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幽世の花嫁  作者: さざれ
雨夜の妻問
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 沙羅と芙美は、広いが古い屋敷に二人で暮らしていた。とは言っても通いの手伝いが何人もいた上、芙美を訪ねてくる者は引きも切らなかったので、女性の二人暮らしにありがちな心細さなどとは無縁だった。

 芙美はまじない師で、失せ物探しをしたり、作柄を占って農事についての助言をしたり、疫病の流行を言い当てて対策を講じたり、とにかく手広くいろいろなことをしていた。

 中でも得意だったのは人探しで、評判は遠くにまで届いていたらしく、何日も、ときには数十日以上をかけてはるばる芙美を訪ねてくる者もいたほどだった。

 屋敷のある黒須平くろすだいらは、京に続く街道に程近く、辺りは開けて豊かな田畑が広がっている。近隣にある宿場町で消費される穀物や野菜はこの一帯で獲れるものが多い。人の行き来も多く、芙美のもとに相談に訪れる者も途切れることがなかった。

 沙羅は芙美の仕事を手伝って学んだり、書物を読んだり、機を織るなどの手仕事をしたりして日々を過ごしていた。

 芙美は交友関係が広かったが、沙羅はあまり社交的な性質ではない。人に会うよりも、山に入って薬草や鉱石を採取したり、各種の記録を突き合わせて分析したり、物を作ったり、そうした作業のほうが好きだった。

 だが、そういった孤独な作業ばかりを続けようとする沙羅を、芙美はつとめて人々の側へと引き戻した。

 沙羅が芙美以外に家族を持たないから、祖母がいなくなっても社会の中で生きていけるように。それもある。年頃なのに碌な交友関係のない沙羅を心配して。それもある。

 だが、より切実な理由は、沙羅の体質にあった。

 沙羅は――幽世に近いのだ。


 人々の生きる現世と、神々がお隠れになった幽世とは、幽明の境を曖昧にしたまま連続し、重なり合い、影響を与え合っている。

 ときおり向こう側に――幽世に――迷い込む者がおり、神隠しに遭ったなどと噂される。あるいは仙境に遊んだとか、英知を得たとか、金銀財宝を持ち帰ったとか、夢のような話もある。

 芙美のまじない師としての力も、幽世に由来するものだ。芙美や沙羅の名乗る壬堂みどうの家は、先祖代々、そのようなあやしの力を用いて世を渡ってきた。

 その中にあっても、沙羅は特異だった。

 なにしろ、幽世のものをのべつ幕なしに見てしまう。聞いてしまう。触れて、匂いや味さえ感じて、しかもそれを現世のものと区別ができない(・・・・・・・)。

 普通の人には感じられない、霊能のある者には違和感を伴って感じられる、そのようなものが沙羅にとっては現世のものと何ら変わらないものとして「在る」のだ。それを幽世のものだと判別するには、頭で理解するほかない。池もないのに波音がするのはおかしいとか、雪が積もり続けているのに足跡が消えないのはおかしいとか、そうした不自然に気付かなければそうと分からない。感覚はあてにならず、理性を働かせるしかなかった。

 壬堂の家にとって沙羅の資質は貴重なものだが、それも、家が途絶えては意味をなさない。かつては宮廷に伺候する者も輩出した一族だが、いま壬堂を名乗るのは芙美と沙羅の二人だけだ。帝の禅譲によって明治から宝天ほうてんへと時代が変わって既に三年、外国とつくにの文物や風習がいよいよ盛んに流れ込みつつある今、幽世に関わる事柄はたとえば平安の世のようには注目されない。そのようなものは人々の意識の裏へ、見えにくい暗がりへと潜り込み、息を潜め……しかし、決して無くなりはしないのだと、芙美は沙羅に教えた。

 芙美は沙羅を、血の繋がりという確かな絆で現世に繋ぎ留めた。多くの人に引き合わせたのも、これからの生活のためというばかりではなく、人々との関係によって不安定な沙羅を現世に留め続ける意味があった。

 沙羅が機織りなどの物作りを教えられたのも、それが古から巫女たちの神聖な役目かつ修行の一環として行われてきたことだからだ。精神を集中させ、平常心を保つ修練。また、形ある物を生み出すことを身過ぎ世過ぎの術とするのと同時に、現世との繋がりを強くする意図が込められていた。

 だが、どんなに押さえつけても、宥めても、沙羅の心は時折、どうしようもなく暴れだしそうになる。尊いけれども卑しくて、崇高なのに俗悪で、この上なく貴重なのにありふれている、この世のもの全てから逃げ出したくなる。恐ろしくも懐かしい幽世に身を浸して、溶け切ってしまいたいと願ってしまう。

 沙羅にとって幽世はいつもそこにあり、一歩踏み出せばもうそこはこの世の外だった。季節も、天気も、地形も、何一つ定まったもののない幽世。現世を鏡写しに――金属の鏡ではなく、揺らいで不定形の水鏡に――映したような世界。その中ではすべてが定まらず、雨が降っているかと思えば花が降り、冬になったかと思えば夏に巻き戻る、そんなあやふやな世界。しかし、融通の利かない「現世」の方が「映し世」であるとされているのだ。映し、写し、遷し、移ろっていく、仮初の世界であるのだと。

 しかし、現世で移ろっていくのは世界ではなく、人の方ではないかと沙羅は思うことがある。そして、その中にあって自分は果たして……人として、移ろっていくことができるのか。

 まさか、思わなかった。絶えず不安定な沙羅を引き留めてくれていた芙美の方が、先に幽世へと旅立とうとしてしまうだなんて。

 芙美が病に倒れ、それがどうやら手の施しようのないものであることは、幽世に関わる二人には自然と分かってしまった。芙美はまじない師として数多くの病人を見てきており、沙羅は経験こそ少ないものの感受性は芙美以上に強い。二人とも言葉にはしないものの、互いに気付いていることは察していた。

 それでも芙美の病状をどうにか持ち直させようと、沙羅は看病の傍ら身を入れて学び、さまざまな療法や薬を試した。むしろ芙美自身の方が達観していたようだった。沙羅が芙美を案じるのとは逆に、芙美は沙羅のことを案じていた。

 芙美がいなくなれば、沙羅を直接的に現世に引き留めている家族がなくなる。そして、芙美が幽世へと片道の旅をするときは、沙羅もまた同じ道を辿るだろう。

 そのことは沙羅も分かっていたが、嫌だ、という気持ちがどうしても湧いてこないのだった。ゆるやかな諦念と――安堵。

 現世は素晴らしいところだし、生きていることは尊い。だが、それが何だ、と心のどこかで思ってしまっているのだ。生きたいとそれこそ必死になって求める人を数多く見てきたし、彼ら彼女らを心から応援して力添えを惜しまなかったが、それが我が事となると途端に現実味を失う。幽世が恐ろしいところだとは重々承知しているのだが、それが余人の言う「恐ろしい」とは何か違うことのように思えるのだった。

 そんな沙羅に、芙美は繰り返し諭した。言葉で、態度で、行動で、生きろ、と。

 おばあさまの仰ることだから従おう、そう思ってはいたものの、家族とはいえ他者からもたらされた思いと、自分の中から湧き出る思いとでは、後者に天秤が傾いた。

 抗えないまま、ふらふらと幽世へと引き寄せられた沙羅を引き留めたのは――

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