「申し訳ないんだが、婚約を解消してくれないか?」と言われたので「はい、分かりました。さようなら」 と答えました。
「ヴァレンヌ……申し訳ないんだが、婚約を解消してくれないか?」
「はい、分かりました。さようなら」
「え……?」
「……え?」
こんにちは、ヴァレンヌ・ロレでございます。
只今、わたくしの婚約者であるバレット・マスング様に婚約の解消を求められたので直様了承致しました。
昔から親同士が仲が良く、幼馴染のような関係のバレット様との婚約は自然な流れだったのかもしれません。
今まで至って普通の婚約者として過ごしてきたわたくし達ではありますが、学園の卒業パーティーを迎える一カ月前に嫌がらせの如く、婚約破棄を告げられました。
けれど此処で泣き喚いてもバレット様の心が変わる訳ではございません。
それにわたくしはここで婚約破棄をされても、痛くも痒くもありません。
そもそも少し前からバレット様の様子はどこか違いましたから、前もってある程度の覚悟はしておりました。
それに噂も聞いておりました。
バレット様は最近、ある御令嬢に熱を上げているというものです。
実は、何度かその御令嬢と一緒にいるバレット様をお見掛けした事があります。
とても楽しそうにしていらして微笑ましい光景でした。
まるで恋人同士のように…。
上の空だったり、何か考え事をしている様子でしたが、けれどそれを聞き出した事で何の得がございましょう?
さて……わたくしはバレット様に婚約破棄を告げられた訳ですが、了承しただけですのに、何故か「え……?」と返されてしまいました。
なので、わたくしもその理由が分からずに「……え?」と疑問に思ったのですが、バレット様はポカンとして口を開けております。
わたくしは理由が分からずに首を傾げました。
「………」
「……?」
このままバレット様の言葉を待っていても時間が勿体無いと感じたわたくしは、軽くお辞儀をしてからその場から去ろうとしました。
「ま、待ってくれ……!」
「………。何でしょうか」
「っ、訳を聞かないのか!?」
まさか婚約破棄を告げたバレット様の口からそのような言葉を聞くとは思わずに、わたくしは反対側に首を傾げました。
「聞きません」
「なっ、何故だ」
「別に興味がありませんので……もう宜しいでしょうか?」
「……ッ」
バレット様は焦っているようです。
一体何を気にしているのでしょうか。
わたくしがあっさりと承諾する事で喜んでも良い筈ですのに。
「……僕は、君に申し訳ない事をした」
「………」
「真実の愛を……見つけてしまったんだ。すまない、ヴァレンヌ」
聞いてもいないのにバレット様は恐らく婚約破棄をされた理由を勝手に語り始めました。
わたくしは思いました。
(勝手にしろ……)
もうこの人は赤の他人……最後まで話を聞く必要はないだろう、と。
自分に酔いしれているバレット様を置いて立ち去ろうとするわたくしを再び引き止める声……。
「まっ…ヴァレンヌ!!待ってくれ」
「嫌ですわ」
わたくしを引き留めようと伸ばされたバレット様の手を容赦なく叩きます。
―――パシッ
「……痛っ」
「わたくしに気安く触らないで下さいませ」
「何を言っているんだ……!?」
「…………はい?」
それはわたくしの台詞ではないでしょうか?
余りにも予想外の言葉に声が出ませんでした。
「それは、こちらの台詞ですが……」
「何故だと聞いているんだ…!」
「婚約破棄する以上、もう関係ありませんから」
「……っ、ヴァレンヌ!そんな寂しい事を言わないでくれ!僕達は昔から何でも話せる仲だろう?」
「……何を仰いたいのか、意味が分かりかねます」
「それは、君がもっと僕に…ッ」
だんだんとわたくしが苛々している事を感じているのでしょう。
バレット様は慌てているようです。
何やら勘違いしているようなので、わたくしはハッキリと意思を伝えてからこの場を去る事に致しました。
「何度でも言いますわ。無関係です。これからは気安く話しかけないでください。では、ごきげんよう」
「……っ!」
背中から縋るような視線を感じました。
しかし、わたくしはバレット様との婚約を正式に破棄する事に致しました。
お父様は静かに頷いて髭を触ります。
お母様はわたくしの心情を汲んでいるのか複雑そうです。
「タイミングが良いのか悪いのか……まさかこんな事になるなんてな」
「申し訳ございません」
「ヴァレンヌのせいではない。では、あの話は受けるという事で話を進めてよいか…?」
「はい……ですが、相手方は大丈夫でしょうか?婚約破棄をしたばかりですし…」
「そんな事を気にする事はない。むしろ婚約破棄を告げられて良かったな。此方からはマスング公爵家にはとても言い出せなかったからな……色々とややこしくならずに済んだ。本当に良いタイミングだった」
「お父様とお母様にご迷惑は掛からないでしょうか?」
「あぁ、大丈夫だ。今回、我々に非は全くないのだから。むしろ向こうの方が顔を合わせづらかろう」
「でも………はしたないと思われないでしょうか?」
「大丈夫よ!私達に任せなさい。貴女の幸せを一番に願っているわ」
「ありがとうございます……お父様、お母様」
「あぁ」
「わたくし、今度こそ幸せになりますわ」
数日後、マスング公爵様と夫人はロレ侯爵邸にわざわざ謝罪にいらっしゃいました。
訳を聞けば、バレット様はとある子爵令嬢に夢中になりすぎて、全く聞く耳を持たないのだそうです。
どうやらバレット様は一人で暴走をしているようです。
「ヴァレンヌが嫁いで来てくれるのを楽しみにしていたのに……!受け入れ難いわ…」
「すまない、ヴァレンヌ…」
「わたくしの事はお気になさらないで下さい」
「ヴァレンヌがこれから苦労するのかと思うと本当に申し訳なくて…」
「わたしの責任だ。バレットが本当に申し訳なかった…!我々も出来る限り協力を…」
「聞いて下さい。実はつい最近、ヴァレンヌには……」
お父様とお母様は公爵と夫人に訳を話しました。
とても上手い具合に話を纏めてくれたようです。
「まぁ……!そうなの!?」
「偶々ではありますが…なので、わたくしは大丈夫ですわ」
「おめでとう、なんて私達には言う資格はないけれど…」
「わたくしは公爵様達が大好きですから…今までありがとうございました」
夫人は涙ぐんで私を抱き締めました。
これで今後の関係もバッチリです。
最後まで頭を下げ続けるマスング公爵と夫人を見送ります。
それから一週間経ちました。
わたくしの前に一人の令嬢が立ち塞がります。
バレットと楽しげに話していた令嬢、バスレフ子爵の後妻の娘……ミランダ様です。
「ウフフ、ご機嫌よう!ヴァレンヌ様」
「ご機嫌よう、ミランダ様」
勝ち誇ったような笑みを浮かべているミランダ様に嫌な予感を感じつつも挨拶を返します。
「ヴァレンヌ様に申し訳ない事をしたって思ってぇ…」
「あぁ、お気になさらず」
「令嬢達からも評判の良い優しいバレット様を……本当にごめんなさぁい」
恐らくミランダ様は、わたくしの悔しがる顔を見にきたのでしょう。
随分と挑戦的な方のようです。
わたくしを心配しているというよりは、悲しんでいるところを憐れみに…いや、見下しに来たのでしょう。
けれどそんなミランダ様の前で、わたくしは一切表情を変える事はありませんでした。
何があっても表情は崩してはいけない…貴族の令嬢としては出来て当然でございます。
「突然、婚約者が居なくなって寂しいんじゃないかしら…?」
「お気遣いなく」
「ッ!?」
「もう宜しいでしょうか?」
「ちょっ…まっ、まだ話は終わっていませんわ!」
「手短にお願い致します」
ミランダ様はなかなか思い通りの展開にならない事が悔しいのでしょうか。
どんどんと顔が険しくなっています。
「…っ、ヴァレンヌ様が卒業パーティーにパートナーが居なくて困っていらっしゃるかと思ったので、わたくしの友人と出席するのはどうかしら?」
「……」
「これでも申し訳ないと思ってるんですよぉ?」
ミランダ様の思惑が透けて見えたところで、わたくしは小さな溜め息を吐きました。
不愉快ではありますが、ここで責め立てたとしても逆にミランダ様を喜ばせてしまう事でしょう。
この誘いにわたくしが飛びつくとでも思っているのでしょうか。
ミランダ様の唇がニヤリと歪みます。
分かりやすい方で何よりです。
「お気遣いありがとうございます。ですが、わたくしに新しいパートナーは必要ありません」
「え……?まさかお一人でパーティーに!?フフッ、それは何というか……」
ミランダ様はわたくしが気の毒だと仰いたいようですが、わたくしには婚約破棄したばかりではありますが、もう相手がございます。
相手方はわたくしが婚約破棄した事を気にするどころか、喜んで下さいました。
それにはわたくしも驚きでしたが「すぐに手続きを行おう」と、それはもう風のような早さで手続きを済ませたそうです。
お忙しい中、わたくしが卒業パーティーで嫌な思いをしないようにとわざわざ足を運んで下さる事になりました。
これだけ行動が伴っていると、わたくしはあの人の言葉が本当なのだと信じる事が出来ると思ったのです。
ですが、それはまだ明かしていい事ではありません。
勿論、ミランダ様にも……。
「わたくしは大丈夫ですから」
「ドレスだって……まさか御自分で?可哀想に」
「元はと言えば貴方のせいなのでは?」と声を大にして申し上げたいところではありますが、ミランダ様がバレット様をわたくしから奪って下さったお陰で、わたくしは良縁に恵まれたのです。
「御心配なく」
「そんな痩せ我慢をしなくても大丈夫ですよぉ?今ならまだ間に合いますから」
「結構ですわ」
「チッ……」
今、令嬢らしからぬ舌打ちが聞こえましたが、どうでもいいので聞き流す事に致しましょう。
「ミランダ様、もう宜しいでしょうか?わたくし忙しいので失礼させて頂きたいのですが…」
「……だからッ、まだ私が話しているでしょう!?」
「そのような言葉遣いは如何なものかと……マスング公爵夫人の前ではマナーを身につけて居ないと…」
それにしても立場を弁えないミランダ様が逆に心配になってしまいます。
そんな時でした。
遠くから足音が聞こえます。
「ミランダ……!」
「バレットさまぁ!」
瞬時に態度を切り替えたミランダ様は、どこからか絞り出した涙を流しながら、軽く肩を揺らしています。
「わ、わたし……ヴァレンヌ様に申し訳ない事をしたって謝っていたんですけどっ!でもヴァレンヌ様が私の話を全然聞いてくれなくてぇ」
「ヴァレンヌ…!ミランダにそのような事を…っ」
「……全く違いますわ。卒業パーティーに新しいパートナーをと言われたので、御心配なくと返していただけです」
「だってぇ、私がバレット様を……っ」
「ミランダ……!なんて優しいんだ」
人の婚約者を奪っておいて優しい?
真実の愛とはこんなにも思考を鈍らせるものでしょうか。
「それにマナーもなってないって……私がマスング公爵家に相応しくないって言われて…っ」
「それは本当か……?」
そう言いつつも若干、バレット様の顔が嬉しそうに見えるのですが気の所為でしょうか?
バレット様から、熱の篭った視線を感じていますが正直不愉快です。
「確かにマナーをもう少し身につけた方が宜しいかとアドバイス致しましたが、マスング公爵家に相応しいかどうかは、わたくしが決めるべき事では御座いません」
「ヴァレンヌは……本当はまだ僕の事が」
ゾワリとした鳥肌を感じたわたくしは、バレット様の言葉を遮るように声を上げました。
「ここでハッキリと明言させて頂きますが、わたくしはバレット様に気持ちは御座いません」
「……っ!?」
「未来の奥様の前で軽率な発言は控えるべきではないでしょうか?」
「未来の奥様…ふふっ、公爵夫人よ!!」
そんな声が聞こえましたが、バレット様は大きなショックを受けているようで、ミランダ様の言葉は聞こえなかったようです。
「わたくしの事はお気になさらず、お二人で幸せな未来を築いて下さいませ」
「ヴ、ヴァレンヌ……!」
「では、失礼致します」
「パートナーが欲しくなったらいつでも言って下さいねぇ」
先程とは一転、落ち込んでいる様子のバレット様と上機嫌になったミランダ様に背を向けて歩き出しました。
ミランダ様が妙にパートナーを勧めてくるのが気になるところです。
(少し調べてみましょう…)
後はバレット様の縋るような視線の理由も気になってはいたのですが、先程の台詞と表情を見る限り、恐らくわたくしにバレット様との関係を後悔して欲しいのだと感じました。
ですが、わたくしに期待を寄せるのは余りにも傲慢です。
(早く動けばいいのに……煩わしいわ)
バレット様はミランダ様と結婚をしたいと、そろそろお二人に申し出る事でしょう。
今回の婚約破棄はバレット様に書類を渡されて、わたくしがサインをした為、お二人は引くに引けなくなりました。
全てはバレット様の暴走。
マスング公爵と夫人は、尻拭いに奔走した訳です。
あの後、厳しく叱られた事でしょう。
お二人はまだミランダ様と顔を合わせていないそうです。
ですがミランダ様の上辺の性格に騙されるほど、あのお二人の目はバレット様とは違って節穴ではありません。
拒否されてミランダ様とバレット様はどうするのでしょう。
(……可哀想に)
二人の行く末が見えるような気がしました。
そして更に二週間が経ち、卒業パーティーまで一週間となりました。
わたくしは贈られてきたドレスを部屋に飾り、彼の方が来てくれる卒業パーティーをそれはそれは楽しみにしておりました。
あの日から、わたくしに「パートナーは決まりましたか?」と毎日聞いてくるミランダ様に嫌気が差しておりました。
あまりにもしつこいので、わたくしは父と母に相談致しました。
すると、すぐに抗議文を送って下さいました。
怒られたのか、数日間だけミランダ様は大人しくなりました。
しかし今度は隠れて接触をしてこようとするので、わたくしはミランダ様と顔を合わせないように動いておりました。
何故か分かりませんが、バレット様も何か言いたげにわたくしに近付いてこようとします。
わたくしは、なるべく二人と関わらないように徹底的に避けていました。
そしてやはり…というよりは分かりきった事ですが、マスング公爵達はミランダ様と顔を合わせてすぐに、バレット様と結婚する事を断固拒否したそうです。
バレット様は二人を説得しようと試みたようですが、ミランダ様と添い遂げたい場合、公爵家から籍を抜くように言われたと噂で聞きました。
わたくしはその話を聞いた時、思わず吹き出してしまいました。
そして屋敷に帰り、侍女達と肩を揺らして笑いました。
学園にその噂が回り始めると、あんなに自信満々だったミランダ様が苛立っているのを目にするようになりました。
そして日に日にやつれていくバレット様を見ても、わたくしの心が痛む事はありませんでした。
公爵家を離れるという選択は出来ないがミランダ様と添い遂げたいバレット様と、絶対に公爵家に嫁ぎたいと思っているミランダ様……どうすればいいのか思い悩んでいるようです。
元々、わたくしはバレット様の事を嫌ってはおりませんが、何年も共に過ごして関係を作ってきたわたくしよりもミランダ様を選び、愚かな行動を取って周囲に迷惑を掛けたバレット様には愛想が尽きました。
お二人には最後まで"真実の愛"とやらを貫き通して頂きたいと思っております。
意地が悪いでしょうか?
ですが今後の為にも、しっかりと学んで頂けたら宜しいのではないかと思います。
「ヴァレンヌ……!待ってくれ」
わたくしが家に帰ろうと馬車に向かっていると、突然後ろから呼び止められました。
気分は最悪です。
「……ヴァレンヌ、急にすまない」
「何か、御用でしょうか」
バレット様が気不味そうに此方を見ていました。
いくら嫌いでも、公爵家の令息であるバレット様を堂々と無視する訳にはいきません。
いつもよりも少し低めの声で答えました。
「……その、すまないが今いいだろうか」
「一緒に居るところを見られたくありませんので、手短にお願い致します」
「卒業パーティーの事なんだが……」
「……」
「一緒に参加してくれないだろうか?」
「はい………?」
あまりにも想像もしていなかった言葉に、わたくしの声は裏返ってしまいました。
婚約破棄を告げた相手に、卒業パーティーに一緒に出席して欲しいなどと無神経にも程があります。
「御自分が、何を仰っているのか分かっているのですか…?」
「……勿論だ」
「ミランダ様と御出席なさるのではないのですか?」
「だが、父上と母上はミランダを認めなかったんだ」
「そうですか」
「……」
「………だからなんでしょう?」
「そ、それに君も相手が居なくて困っているのではないか!?僕達は幼馴染だろう!?君を助ける代わりに僕を助けてくれないか……?」
「………」
「ミランダの事はゆっくりと説得していこうと思うんだ……だから今回は共に参加するという事でどうだろうか!?」
その顔面に、固く握った拳をお見舞いしたいと強く思いました。
もしバレット様とパーティーに参加したら、わたくしはいい恥晒しです。
バレット様はわたくしを都合の良いように使いたいのだと思いました。
此方の事情など一切無視のようです。
でなければ、そんな無神経な言葉が出てくる訳がありません。
それに、もし卒業パーティーで相手がいなくとも、わたくしは堂々と一人で参加していたでしょう。
「お断り致します」
「………なっ」
「わたくしはもうバレット様とは無関係だと思っております。わたくしを御自分の為に利用しようとするのならば、バレット様の事は幼馴染とも思いません」
「ッ!!」
淡々と言うわたくしを見て、バレット様はグッと唇を噛みました。
「……ヴァレンヌの、そういうところが嫌いなんだ!いつも冷たくして僕の気を引こうとばかりする…!いい加減にしてくれ!!本当に僕の事が好きなのか!?」
「………」
「婚約破棄を告げた時だって、直ぐに了承するなんておかしいだろう!?僕の事を好きならば、もっと縋り付くべきだ!!だが、今ならばまだ間に合う!僕と共に卒業パーティーに参加すれば、婚約破棄を無かった事に出来るチャンスなんだぞ……!?」
バレット様は一体何をなさりたかったのでしょう。
わたくしにはさっぱり理解できません。
それに、今更何を言っているのでしょうか。
バレット様が何もかも思い通りにいかない事に苛立っているようですが、正直八つ当たりされても困ります。
わたくしは罵詈雑言を吐き出して、肩で息をするバレット様を見つめながら問いかけました。
「………ミランダ様と真実の愛を見つけたのでは?」
「…!?」
「これ以上わたくしに付き纏うようなら父から公爵様に伝えて頂きます……話は以上です」
「待ってくれ!ヴァレンヌ……!まだ話は…っ」
わたくしは足早にその場を去りました。
バレット様には言葉が通じないと思ったからです。
そして、ついに卒業パーティー当日になりました。
わたくしは朝早くから準備をしておりました。
頂いたドレスに袖を通すと身が引き締まる思いです。
この日から、わたくしが彼の方の婚約者だと周囲に知らせる事が出来るのです。
ドキドキする胸を押さえて会場に向かおうとした時でした。
此方に来る馬車が遅れていると早馬が届いたのです。
(……何もなければいいけれど)
会場に着くと同情の視線がわたくしに降り注ぎます。
そんな中、鬼のような表情をしたミランダ様が此方に向かってきます。
あの後、ミランダ様が何を企んでいるかを調べていると、どうやらわたくしに更に恥をかかせようと目論んでいたのです。
紹介したパートナーは当日来ずに、裏切られて落ち込むわたくしにバレット様との仲を見せつけて嘲笑おうとしていたようなのです。
下らない事ばかり考えているから、このような事になるのでしょう。
「――全部、貴女のせいよ!!」
「ご機嫌よう、ミランダ様」
「…ッ、貴女が公爵や夫人に言いつけたんでしょう!?私が拒否されるなんて有り得ないわッ!バレット様も"やっぱりヴァレンヌじゃないとダメなんだ"って言い出して…ッ!!」
「身に覚えがありません……邪魔なので退いていただけますか?」
「ふざけんなッ――このっ!!」
ミランダ様が手を振り上げました。
――――パシッ
「やめろ、ミランダ……!」
ミランダ様の腕を押さえたのは、なんとバレット様でした。
「大丈夫か!?ヴァレンヌ、怪我はないか?」
「………」
「バ、バレット様!?なんで……」
「僕が間違えていた……!ミランダとの愛は"真実の愛"なんかじゃない!!本当は偽物だったんだ」
「はぁっ!?」
「父上と母上に認められている君こそが僕に相応しい。僕にはヴァレンヌしか居ないんだ……婚約破棄は白紙に戻そう!これで元通りだね」
「ちょっと待ちなさいよッ!!話が違うでしょう…!?」
揉めだした御二人を見て、わたくしは大きな溜息を吐きました。
巻き込まれるのは御免です。
それにこんな大勢の前で喚いたら御自分の愚かさを見せびらかしているようなものでしょう。
(勝手にしろ…)
しかし、この場から去ろうとするわたくしの腕をバレット様が掴みます。
「……!?」
「さぁ行こう、ヴァレンヌ!僕は本当の愛に気付く事が出来たんだ」
「離してくださいッ」
バレット様の手を振り払おうとした時でした。
「…今すぐヴァレンヌから手を離せ!!」
「アシュトン殿下……!」
「どうして先に行ってしまったんだ!?ヴァレンヌ」
「申し訳ございません、早くこのドレスを皆様に見せたかったのです」
「そうか………今すぐそこを退け。それと、俺の"婚約者"に気安く触れるな」
「…っ!?」
「アシュトン殿下、守って下さりありがとうございます」
わたくしは満面の笑みを浮かべました。
どうやらタイミングはバッチリのようです
バレット様は唖然としながらも、ゆっくりと手を離します。
スヴァルツ王国の第二王子であるアシュトン殿下は、一ヶ月前までこの学園に留学なさっていましたが、王国の事情で一旦お帰りになったのです。
そう……わたくしの婚約者はアシュトン殿下でございます。
そしてわたくしとアシュトン殿下はハトコ同士なのです。
バリー殿下とアシュトン殿下、そして姉君のリリー王女様は、小さな頃からわたくしをとても可愛がって下さいました。
長期休みには互いに王国を行き来しておりましたが、成長するにつれて疎遠になっておりました。
しかし、アシュトン殿下はこの国の学園に留学をして、わたくしに会いに来て下さったのです。
学園にいらっしゃる時に、アシュトン殿下は少しずつ気持ちを語って下さいました。
そこで初めてわたくしにずっと想いを寄せていたのだと知る事になったのです。
アシュトン殿下がわたくしを想い続けてくれたのだと知った時は、嬉しくて胸が高鳴りました。
「チャンスがない事は分かってる……でも俺は」
わたくしは静かに首を横に振る事しか出来ませんでした。
しかしバレット様に婚約破棄を告げられた時に、わたくしは神様がくれたチャンスだと思ったのです。
「今日は最高の日にしようと思っていたのに…」
「嬉しいですわ」
「ずっと想いを寄せていた君と結婚する事が出来るなんて、まるで夢の中にいるようだ……実感がないよ」
「ふふっ……わたくしもです」
「「…………」」
ポカンと口を開いて動かないバレット様とミランダ様を見て、わたくしは勝ち誇った笑みを浮かべました。
――そして。
「お二人のお陰で"真実の愛"を掴み取る事が出来ましたわ」
「……ヴァ、レンヌ」
「―ッ!!」
「では、ごきげんよう」
わたくしは間抜けな顔をしている二人を置いて歩きだしました。
隣には愛する婚約者がおりますので、最高に幸せな卒業パーティーを過ごす事が出来ました。
あの二人がどうなったか……?
少しだけお話し致しましょう。
バレット様は『再教育』が必要だと、公爵達からはキツイお灸が据えられる事となりました。
次にお会いする時は立派な紳士になっているのか楽しみではありますが、アシュトン殿下と共に隣国へ向かったわたくしには、もう関係ありませんね。
ミランダ様はわたくしを貶めようとした事と今回の騒ぎの責任を取り、お母様と共に町にお戻りになったようです。
もう二度と顔を合わせる事はないでしょう。
わたくしはアシュトン殿下と共に素晴らしい結婚生活を送っております。
それも全て、お二人の欲深さのお陰です。
end
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