19
隼人はほどなく戻ってきたが、相変わらず視線が刺々しい。雪斗を睨みつけるようにしているが、雪斗の方は気にしていないどころか、むしろ楽しげにさえ見える。
そんな雪斗に気持ちを逆撫でされたらしく、隼人が吐き捨てるように言った。
「こいつと一緒に行動するなんて物好きだが、せいぜい注意するんだな。忠告はしたからな。危険に遭ってから後悔したって遅いぞ」
「ご忠告、痛み入ります」
まるでそう思っていないと分かる口調で言って、雪斗は眼鏡を外した。そのままじっと隼人と視線を合わせる。
隼人はたじろいだ。
「な……なんだよ?」
その態度は、注視を受けてごく普通に戸惑っているのだとはっきり分かるものだった。当然だ。隼人には紫紺の色が見えていない。
雪斗は軽く息をつき、再び眼鏡を掛け直した。
「少なくとも僕には、沙羅さんの隣に立つ理由があるのだとお見せしようと思いまして」
「はあ…………?」
隼人は困惑顔だ。雪斗もそれ以上は説明する気がないらしく、話を戻す。
「それで、何を持ってきてくださったんです?」
「……あ、ああ。これだ」
隼人が手に持っていたものを前に出して示した。
和歌菜の箸と、お気に入りだという玩具人形を借り、二人は千和の家を後にした。人形は食事の時に茶の間にこっそり持ってきて、部屋に持ち帰るのを忘れてそのままになっていたものだそうだ。ちょうどよかったと言っていいのか分からないが、助けになりそうなので借りていくことにする。
「箸を借りられたのは良かったですね」
雪斗は言うが、沙羅には意味が分からない。箸を選んだのは、茶碗のように欠けやすくなく、汁椀よりも嵩張らないからなのだが、他に理由があるのだろうか。
問うと、雪斗は頷いた。
「日常に密着した生活用品であり、古くから形が変わらずに伝わっている伝統もあり、命の元になる食べ物を体内に入れる、『橋渡し』するものですから。箸は豊かな文化史を持っていますし、実用的かつ呪術的です。箸に関する作法が多いということは、取りも直さず、それが重要なものだということを示していますね」
それだけではなく、と雪斗は付け加えた。
「八岐大蛇の伝承において素戔嗚命は、川を流れてきた箸を見つけて櫛名田姫のもとに向かいました。苦難に遭う娘を霊威から助け出すという、格好の意味づけができると思いませんか?」
「……確かに。仰るとおりですね」
八岐大蛇の話は沙羅も知っているが、それをこんなふうに意味づけるなんて思いもよらなかった。尊敬の目で見上げるが、雪斗は少し苦笑した。
「理屈は整えられても、僕にできることはそのくらいですから。『見る』ことはできますが、闇雲に探すのに近い。沙羅さん、当てはあるのですか?」
雪斗は眼鏡を外して沙羅を見た。沙羅は正直に答える。
「当てがある、と言っていいのかどうか……。とりあえず、川を遡ろうと思います。雪斗さまが意味づけしてくださいましたし」
左陣川の中流域以下は千和の捜索隊が特に念を入れて探しているはずだ。指揮系統に組み込まれておらず、情報共有もしておらず、捜索の素人である二人が加わってもあまり意味はないだろう。
それに、二人が行うのは通常の捜索ではない。幽世は点在し、遍在し、介在する。彼女が幽世に消えたのなら、通常の方法では見つけられない。沙羅たちに求められているのは、そちらの方面から捜索隊の穴を埋めることだ。
「二人で左陣川の川辺を歩いたときに幽世の星空を見たことがありましたね。今回もそういう現象を期待してのことでしょうか?」
沙羅は首を横に振った。
「まったく期待しないとは言いませんが、あまり目はないと思います。今は昼間だし、よく晴れているし、人目もある。現世が確として在るときには幽世と接続しにくいものですから」
川辺という境界的な立地は助けになるものの、その他の条件が悪すぎる。そうした突発的な現象は、往々にして目的地への近道となるものだが、当てにはしにくい。
「川を遡ることは最初から考えていましたが、先ほどの雪斗さまのお話を聞いて、ますますそうしようと思いました。川を辿ることは、素戔嗚命の行程をなぞることにもなりますから」
こうした意味づけは大事だ。雪斗も同感のようで頷いた。
「では、山に向かうということですね? 神隠しであれば、山で見つかる場合は多い」
「ええ、そのつもりです。理由はそれだけではなくて――」
沙羅は言葉を切り、雪斗を見上げた。その、紫紺の瞳を。
「――劫背連山には、幽世に繋がる場所があるのです」




