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「俺は知らん。名乗り出た者はおらんし、婚礼の類も一切なかった」
ぶっきらぼうに言い、作業があるから、と巌は背を向けた。雪斗は面食らったように巌を見送り、沙羅に目を向ける。沙羅は口をつぐんだ。
「……すみません。不幸があったばかりだというのに、配慮が足りませんでした。詮索して申し訳ない」
「いえ……。婚約者として壬堂に関わってくださっているのだから、家のことについて説明を求めるのは当然のこと。義理を欠いているのはこちら、なのですが……」
沙羅は言葉を濁した。心の中で芙美に恨み言を言う。
(おばあさま……どう説明しろと……)
そもそも、雪斗は何も聞いていないだろう。同居を始めてからの言動から推測するに。
「おかあさまは未婚のまま、わたくしが生まれました。父親については、とうぜん説明しなければならないのですが……おばあさまからは聞いておられないのですよね?」
雪斗は頷いた。
「借金を抱える縁者がいたり、問題のある家系であったり、そうしたことは一切ない、とだけ……」
「ええ……。それは確かです」
祖母は嘘をついていない。そうした世間並みの問題については、本当にいっさい心配いらない。だが、問題はそこではないのだ。――どこまで説明していいものか。
「………………」
「いや、無理に聞こうというつもりはないのです。話してもいいと思ってくれたら、そのときに聞かせてください」
言葉を探しあぐねる沙羅に、雪斗が助け舟を出した。
「……ごめんなさい」
きっと雪斗は分かっている。沙羅の父について話せないのは――雪斗を信用していないからだと。
泣きそうな顔で見上げる沙羅に、雪斗は苦笑した。
「ゆっくり待ちますから。それに……」
隠し事はお互い様だから、と雪斗が呟いたような気がしたのは――気のせいだっただろうか。
壬堂の家の表玄関は広く開かれ、店としての体裁が整っている。段差のない土間に白木の長椅子が何脚も用意され、壁際の棚には商品が陳列されたり抽斗に仕舞われたりしている。卓や甕なども並んでいる。
奥の方は一段高くなっており、その上り口を半ば遮るように、年季が入って黒光りする木の台が据えられていた。勘定や、ちょっとした作業の用に足るくらいの広さがある。奥の方にも売り物やら書きつけやらが仕舞われた棚が作りつけられており、広さの割に手狭な印象を与えた。
雪斗の婚約者になったからといって、沙羅のやることは変わらない。住まいを移すつもりもない。今日も沙羅は店に立ち、訪ねてきた客の相手をしていた。
「咳で喉が痛い、ですか。でしたら、これとか、これとか……」
客の状況と要望を聞き、粉状のもの、丸薬、水薬、いろいろな薬を卓に並べていく。客の女性は困った顔をした。
「壬堂さんの見立てだもの、効果は疑ってないけど……どれにしたらいいのかしら。小さい子供にも飲みやすいものってどれ?」
「小さいお子様でしたら、人参が入っているこれは苦手かもしれませんね。粉薬も飲みにくいでしょう。湯に溶かすものとか……」
思案する沙羅に、後ろから見守っていた雪斗が声をかけた。
「咳止めの飴ならどうです? うちから持ってきたものが何種類かあったはず。喉も保護してくれますし」
「そうですね、飴なら子供に喜ばれそうです。たしかこっちの棚に……」
瓶入りの飴を持ってきて示すと、女性は値段を見てほっとしたように頷いた。
「思ったより安いのね。いただくわ。ええと、いくつ必要かしら……」
会計を済ませて袋を受け取り、女性は満足した様子で帰っていった。沙羅はそれを見送り、雪斗を振り返った。
「助け舟をありがとうございます。……それにしても、商売上手でいらっしゃいますね?」
雪斗は苦笑した。
「割り込んですみません。まだ、ここの商品はあまり把握していなくて。喉飴ならうちでも扱っていますし」
「いえ、言ってみただけです。うちでも薬は扱っていますが、楠乃屋さんの規模とは比較になりませんし」
まじないと薬は切っても切り離せないし、他所では手に入らない特殊な呪薬もあるが、一般的な薬を幅広く扱う楠乃屋とは勝負にならない。芙美がしていたように店の商品を売り、依頼を受け、まじない師としての仕事を引き継ごうとしているが、沙羅は芙美ほど特化された能力――人探しとか、予知とか――を持たない。方向性を模索中だ。
「婚姻関係を前提としなくても、楠乃屋との提携を考えてみませんか? お力になれると思いますよ。ここでうちの薬を売ってもらえるなら、材料の買取価格も高くできますし」
「それは魅力的な提案ですが……少し考えさせていただければ」
外堀が埋まっていくような危機感を覚えて、沙羅は返答を保留した。
(おばあさまみたいにあちこちに呼ばれてまじないをするよりも、わたくしは店を軸にした方がいいかもしれない……)
芙美のような行動力がなく、人間関係を保つのにも苦労しそうな自分は、拠点からあまり動かない方がやりやすいかもしれない。
(薬の他にも売れるものはあるわ。わたくしは機織りや刺繍、組紐などの手仕事ができるから、小物にまじないをかけて売るのに力を入れてもいい。そうなると、材料の仕入れは……)
いつの間にか具体的な工夫を考えている自分に気付いて、沙羅は少し驚いた。小さい頃から芙美の手伝いをし、そうした生活をずっと続けていくのだろうと漠然と思っていた。そこに自分の創意工夫など入る余地はなかったし、芙美に出来て沙羅に出来ないことはあっても、その逆はなかった。芙美の跡を継ぐ、役目を引き継ぐ以上のことを考えることなどなかったのだ。
そもそも沙羅は、芙美を失ってなお自分の人生が続いていくとは思っていなかった。自分を現世に繋ぎ止めていた祖母がいなくなる時、自分もまた幽世に還ってしまうのだろうと。
だが、沙羅はこうして生きている。いまだ不確かだが、歩いていこうとしている。こうしていられるのも、雪斗が助けてくれて、今もここに居てくれているおかげで――




