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幽世の花嫁  作者: さざれ
神隠しの山
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 どういうことだか説明してほしい、と驚く雪斗を焦らすつもりはないのだが、見せた方が早い。沙羅は雪斗に頼んで東鶯邸から車を回してもらった。宝天に入ってから車は一般にも普及し始めているが、所有できる者はまだまだ限られる。裕福な楠乃瀬家は所有しているが、黒須平ではとうぜん誰も持っていない。

 川沿いを歩く途中で車と合流し、上ノ杜に向かう。車中で雪斗は少し呆れた顔だ。

「急ぐのは分かるのですが、川を遡る、って……もっとこう、巡礼者みたいに自分の足で歩くものだとばかり……」

「文明の利器を使わない理由がありませんから。おばあさまも仰っていたわ」

「まあ、芙美さんはね……先進的な考えの人でしたし」

 芙美の教えを受けた沙羅も、実はそうした傾向がある。形は大切だが、真に力のある術者は、そうしたことをすっ飛ばしても力を発揮できるものだ。驕るつもりはないし、従える限りは従おうとは思うが、場合によりけりだ。

 川の合流地点――背立山に源を発する川と、劫背連山の他の山から水を集める川とが合わさる地点――よりも少し手前で車から降り、二人は上流を目指した。

 隣で歩みを進める雪斗はいろいろと疑問に思っていることだろう。説明しようと沙羅は口を開いた。

「前に話の中で出たことがありましたね。背無山とは、背立山の古名だと」

「ええ、そう聞いています。古い文献に出てはきますが、代わりに背立山の名前が出てこないから、背立山の古名だというのが通説のはず」

 雪斗は目前の劫背連山の尾根筋を目で辿っている。このあたりに住む人々が最も馴染んでいるのは背立山だが、その他にも主なものだけで七つの山があり、奥の方は山岳修行の場にもなっている。

「確かに、古い名前ではあります。けれど……」

 沙羅は雪斗の手を取った。驚く彼に構わず、しっかりと握る。繋ぎ止めるように。

「掛けまくも畏き背無山大神、畏み、畏みも申す――」

 祝詞を口にする沙羅の目の前で、山が、ぶれていく(・・・・・)。輪郭が確かさを失い、あたかも残像であるかのように――二つ目の山が、現れる。

 雪斗が紫紺の瞳を瞠り、息を呑んだ。囁くように、沙羅は壬堂の伝える秘密を口に出す。

「この山が、背無山。古名ではなくて……今も同じ名前を持つ、幽世に立つ山。背無山は……背立山と、いわば鏡写しのように、存在しているのです」


 幽世は隠り世。神々がお隠れになった世界。

 現世は写し世。幽世を写し、映し、移ろっていく世界。

 幽世から見れば、虚像なのは――現世の方なのだ。


 雪斗は目を見開いたまま、幻のように現れた山を凝視している。

「昔は現世に在られたそうですが、お隠れになったようです。それも、本当に遠い昔のこと……文献から背無山の名が消えるのは、千年を遡るとか」

「……いや、そんな……まさか……」

 雪斗は絶句している。それも無理はない。幽世の怪現象を見てきた彼でも、さすがに山ひとつという規模の大きさは経験にないに違いない。そして、

「背無山は、神体山――お隠れになった神そのものなのです」

 この和国には八百万の神が在られて、お隠れになった時期こそ異なるものの、今では全ての神々が幽世に鎮まっておられる。

 本当に八百万もおられるのか、修辞上のことなのか、それとも八百万以上なのか、それは明らかでない。

 確かなのは、背無山がそのうちの一柱であられることだけだ。

「…………沙羅さん……」

 雪斗が、喘ぐように沙羅を呼ぶ。沙羅に向けられる瞳には紛れもない恐怖と驚愕が浮かんでいる。気持ちは分かるが、その感情を克服してもらわなければならない。何故なら――

「雪斗さまは遠方の山で修行をなさったそうですね。峰入り修行に近いのかしら。こうした存在には出会いませんでした?」

 ない、と雪斗は力なく首を振った。

「……峰入りに参加して、強い力を感じたことはあります。巨大な人影のぼんやりとした輪郭を見たこともあります。ですが、こんな、こんなことは……」

「峰入りは歴史がありますし、伝統として洗練されて昇華されていますし、力を得るにはとてもいい方法だと思います。でも、神々がお隠れになって人々の目から隠されているのはどこも同じ。伝統を大勢で継承することは形式化を進め、それは危険を減らすことになるけれど……可能性を狭めることにもなる」

「……沙羅さん……こんな存在を、君はどうして……」

 沙羅は短く息をついた。

「それは、壬堂が――背無山を祀る一族だから。背無山に由来する霊能を持つ一族だから」

 背無山が現世に存在していた時は、社を建て、各種の儀礼で慰撫し、一族の者が朝な夕な神饌を捧げていたという。

 人々は背無山を拝んだ。山は豊かな恵みをもたらす一方、気まぐれに人の命を奪った。土砂崩れ。鉄砲水。獣の害に、急な嵐。山は生死を、限りない豊かさと底知れない恐ろしさを、幸と禍を、生み出す存在だった。人々はその中で、風に翻弄される木の葉よりも無力だった。

 壬堂の一族は、その霊威の一端を授かり、人々と背無山とを繋ぐ存在だった。伝えられている話によると、幽世に咲いていた花を食べることで力を得たのだという。

 そうして壬堂は役目を伝え、人々は長い時を過ごしてきた。

 だが、背無山はお隠れになった。神々が和国の表舞台から姿を消し、次々と幽世へとお隠れになっていく時代に、背無山もまた現世から姿を消した。

 現世に立つ背立山は、背無山の「写し」なのだ。入れ替わるようにして現れ、違う名前を与えられた、「現し」の山。

「背立山を通じて、背無山を祀ろうとしたこともあったそうです。でも、長続きはしませんでした」

 そして壬堂の家は、現世の中で生きるようになったのだ。――背立山と同じように。

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