神の教義と猛禽の魔女
魔法の定着に成功したフィアとイーゴは、その後も作業を続けアガンが持ち込んだ伊蔵の鎧に印を刻んだ。
分担作業に気付くまで定着に何度も失敗していたフィアは、その作業を終えるとふぅと少し疲れた様子で息を吐いた。
「あの……」
「ああ、アナベルさん。すみませんほったらかしにして」
「いえ、それはいいんです。それよりあの……」
フィアとイーゴが定着作業をしている間、アナベルはそれをずっと見守っていた。
「ん?」
「あの、フィアさんは私の血が欲しいですか?」
「貰えるなら有難いですけど、アナベルさんが嫌だというなら無理強いはしたくないです」
アナベルは伊蔵達から血を飲んで強くなると聞いた時、強い嫌悪感を感じた。
他者の血を飲む行為は神の教義にあった悪魔そのものだったからだ。
だが、目の前の一生懸命な少女が悪魔とはどうしても思えなかった。
彼女が自分の血で少しでも強くなるなら、教義などどうでも良い事の様に思える。
「フィアさんが強くなれば、この国は西も東も皆が笑って暮らせる場所になりますよね?」
「……分かりません。でもそうなって欲しいですし、そうなるよう精一杯努力するつもりです……私もホントはお薬を作ってのんびり過ごしたいですし……」
「俺も平和な方がいいぜ。なんせ俺は魔女としては最下層だからよぉ」
出来上がった武具を確認していたイーゴが振り返り、苦笑を浮かべる。
東の御使い達は西の討伐が平和な世をもたらすと信徒たちに語っていた。
討伐さえ叶えば皆、豊かに幸せに暮らせると。
しかし、上位の御使い達の贅沢な暮らしを垣間見るとそんな言葉も方便の様に感じられた。
だがフィアもイーゴもそんな物は望んでいない様に思える。
アナベルは彼らが発した言葉に嘘は無いと思った。
「……フィアさん、私の血を飲んでもらえますか?」
「ええ、喜んでいただきます」
桃色の髪の魔女はそう言うと嬉しそうに微笑んだ。
■◇■◇■◇■
フィア達が書庫で笑い合っていた頃、仮眠を終えた伊蔵はモリスから呼び出されていた。
向かった先、彼の執務室ではモリスが書類の山を前に格闘していた。
「何の用じゃモリス?」
「ああ、伊蔵様。わざわざご足労頂いて申し訳ありません。王宮の目をくらます為にご覧の有様でして……」
「勘定方は平時が戦じゃからな。それで仕事は何じゃ?」
「話が早くて助かります。実はフィア様が“はぐれ魔女”の保護したいと申されましてな」
「……さようか」
伊蔵とフィアが出会ったのも彼女がはぐれ狩りに遭っている最中だった。
狩りによってフィアの母は亡くなり、伊蔵も使い魔になったのだ。
「それでですな。隠れ住んでいられては、こちらとしても人数の把握や王宮から隠す事も難しい、ですので彼らには城下で暮らして貰おうかと考えておりましてな」
「なるほどのう? 儂はその魔女達を説得すればよいのか?」
「流石、伊蔵様、察しがよろしい」
「世事はいらぬ。大体の場所と人数は分かっておるのか?」
「はい、報告で分かっているのは五か所。ただ、新たに流れて来た者もいるかもしれませんので、そこはご容赦を」
モリスは部下が上げて来たと思われる地図付きの報告書を伊蔵に差し出した。
「ふむ……結構散らばっておるな。儂一人では移動に骨が折れそうじゃ……ベラーナにでも頼むか」
「それがベラーナ様にもお声がけしたのですが、どうも別件で城を出ているようでしてな」
「さようか……では誰か足の速い魔女に手助けを頼むとするか」
「そう言われると思って既にお呼びしております」
「……手回しのよい事じゃ」
伊蔵が苦笑を浮かべていると、執務室のドアがノックも無しに開いた。
「モリス、用事って何かしら? ……いっ、伊蔵!? 何なのモリス!? もしかして伊蔵と一緒に仕事させるつもりじゃ無いでしょうね!?」
モリスの呼び出しが仕事だと思ったのだろう。以前見た赤い乗馬服を服を着たジルバは伊蔵を見て顔を引きつらせ抗議した。
「おっしゃる通りで、いや、ジルバ様も察しが良くて助かります」
「いっ、嫌よ!! この男、凄く怖いんだから!!」
「ジルバ、我儘を申すな」
伊蔵が静かにジルバを見つめると、彼女は体をすくめて視線を逸らした。
猛禽というよりは、まるで委縮した子犬の様にチラチラと伊蔵の動向を窺っている。
「ふむ、ジルバ様はあの時以来、伊蔵様が苦手なようですな……」
「……そうよ。怖いって言ったでしょ」
「では余計に一緒に仕事をして頂きたい」
「何でよ!?」
「我々は今後、強大な敵と戦う事になるでしょう……私は正直勘弁して欲しいのですが……まぁ、それはさておき、そんな大きな敵と戦うのに味方同士でわだかまりがあっては色々と支障をきたします。ジルバ様にはこれを期に伊蔵様と交友を深めて頂きたい」
モリスはデスクに肘を乗せ手を組むと、うんうんと頷きながらジルバに視線を送った。
「……伊蔵」
「何じゃ?」
「もう酷い事しない?」
怯えた目でジルバは伊蔵に問いかける。
ベラーナとの賭け試合の後、ジルバと戦った伊蔵は一切手を抜かず殺すつもりで戦った。
師匠からの教えで試合は実戦に繋がっていると厳しく指導されていたからだ。
実際、伊蔵も師匠との訓練の中で幾度も殺されると命の危機を感じたものだ。
だが師の言葉通りその命の危険を感じる修行の日々が、彼の命を救った事も一度や二度では無かった。
まぁ、この国に来てから既に二度死にかけているので、自分もまだまだ修行が足りないのだろうが……。
そんな事を思い、苦笑しなが伊蔵は答える。
「アレは試合であろう。平時におなごに振るう拳は持ち合わせておらぬ」
「……分かったわ。で、何をすればいいの?」
「お願いしたいのは“はぐれ魔女”の保護でございます。ジルバ様には伊蔵様を魔女達の下へ運んでいただきたい」
「また馬になれって言うのね……はぁ、了解よ」
「お主はベラーナより早いのであろう? であれば仕事もあやつと組むより早う終わりそうじゃの」
「当然よ! 蝙蝠より私の方がずっと早く飛べるんだから!」
憂鬱な表情を浮かべていたジルバだったが、伊蔵の言葉で気を良くしたようだ。
胸を張って得意げに鼻を鳴らしている。
そんなジルバを見て、伊蔵とモリスは笑みを交わし合った。
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