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「背無山は隠れの山。もしも失踪が神隠しだったのなら、背無山が関わっている可能性が高いと思います。わたくしは壬堂家の者として、動かなければなりません」
衝撃的な話から立ち直れずにいるらしく、雪斗はこめかみを押さえ、首を横に振るようにした。ややあって、喘ぐように言う。
「……でも、沙羅さん。そうは言いますが……君は、依頼があるまで動こうとはしませんでした……」
背無山を見せられて理解が追い付いていないらしい。雪斗は山から視線を逸らし、話を戻した。
咎められているとも取れる言葉だったが、沙羅は冷静に返した。
「依頼がなければ動けないのです。わたくしたちは背無山と人々とを、いわば仲介する立場にありますので。人々の意向を勝手に代弁するわけにはいきませんし、背無山のなさることを咎め立てするような行いもできません。中立的でいなければならないのです。背無山に仕える祭祀の家系の者として……」
沙羅がどんなにじれったく思い、居ても立ってもいられない気持ちだったか、説明してみせたいくらいだ。探せる力があるのに、探したい心があるのに、役目がそれをさせてくれない。実のところ沙羅は、洋蔵の依頼を今か今かと待ちわびていたのだ。
「それが、壬堂の役目。おばあさまは説明なさらなかったのでしょう? 壬堂家の婿になるということは、役目を引き継ぐということなのに……」
言ってしまった、と沙羅は肩の荷を下ろした気分だった。
ずっと、疑っていたのだ。思っていたのだ。芙美は雪斗を、沙羅の婚約者としてではなくて……壬堂家の後継者として、選んだのではないかと。いつ幽世に消えてしまうか分からない不安定な沙羅ではなく、役目を伝えていく人間として、彼を選んだのではないかと。壬堂の血を持たない彼だが、幽世を見通す紫紺の瞳と、壬堂家の関係者という立場が――沙羅の婚約者で、芙美の教え子という立場が――あれば、そして背無山についての知識を得れば――山は彼にも姿を見せ、彼を受け入れるはずだ、と。
沙羅はそれこそ、仲介役に過ぎない。壬堂の家と、雪斗との。
暑さの盛りを越えて枯凋に向かう、目に痛いほどの濃緑をした山々の前で、雪斗に向き直る。背無山と壬堂についての情報を伝える。押し付けるように。
怯えて逃げ帰るなら、それでもいい。彼の安全を確保できる。
受け入れて進むのなら、それでもいい。壬堂の役目を伝えることができる。
「は、はは……」
だが予想外に、雪斗は笑い出した。ぐしゃりと前髪を掻き分けて額に手根を押し付ける。
「そうか、背無山……そうか。そこにいるのか」
「…………雪斗さま?」
気が触れてしまったかと案じたが、雪斗はすぐに元通りの態度を取り戻した。沙羅に頷きかけ、きっぱりと言う。
「行きましょう、沙羅さん。子供が背無山に隠されてしまったのなら、見つけてあげなくては」
「……よろしいのですか? ……大丈夫でしょうか……?」
このまま進もうとする雪斗に、かえって沙羅の方が面食らう。役目を引き受ける方向でいいのか。一気に色々なことを知らされたが、大丈夫なのか。
「大丈夫です」
雪斗はきっぱりと言い切り、足を踏み出した。恐れることなく――むしろ、待ちかねたように。
その様子に沙羅は違和感を覚えたが、彼のやる気に水を差すこともない。ひとつ深呼吸をし、鳴り続ける音無しの鈴の音を追うように、沙羅も背無山へと足を踏み入れた。
幽世に入ったからといって、ただちに何かが劇的に変わるわけではない。たとえば水中に落ちるのとは違って、空気中に無臭の毒が混ざり込んでくるかのように、気づかないうちに、徐々に心身が侵されていく。幽世の危険はそういう類のものが主だ。
風景も、おおむね現世のそれと変わりない。空も木々も地面も、基本的には現世の景観と同じだ。それも当然で、現世は写し世、幽世を映した世界であるのだから。
だが、現世のそれが確として固定されているのとは異なり、幽世の風景は不安定に移ろっていく。夏山かと思えば下草が筍に変じたり、雲から雪が降り出したかと思えば鳥の羽に変わったりする。
そうした不思議を、沙羅は頭で考えないと見分けられない。雪斗のように霊能はあっても普通の人間である存在には違和感を伴って見えるそれらが、ごく自然な当たり前のものとして見えてしまう。
雪斗はさすがに少し緊張した様子だ。沙羅も自分ひとりの時ならまだしも、今は雪斗の命も預かっている。幽世の空気に身を委ねてぼんやりしている場合ではないので、どこか懐かしく慕わしく感じる幽世の空気を振り払い、荷物から箸を取り出した。千和の家で借りた、和歌菜の箸だ。
それを掌に乗せ、軽く浮かせる。雪斗がそれを見て驚いているが、このくらいのことなら沙羅にもできる。
「道を指し示して。導いて」
命じると、箸がまるで羅針盤の針のように回った。しかし尖った方は北を指していない。北東の方を向いている。
「それは……子供の居場所を?」




