涙は止まる事は無く
「ふぁああ……目が覚めたんですね?体は何とも無いですか?」
眠っていた所を起こされたのだろう、目を擦りながら問いかける桃色の髪の少女をアナベルは不思議そうに見返した。
彼女は血のくだりがあった為、生き血をすする怪物がやって来ると思っていたが、伊蔵に連れられ部屋にやって来たのは寝間着を着た幼い少女だった。
「……はい、腰がちょっと痛いくらいで……」
「腰? ……伊蔵さん、相手は女の子ですよ。少しは加減してあげて下さい」
「ぬぅ……おなごと言うても魔女であろう、ベラーナの様に暴れられてはかなわぬ」
「俺を引き合いに出すんじゃねぇよ!」
伊蔵達の気の置けないやり取りを見て、アナベルは余計に混乱した。
少女は自分を簡単にあしらった男と、恐らく自分を捕らえただろう魔女に対して全く臆した様子も無く話している。
この少女が髪の間から覗く角から魔女である事は間違い無いだろうが……。
余程階級の高い人物なのだろうか。
だがそれにしては男達も彼女に対して委縮している様子は無い。
アナベルの価値観、階級が絶対だった彼女にしてみれば、彼らの関係性が理解出来なかった。
「えっと、あなたは東の魔女さんという事でいいんですよね? お名前はアナベルさんで良かったですか?」
「はい、それで間違いありません。」
「そうですか。ではまずは自己紹介を、私はフィア。この黒髪の男の人は伊蔵さん。でそっちの椅子に座っている人はベラーナさんです」
フィアは手をかざして部屋にいた伊蔵達を紹介した。
アナベルが目を向けると伊蔵は頷きを、ベラーナは右手を上げてニヤリと笑みを返した。
「それでですね、あなたは“はぐれ魔女”だと伊蔵さんから聞いたのですが?」
「あの……その“はぐれ魔女”というのがよく分からないのですが……?」
「はぐれ魔女というのはですね……」
少女は“はぐれ魔女”と西で呼ばれている者達についてアナベルに語って聞かせた。
これまで神に選ばれ御使いとなった者の中にも、神の言葉に従わない者はいた。
そういう者達は一様に異端者、反逆者として処刑されていた。
アナベル自身、自分と家族を守る為、彼らの捕縛に関わった事もある。
そんな彼らが別に異端でも何でもなく、ただ人としての心を失わなかっただけだったとは……。
「ずっと自分はおかしいんだと思っていました……神の言葉は絶対で、狂っているのは自分だと……」
「そんな事ないですよ。あなたはただ、人であり続けただけです。狂ってなんかいません」
「そうなのでしょうか? ずっと苦しいと、国の有り方がおかしいと感じていてたのは正しかったという事なのでしょうか?」
「国の有り方? 詳しく聞かせて貰えますか?」
フィアはそう言うとアナベルが腰かけていたベッドに並んで座り、彼女の手に小さな手を重ねた。
その手は東の子供達と変わらず温かく、彼らと同様に働いている為か少し硬かった。
西は悪魔に支配されている。
そう教わっていたが、西にいたのも東と変わらず普通の人間だった。
逃げる事に必死で人々の営みを見る余裕等無かったアナベルだったが、フィアの手に触れた事で唐突にそれが理解出来た。
「私は……」
気が付けばアナベルはフィアに生まれてきてからの事を全て話していた。
これまで誰にも言えなかった思いを、東では口に出来なかった事を吐き出したかったのかも知れない。
神に選ばれ御使いとなった事、気持ちが変わらず怯えて過ごしていた事、父の事、母の事、そして姉の事。
「そうですか……大変でしたね。大丈夫、ここにはあなたを責める人はいません。そんな人がいたら私がとっちめてやります」
話を聞き終えたフィアはそう言うと、手を伸ばしアナベルの頭を優しく撫でた。
「よく頑張りました」
「あ……」
張りつめていた心が緩み、淡い空色の瞳から涙が溢れる。
「ずっと辛かった! 苦しくて苦しくて叫びだしかったんです!!」
一度流れ始めた涙は止まる事は無く、アナベルはフィアに縋って声を上げて泣いた。
フィアはそんなアナベルの頭を撫でた。
伊蔵は泣いているアナベルからそっと視線を逸らせ、ベラーナは東の話に憤りを感じたのか顔を歪めフィア達を見つめていた。
やがて泣き止んだ彼女にフィアは優しく問いかけた。
「あなたはどうしたいですか? もし逃げたいというなら西の国境まで送りますよ」
「……逃げて……いいのですか?」
「ええ、勿論」
「嬢ちゃん、こいつの言う事を信用すんのか?」
「ベラーナさんは信用出来ませんか?」
「まぁ、この様子じゃ嘘じゃねぇとは思うがよぉ……」
口をへの字に曲げてベラーナは背もたれに乗せた顔をそむけた。
「フィア殿、隣国へ逃がすと言うても、その娘の容姿は少々目立ち過ぎる様に思うのじゃが?」
伊蔵の言葉でフィアは改めてアナベルを見た。
銀の髪に空色の瞳、整った顔立ち。
そこまでなら普通の美人で通るだろうが、艶やかな肌は僅かに光を放っている。
「確かに……光る人なんて初めて見ましたしねぇ……」
「であろう。儂も道中、色々変わった物は見たがこの娘のような者は見た事が無い……最悪、見世物にされるやも知れぬ」
「見世物……?」
不穏な響きにアナベルは思わず伊蔵に尋ねた。
「うむ、こう檻に入れられての、商売として民衆の目に晒されるのじゃ」
「檻!? そんな私は自由になりたくて……」
瞳を揺らすアナベルを見てフィアは指を立てた。
「じゃあ暫くここで暮らせばいいんじゃないですか? 我々は西も東も変えてしまうつもりですから」
「……変えてしまう? あなた方は西の貴族ではないのですか?」
「まぁ、俺はそうなんだが……西にもお前みてぇな“はぐれ魔女”がいるのさ」
ベラーナはそう言ってチラリとフィアに目を向けた。
「あなたも“はぐれ魔女”なのですか!?」
アナベルは目を見開きフィアを見返した。
「ええ」
「フィア殿は“はぐれ魔女”であり、儂らの主じゃ」
「主……フィアさんがお二人の?」
「色々あってな……俺たちゃこの嬢ちゃんの使い魔なのさ」
「使い魔!?」
東では考えられない事が大すぎて、アナベルは少し混乱していた。
それに追い打ちをかける様に伊蔵が口を開く。
「でじゃ、我らの力を増す為にフィア殿には魔女の血が必要なのじゃ。そこでお主の血を少々分けてもらいたい」
「はっ、話の流れがよく分からないのですが!? どうして私の血が皆さんの力を増す事になるのでしょうか!?」
「嬢ちゃんは血を飲んで強くなる魔女なんだよぉ。嬢ちゃんが強くなりゃ使い魔の俺達も強くなるって寸法だぁ」
「という訳じゃから、血を寄越してもらおうか?」
そう言って歩み寄った伊蔵の手には何時の間にか、先ほどアナベルの首に当てられたナイフが握られていた。
見ればベラーナも立ち上がり、サイドテーブルに置かれたコップを手にアナベルににじり寄っている。
「コップ一杯ぐらいケチケチすんなよ」
「さようじゃ。お主がどのような道を選ぶかは知らぬが、せめて血だけは置いて行ってもらうぞ」
「ヒッ……」
『二人とも止まりなさい!』
見かねたフィアが制止の言葉を発した事で伊蔵達はピタリと動きを止めた。
「ごめんなさいね。この二人は少々強引な所があるのです」
「フィア、テメェ……」
「フィア殿、これはお主の願いの為ぞ……」
「無理強いは駄目です。よしよし、怖かったですねぇ」
涙ぐんだアナベルの頭をフィアは撫でながら彼女を労わった。
その事はアナベルの心をフィアに引き寄せる結果を生むのだが、この時はフィアを含め伊蔵達もそれに気付いてはいなかった。
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