番外編 coffee break
しとしとと六月の雨が降る薄暗い朝。雨音が静かに響く部屋に溜息混じりの悲鳴が響く。ちゃぶ台のような小さい机の上で灰色の部屋照らすパソコンと睨めっこして早くも数時間が経とうとしていた。明日提出のレポート課題なんてものがあることを知った昨夜。寝る間を惜しんで取り組むが終わる兆しなど見えない。果たして間に合うだろうか。いや、間に合わせないといけない。
「なんなんじゃ?朝から」
眠そうな目を擦り、布団からいそいそと出てくるコトエ様。ちらりと時計を確認し、想像以上に時間が経ってしまっていることに気づく。
「おはようございます。すいません。お騒がせしてます」
パソコンから目を離さず言葉を放つと、後ろから優しく抱擁される。
「ん。おはよ」
ふわっと広がる、梅雨を感じさせない日向のような甘い香り。耳に優しくかかる呼吸。お腹に当たる温い手が心地良い。
ふわぁとコトエ様が欠伸する。徹夜し、張り詰めていた空間に朝の陽気が満たされていく。脳を睡魔が襲い、思考が止まる。背中に感じる温度が強張った体をほぐし、手をキーボードに残して体を預けそうになる。
いかんいかん。このままでは期限に間に合わない。しっかりしなくては。追い込まねば。
沈んでいく意識を引き上げ、弛む身体を鞭打つ。
「…お腹空いた」
コトエ様がぽつりと呟く。
「昨日買った食パンがあります。焼いて食べていいですよ」
「お主は?食べんのか」
「すみません。今手が離せそうにないので」
画面を睨み、キーボードを叩きながら応答する。
耳元であー、うー、と唸る声が聞こえる。一分くらいそうして何か迷った後、抱擁を解くと決心したかのように立ち上がる。すたすたと遠ざかっていく足音を耳が捉える。心のどこかで名残惜しく感じているのか、引き留めようとするのを我慢する。
しょぼしょぼする目を擦る。いったいなんでこんな面倒で大変な課題を忘れていたのか。悠長に遊んでいた昨日までの自分が憎い。いや、期限内に気づいただけマシだ。今はやれることをやるしかないのだ。
しかし気持ちとは裏腹に頭がぼーっとしてくる。コトエ様に私の分の食パンも焼いてくれと頼めば良かった。お腹減ったなぁ。
朝食のことを考えると忘れていた空腹が思考を邪魔する。集中力がなくなり、僅かに残った気力で画面と向き合う。しかし何も考えられず、ふっと意識が飛びかける。かくんと傾いた首を起こし、頭を振ってやる気を出そうとする。が、課題はこれっぽっちも進まず、思わずため息が出る。
その時だった。頬に何かが触れる。その熱さに飛び跳ね、大きく後退りする。頬を押さえて見上げると、湯気の上るマグカップを片手に悪戯っ子のような満面の笑みを浮かべたコトエ様がいた。
「手、離れたな??」
「へ?」
「coffee break…息抜きにせんか?」
チンという食パンが焼ける音がキッチンから聞こえる。
ミルクを入れてちょうどいい温かさになったコーヒーを啜り、バターの塗られた食パンを齧る。まさか本当にコトエ様が私の分まで作ってくれているとは思わなかった。
ちらりとコトエ様を見ると、バタートーストをペロリと平らげて、窓の外の滴る雨を物憂げにじっと眺めている。気の利くところがあってよく助けてもらってたけど、勝手に朝食が出てくるなんてこんなにありがたいことはない。
「…朝食を作ってくれてありがとうございます」
外を見ていた視線が私に移り、色の違う双眼が私を見つめる。
「美味かったじゃろ?」
コトエ様はそう言うとにひひと笑った。
再びコーヒーを啜り、ふぅと一息つく。元気が出てきた。これならまだまだ頑張れそうだ。そんな一息ついて回復した思考回路に何かが引っかかる。その瞬間、口に残るコーヒーの香りを妙に強く感じる。
「…コーヒーなんてうちにありましたっけ?」
私を見ていた目が一瞬泳ぐ。
「…まろのコーヒー、美味かったじゃろ?」
それ以上何も言わずに、にこっと笑うコトエ様。
徹夜明けだからだろうか。冷たい汗が背中を伝う。
まさかそんな…え?
ジメジメした空気を切り裂くように悲鳴があがる。
昨日買い物に行った時にコーヒーをこっそり購入していたみたいです。どうも、ヒラメです。
こんな形の連載になるとは思ってませんでした。もう一作品作ってシリーズとして纏めるだけのつもりが何故か書きたい欲求が出てしまいました。
第一話は短編として別にあります。また、今作品も他作品同様不定期更新です。いつ疾走するかも分かりません。そんな感じで緩く書いていきますので何卒よろしくお願いします。
ではまた。