山の屋敷の老婦人
カラの城から北西の山。その中程にその屋敷は立っていた。
恐らく何者かの別荘だったと思われる屋敷で、伊蔵達はソファーに座りお茶をご馳走になっていた。
お茶も一緒に出されたクッキーも屋敷の主の手作りの様だ。
「こんな山奥までご苦労様……なにも無いけどゆっくりしていってねぇ」
「なぁ、やっぱこいつボケてんじゃねぇか?」
「ご馳走してくれているのに失礼よ」
普通のトーンで話すベラーナにジルバが囁き声で答える。
「ご老体、先ほど説明した通り儂らは御身の保護の為にここに参った。ともに来ていただけないだろうか?」
屋敷には確かにはぐれ魔女はいた。
だがその羊の角を持った褐色のドレスを着た老夫人は、攻撃はしてこなかったが対話には多少難があるようだった。
「そうなのねぇ……それは大変…………あら、何の話だったかしらぁ?」
「クッ、いいか婆さん、アンタにここに居られると王宮に目ぇ付けられるかも知れれねぇんだよ!」
「王宮……懐かしいわねぇ。私も若い時にはそれはそれはモテたのよ。色んな殿方が蝶よ花よって褒めてくれて……でも私には心に決めた人が……」
「んな事はどうでもいいんだよぉ!!」
憤ったベラーナが思わずテーブルに拳を叩き付ける。
伊蔵達が座った目の前の背の低いテーブルは何とかベラーナの拳には耐えた。
しかし衝撃でクッキーの入った皿とカップが硬質な音を立て跳ねる。
「……あっ、もしかして、あなた達……」
「へッ、ようやく分かってくれたか……」
「クッキーだけじゃ足りなかったかしら? ……でも困ったわぁ。お菓子はクッキーぐらいしか……」
「……伊蔵、無理矢理連れて帰ろうぜ」
「しかし、年老いた者に手荒な真似はのう……」
「ねぇ、お婆ちゃん。ここを出て街で暮らすつもりは無いの?」
ジルバが語り掛けると白髪の老夫人は空中に視線を彷徨わせた。
古びた、だが掃除の行き届いた室内が彼女の瞳に移り込む。
「街……戻りたいけど……駄目なのよ……女王様がクレド様達に弑逆されてから、私達みたいな者は街では暮らせなくなったの」
「女王……もしかして、お婆ちゃん初代を知ってるの?」
「初代?」
「ルマーダの初代国王、原初の魔女レゾ」
「レゾ様? もちろん知ってるわよぉ。あの頃は良かったわぁ……みんな穏やかで……そういえばあの人はどうしているのかしら……」
老夫人の視線が再度、空中を彷徨った。
「……そうだ。あの人は私を逃がしてそれで……嫌だ、湿っぽくなっちゃったわねぇ…………お菓子は足りてるかしら?」
「駄目だこりゃ。完全にボケてるぜ」
「でもこの人は初代を知ってるわ。王族についても何か情報を持ってるかも」
「ふむ……ご老体。儂らは御身が懐かしいという頃の国を取り戻そうとしておる。力を貸してくれぬだろうか?」
「国を……?」
老夫人の虚ろだった瞳が焦点を結び真っすぐに伊蔵を見つめた。
「あの頃に戻れるの?」
「確約は出来ぬ。じゃが儂らはその為に準備をしておる」
「あの頃に……」
老女の横長の瞳孔の瞳から涙が溢れると周囲の景色が一片した。
古びた部屋は消え、伊蔵達の周りは明るく華やかな舞踏会の様子が映し出される。
見れば老婦人の姿は無く、目の前には羊の角を持った可愛らしいプラチナブロンドの少女が座っていた。
「……これも魔法なのか?」
「幻影の魔法……これは思い出を再現してるのかしら……?」
「んじゃ、あの婆さんがこのカワイ子ちゃんだってのかよ? ……ちょっと盛り過ぎじゃね」
「だから失礼よ。それにあなただってあと何百年後にはお婆ちゃんになるんだから」
「そん時ゃ、オメェもババァだよぉ」
少女は瞳に溜まった涙を拭うと伊蔵達を見つめた。
「あなた方は本当にレゾ様を弑逆した者達をこの国から排除してくれますか?」
「ぬっ、正気に戻ったのか!?」
「ええ、あなた達のお話も聞こえてはいたのですが……最近は心がまるで迷子になったようで……それで先ほどの問いの答えは?」
魔法の影響なのか今なら彼女とまともに対話が出来そうだ。
そう感じた伊蔵は居住まいを正し少女を視線を向ける。
「弑逆者の排除……つまり王子達じゃな……少なくとも儂はそのつもりじゃ。それが主の願いじゃからのう」
「そうだな。フィアには逆らえねぇし、俺も会った事はねぇけど上はうぜぇと思ってたからよぉ」
「もう、下品な言葉づかいは止めなさいよ……私も上には思う所があるわ。出来る事はやるつもりよ」
伊蔵達の答えを聞き少女はゆっくりと頷いた。
「そうですか……では私も協力する事にいたします……ただ、私は正気でいられる時間が限られております……レゾ様のお力が今もあれば私もあなた達に力を……」
話していた少女の姿がぼやけ、老婆の姿へと変わって行く。
それと同時に周囲に広がっていた舞踏会の景色も幻の様に消え去った。
「……あら、何時の間にお客様が……お茶は……もう出ているみたいねぇ……」
「……元に戻っちまったみてぇだな」
「どうするの伊蔵?」
「ふむ……一応返答は得たのう」
伊蔵は椅子から立ち上がると老婦人の前に跪いた。
「ご老体、御身の名を聞かせて欲しい」
「私の名前? 私はシャルア。でも御免なさいねぇ、私には心に決めた人が……」
「ぬっ……シャルア殿、城までご足労願えないだろうか?」
伊蔵はシャルアの返答にたじろぎつつ、国元にいた頃を思い出しながら貴人に対する礼をシャルアに向けた。
「お城? まぁ、お城なんて何年ぶりかしら……でも行ってはいけなかったような……」
「ああもう、まどろっこしい!! いいから行こうぜ婆さん!!」
「まぁ、乱暴な人ねぇ。駄目よそんなんじゃぁ、レディらしく振舞わないと殿方に嫌われてしまいますよ……」
「レディねぇ……」
「ジルバ何か策が?」
「ええ」
ジルバはシャルアの様子で何か閃いたらしく伊蔵に向けて口角を上げた。
「あの、シャルアさん」
「はい、なんでしょうかぁ?」
「実はこのベラーナには婚約者がいるのですが」
「まぁ、それは素敵ねぇ」
「おい何言ってんだ!? いねぇぞそんな奴!!」
憤るベラーナを無視してジルバはシャルアに話を続ける。
「でもこの娘、見ての通りお転婆でしょう? それで婚約者に愛想をつかされそうなんです」
「あら、それは大変……」
「そこでお願いなんですが……城にご同行いただいて、このベラーナを立派なレディにしてもらえないでしょうか?」
「ジルバ、てめぇ何を!?」
シャルアは声を荒げるベラーナを見て眉を顰め顎に右手を当てた。
「これは……大仕事になりそうねぇ……」
「おい婆ぁ、お前ぇも何言ってんだよ!?」
「お願い出来ますか?」
「婚約者に愛想を突かされるなんて悲しいものねぇ……いいでしょう。しっかりレディとしての心得を仕込んであげましょうねぇ」
「んなもん仕込まれてたまるか!!」
「ありがとうございます。では城までお連れいたします」
ジルバがソファーから腰を上げシャルアの横に立ち手を差し出すとしっかりとその手を握り返した。
「ふむ、これで二人目じゃな……」
「俺は……俺はレディなんぞにならねぇからな!!!」
山中の古ぼけた屋敷にベラーナの叫びが響き渡った。
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