寝室は別々ですが……」
そこまではっきり言われれば、さすがに沙羅も理解する。顔を真っ赤にして首を強く振った。
「一緒にしなくていいです! そんな、何もありませんから!」
ほとんど家族のような生活をしているとはいえ、あくまで婚約者同士の関係だ。少なくとも沙羅にはそれ以上のものになるつもりはないし、実のところ雪斗もそうではないかと思っている。いざ実際に結婚するとなったら躊躇うのではないかと。……誰か想う相手がいそうでもあるし。
「申し訳ありません。心配なのは……坊ちゃんが失礼を働いていないかということで」
「いえ、そんな……」
沙羅はほっと息をついた。
多鶴が親身になってくれるのが嬉しい。まるで雪斗の姉……というより、沙羅の姉のようだ。同性で年上の、頼れる姉がいたらこんな感じなのだろうと思う。
「私も、坊ちゃんが無理やり不埒なことをするとは思いません。ですが……婚約者でいらっしゃるお嬢さまを蔑ろにしてはいないかと……」
「蔑ろにはされていませんが……そういえば、子供扱いされました」
けっこう前のことだが。思い出して零すと、多鶴はいきり立った。
「やっぱり! やらかしていらしたんですね! 沙羅さま、お気になさらないで下さいまし。子供なのは坊ちゃまの方ですわ!」
「ええと、気にしていません。あんまり」
頼って甘えてしまった立場の自分だ。文句など言えるはずがない。だが、多鶴は首を振った。
「それは貸しとして覚えておくべきですわ。他にはございませんか?」
「ええと……特には、何も。良くしていただいています。婚約者というか、もう婿のように周りには思われているようで……それでよろしいのかしらと……」
「それなのに、進展は何もない……ということですね?」
沙羅は頷く。婚約の経緯が経緯だし、お互いに恋愛感情を持っているわけではない。……はずだ。
多鶴は視線を落として瞬きし、意を決したように顔を上げた。
「沙羅さま。これからお話することは、ただの昔話です。推測まじりのお話です。そうした扱いで、聞いていただきたいのです」
「……伺います」
多鶴に気圧されるように、沙羅は顎を引いた。多鶴は口を開く。
「もしかして……――――」




