血と骨に刻む
ベドから更に西へ向かった先に隣国との境界となるその森は広がっていた。
国境だというのに特に警備の兵や砦が置かれていないのは、ルマーダが魔女の支配する国という事が大きかった。
過去、この国を侵略しようとした為政者たちは勿論何人もいた。
しかしその誰もが野望を果たす事は出来なかった。
軍隊を送り込めばそれなりに勝利を収める事は出来た。
だが兵が先に進む前に王が突然原因不明の病や不慮の事故に見舞われ死亡した。
それは一つの例外も無く、民は魔女の呪いだと口々に囁き合った。
やがてルマーダは触れてはいけない国と周辺国に認知される事となる。
そんな西の国境の森の上を赤い肌の魔女が飛んでいた。
魔女は鼻を鳴らすと、上空からは森にしか見えないその場所に真っすぐに降下した。
■◇■◇■◇■
羽ばたきの音を聞き、伊蔵は日課である鍛錬を兼ねた庭での薪割りを中断し空を見上げた。
空には蝙蝠に似た羽根を持つ赤い肌の女がこちらを見下ろしている。
「向こうから来たか……まぁよい……そこな魔女、何用じゃ!?」
「ああ!? 人間の癖に俺に質問するな!! 聞くのはこっちだ!!」
「高飛車な奴じゃ、魔女は全員ああなのかのう? ……いや、フィア殿は違うな」
魔女ベラーナは小さく呟いた伊蔵の上で静止すると、値踏みする様な視線を向け問い掛ける。
「アガンとバーダって魔女を探してる、やったのはお前だろう?」
伊蔵に向かって問うたベラーナを彼は改めて観察した。
短髪の青黒い髪で左目は隠れ、あらわになっている右目は血の色、問いかけた口からは鋭い牙が覗いていた。
袖が無く丈の短い衣服からはすらりとした赤い肌の腕と足が伸びている。
腕は籠手、足は腿まであるブーツを履き、開いた背中からは羽根が飛び出て宙に浮くその体を支えていた。
「いかにも、してお主はどうしたいのじゃ?」
「決まってんだろ? お前をぶち殺してはぐれをいただくんだよぉ!」
ベラーナはその叫びと同時に大きく口を開いた。
大気が振動し森を揺らす。
人の耳には聞こえない音の洪水が伊蔵の三半規管を揺さぶった。
「グッ……これは……」
伊蔵は激しい眩暈に襲われ思わず首を振った。
隙を見せた伊蔵にベラーナは音を発したまま襲い掛かる。
籠手の先、露出した指先には肉食獣の様な鋭い爪が伸びていた。
伊蔵はその時、防具は一切身に着けてはいなかった。
ベラーナはそのむき出しの伊蔵の首を狙い右手を閃かせる。
ちょろいもんだぜ……後ははぐれを狩って……。
赤い肌の魔女は己の勝利を確信し目を細めた。
だが突き出した右手は手首をつかまれ、強かに地面に叩きつけられた。
「グエッ!?」
「何じゃ、今のは……」
ベラーナを投げ飛ばした伊蔵は眩暈の余韻を消す為、再度首を振る。
その間に魔女は飛び跳ね伊蔵から距離を取った。
「クッ……てめぇ、何で反応出来る!?」
「眩暈程度で血と骨に刻んだ技が鈍る筈が無かろう? それより、お主の芸がそれだけなら早う負けを認めよ」
「芸!? 芸だと!? 舐めやがってクソが!!」
ベラーナの赤い目が怒りで見開かれる。
「伊蔵さん!? 何事ですか!?」
「フィア殿!? 家に籠っておるのじゃ!!」
「えっ!?」
フィアは鉄の籠を抱え家から飛び出していた。
それを見たベラーナは牙を剥きだして笑い、彼女に襲い掛かった。
「ギャハハ!! はぐれが大事みてぇだなぁ!!」
翼を広げ両手を突きだしベラーナは、家の入口で籠を持って立ち竦むフィアに迫る。
「は?」
その両腕が何かによって跳ね落とされた。
両腕は宙を舞い草の大地に落ち、千切れた腕からは大量の血が噴き出す。
伊蔵が投げた斧が魔女の両腕を二の腕の半ば程から断ち切っていた。
「はぅ……」
鮮血は籠を抱えたフィアを真っ赤に染めていた。
そのショックでフィアは籠を落としふらりと倒れる。
伊蔵はフィアが地面に倒れる前に駆け寄り、優しく彼女を抱き止め地面に横たえた。
「ギャアアアアアア!!!」
「成り行きとはいえフィア殿は我が主ぞ。手を出すつもりなら容赦はせぬ」
ベラーナの腕を落とした斧を家の壁から引き抜きながら、伊蔵は痛みで大地を転げまわる魔女に冷酷に告げた。
「てめぇ、よくも、よくも俺の腕を!!」
「……腕だけで済むと思っておるのか?」
「てめぇ何を……?チッ!」
伊蔵の言葉に長く感じていなかった恐怖を覚えたベラーナは、翼を使い一旦空に逃れた。
だがその羽ばたきは唐突に途切れ彼女は地面に叩きつけられる。
「何だ!? ……翼が!?」
蝙蝠に似たベラーナに空を舞う自由を与えていた翼は、ピッチフォークにより二枚纏めて貫かれていた。
「お主も首だけにしてやろうぞ」
その時になってようやく気付く。
はぐれ魔女が落とした大きな鳥かごには、見覚えのある男、アガンの首が入れられていた。
「クッ……このばけもんがぁ!!」
ベラーナの前髪で隠されていた左目から叫びと共に赤く細い閃光が放たれる。
この技はベラーナの奥の手だった。
連発は出来ないが、髪で隠した左目からの突然の閃光はこれまで何人もの敵を屠ってきた。
そのベラーナの眉間を狙った必殺の一撃を、伊蔵は首を捻り事も無く躱す。
「甘い……殺すつもりであるなら、言葉を紡ぐ前に行動を終えよ」
「あ……」
その言葉通り、躱した直後に放たれた斧の一撃はベラーナの首を言葉の前に断ち切っていた。
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