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幽世の花嫁  作者: さざれ
神隠しの山
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 驚きながら問う雪斗に、沙羅は頷いた。

「ということは、子供は幽世にいると思っていいのですね?」

「それは……分かりません。おばあさまなら分かったでしょうけれど。わたくしには、現世と幽世との別が感覚で分からないので」

「でも、箸の先は山の中を指しているようです。増水した川に流されたのなら逆方向ですし、子供の足で歩いて行ける場所でもありません。幽世だと思っていいのでは?」

 雪斗の指摘に、沙羅は首を振った。

「幽世は遍在するものですから。辿って行った先が現世の川の下流域に繋がっているかもしれませんし、家の裏手に出るのかもしれません。距離も方向も、幽世では意味をなさないのです。箸が示しているのは、わたくしたちが辿るべき道筋がこちらだというだけ。極端なことを言えば、歩き始めてすぐに、箸が逆方向を向いてもおかしくはありません」

「……。そういうものなのですね……」

 幽世を出入りする沙羅の言葉には説得力があったとみえ、雪斗は納得したように唸った。

 二人はそのまま、台風の通りすぎた夏山の中を進んでいった。台風は現世でのみ起きる現象ではない。そうした天候は神々の意によって左右されるもの、現世と連動する幽世にも嵐の余波は及ぶ。余波どころか、むしろこちらの変化の方が「本物」であるとさえ言えるかもしれない。

 青々とした葉がついたままへし折れた大枝を避け、古い倒木をまたぎ越し、泥濘に足を取られながら進む。服も履物もどろどろになるが、道を違えるわけにはいかない。箸に示される通りに進まなければ、意味が異なってきてしまうからだ。行きつく先が変わったり迷ったりしてしまうのは恐ろしい。

 だが、足元の悪さや夏草の繁茂ばかりが理由ではなく、二人の道行はなかなか進まなかった。

 雪斗の顔色が悪い。足取りも重く、時折ふらつくこともある。案じた沙羅が問えば大丈夫だと返ってくるが、どう見ても大丈夫ではない。

 はらはらしながら様子を窺っていた沙羅だが、とうとう痺れを切らして雪斗を問い詰めた。

「どういう風に具合が悪いのか、仰ってください。説明していただけないのでしたら、ここから一歩も動きませんから」

 足を止めて頑として動かない姿勢になった沙羅に、雪斗は諦めたように息をついた。木に体を預けるようにして額を押さえる。体がつらそうだ。

「……視界が、二重写しになっているんです。現世の背立山と幽世の背無山が二重に見えて……」

 雪斗はずっと眼鏡を外したままだ。幽世が見えている。だが、同時に現世をも見ているのだ。それは沙羅には盲点だった。

 沙羅の視界は――というより、沙羅が存在する空間は――完全に幽世ものもだ。しかし雪斗は二つの世界の狭間に立っている。違和感を覚えて当然だ。思い至らなかった。

 かといって不調を解消するために眼鏡をかければ、見えない枝でひっかき傷を作ったり、ないはずの石に躓いたりしてしまう。幽世を歩く沙羅から離れれば一人でさまようことになってしまう危険もある。紫紺の色を封じるわけにはいかないのだ。

「……少し休みます」

 一方的に宣言し、沙羅は先んじて大岩に腰を下ろした。強制的にでも雪斗を休ませるつもりだった。

 沙羅はたいして疲れておらず、休憩は自分のためだと雪斗は分かっただろうが、何も言わずに従った。彼の悔しそうな表情を見て、沙羅は言葉をかける。

「焦る必要はありませんから、きちんと休んで」

「ですが、僕のせいで遅れてしまう」

「いいえ、逆です。想定よりもずっと早く進めています。雪斗さまのおかげで」

 そう応じる沙羅に、雪斗は怪訝そうにした。彼を休ませる時間を稼ぐのも兼ねて、沙羅は説明する。

「幽世の現れ方は本当に多様なのです。何が起こってもおかしくはありませんし、現世ではありえない地形や生物を目にすることもあります。もっとも、それを生物と言っていいのかは分かりませんが……」

 伝承の鬼や妖怪のたぐいなどがそうだ。そうした幽世の存在はときおり現世に現れて害をなす――富を授けたり福を運んできたりすることもあるが、珍しい――が、現世に長く留まることはない。

 逆に言えば人間も同じで、幽世に長く留まっていられるものではない。死者の魂は幽世に還るが、それは魂がもともと幽世に属するものだからだ。体という容れ物は現世のもので、幽世と相容れるものではない。沙羅の体質は、本当に特殊なのだ。

 沙羅のように体ごとではなく、魂だけで幽世を訪れる霊能者もいるが、当然、危険なのは変わらない。それでも利があるとすれば、幽世に比較的長い時間とどまっていられる点と、体の形に縛られずに動くことができる点だ。

 鳥になって空を飛ぶ。竜として地に潜る。あるいは月として、あるいは音として、さらには概念そのものになって。

 ただ、そこまでの無茶をして魂に負担をかけるのは危険が大きすぎるため、ほとんどの術者は魂としてであっても人の形を保つ。魂は幽世の性質を少なからず分有するもので、現世の形を失えば容易く幽世と同化してしまうからだ。そうなれば遠からず、現世の体も失われてしまう。

 魂がたとえば蝶の形をとって幽世を飛ぶとき、その蝶は自分が人間だったことを覚え続けていられるのか。そういうことだ。

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