逃げたかった男
魔女の国ルマーダ、その西の辺境の一画を支配するカラの居城。
カラに代わり領地運営に関わる諸々の事を処理している男モリスは、各地を守護している貴族、要するに魔女達が姿を消していると報告を受け、カラにどう伝えるべきか考えあぐねていた。
調査を命じたベラーナは帰還していない。
恐らくはアガンとバーダを倒した何者かに排除されたと見るべきだろう。
人を送り国境の森に住む“はぐれ魔女”と思われる母子と黒衣の異国人が関与している事は判明している。
調査を命じた人間はその国境の森も捜索したらしいが、終ぞ“はぐれ魔女”の住処を見つける事は出来なかった。
話に聞く人除けの魔法が住処を隠しているのだろう。
「……いよいよ潮時かねぇ」
苦笑しつつモリスは小さく呟いた。
このままカラの下で働いた所で先は見えている。
ルマーダの半分を支配している黒き魔女達は基本的には個人主義だ。
他の領地で何が起きようが気にする事は無い。
だが仲間である魔女が姿を消したとなれば話は変わってくる。
敵対者、白き魔女の介入が疑われればカラも安穏とはしていられない筈だ。
責任問題に発展すれば、責任者として首を落とされるのは替えの利く自分になるだろう。
金はもらえたが、流石に首をやる程の恩義は無い。
そもそもモリスはカラの度量に感じ入った訳でも無く、ただ仕事としてやっていただけだ。
「……君」
「ハッ!」
「この報告書なんだが、君が直接カラ様に持って行ってくれないか?」
「私が……ですか?」
報告書を持って来た部下が怪訝そうに尋ねる。
「そうだ。この件は極めて重要であり早急に対処せねばならない案件だ。私は今すぐに現地に向かい事に当たろうと思う。君はその旨もカラ様にお伝えして欲しい」
「りょ、了解しました」
部下が報告書を受け取り部屋を出て行ったのを確認すると、モリスはかねてより用意していた鞄を手に執務室を後にした。
彼はもう二度とその執務室の椅子に座るつもりは無かった。
■◇■◇■◇■
「何で君が報告にくるの?」
寝室のベッドでカラは珍しく不満そうに報告書を持って来た男に告げた。
男はカラの様子に怯えを見せながら、それに答える。
「ハッ、モッ、モリス様は事態に対応する為、現地へ向かうとの事です」
「……あいつ、逃げたな」
カラは怠惰ではあったが暗愚では無かった。
モリスが現在の地位と背負わされる責任を常に天秤にかけている事は知っていた。
そんなモリスを重用していたのは、一重に彼が優秀だったからだ。
「はぁ……面倒だが仕方が無い……自分で動くか……君、城にいる魔女に招集をかけてくれ」
「ハッ!」
男はカラに頭を下げると、その場から逃げる様に急ぎ足で寝室を後にした。
「ふぅ……」
男が去った寝室でカラは深いため息を吐いた。
報告書によれば、麾下の魔女の半数以上が既に行方が分からなくなっている。
領地の円滑な運営、この場合、反乱の抑止力として新たな魔女が必要だ。
それをする煩わしさを考えると気が重くなる。
「“はぐれ”と異邦人か……僕に仕事をやらせたんだ。相応の報いは受けてもらうよ」
カラは今一度、深いため息を吐くとベッドの柔らかさに後ろ髪を引かれながら、その重すぎる腰を上げた。
■◇■◇■◇■
城を逃げ出したモリスは、街を抜け西の国境を目指していた。
西へ向かうのは危険ではあったが、他国へのルートとしては一番近い。
狙われているのが魔女という事も加味して考えれば、勝算は十分にあるだろう。
鞄の中には今まで貯めた金を宝石に変えて忍ばせてある。
これだけあれば、隣国から忌避されるルマーダ人であってもそれなりの生活が死ぬまで送れる筈だ。
「もっと早くにこうしておくべきだったかねぇ……」
ストレスは大きかったが、貰える金の多さと不自由のない暮らしについズルズルと続けてしまった。
そんな事を考えながら馬を操り、その日の夕刻には国境の森へ辿り着く事が出来た。
カラの性格であれば逃げ出したと気付いても自分を追う事はしない筈だ。
あの男は個人の有用さより、説得して再度働かせる事の手間を煩わしいと考えるだろうからねぇ……。
よくあんな怠惰な男の下で何年も働いたものだと、自らの行いを振り返り苦笑していると頭上にバサバサという音が響いた。
追手か?と見上げると見覚えのある翼がモリスの目に飛び込んできた。
「おっ? たしかお前…モリス…だったよなぁ?」
「ベラーナ……様……生きておられたのですか?」
「あ? 俺がそう簡単にくたばる訳ねぇだろ? ……それよりお前、こんなとこで何やってんだ? この先は国境だぜ……ハハーン、お前、逃げるつもりだな?」
蝙蝠に似た翼をはためかせ、モリスの馬の前方にその身を躍らせる。
行く手を遮る様に動いた魔女の背中から、人影が地面に音もなく降り立った。
黒髪、黒目に黒い鎧、異国風の顔立ちの男だった。
「ベラーナ、こやつは何者じゃ?」
「こいつはモリス、カラの領地の運営を任されていた男さ。人間にしては結構優秀だぜ」
「ほう、優秀のう……」
「おっ、お前は!?」
モリスは問いの答えを確信しつつも尋ねずにはいられなかった。
「儂は佐々木伊蔵。今はこの国の乱れを正す為、魔女を狩る者じゃ」
「魔女を……狩る……やはりお前が……」
予想通りの答えにぼそりと呟いたモリスに伊蔵は言葉を続ける。
「そうじゃお主、仕事が出来るのなら我が主に手を貸さぬか?」
冗談じゃ無い! そう叫び出したくなるのをモリスは必死でこらえた。
恐らく馬の足でもベラーナの翼から逃れる事は出来ないだろう。
そして下手に抵抗して捕まった時の方が事態は不味い方向に行く筈だ。
であれば交渉出来そうな今、全力を尽くすべきだ。
「手を貸せと申されましたが、私は戦うことは出来ませんし、ベラーナ様の仰る通り我が身可愛さに逃げ出した腰抜けです」
「勘定方に戦う事は求めぬし、戦士でないお主が己が命を惜しむのは当然じゃ……主の願いはこの国の戦争を止める事。その為に儂らは魔女を排除、もしくは仲間に取り込んでおる。お主には魔女がいなくなった土地の運営をしてもらいたいのじゃ」
「運営……で御座いますか?」
「どうだぁ、モリス? 悪い話じゃねぇだろう?」
緑のワンピースを着た赤い肌の魔女はモリスを見下ろし牙を覗かせ笑う。
悪い話以外の何物でもない! 俺は逃げ出したいんだよ!!
モリスはそう思いつつ、ベラーナに愛想笑いを返しながら口を開く。
「とっ、とにかく、もう少し詳しい話を聞かせていただけますか?」
「よかろう。ついて参れ」
黒髪の男、伊蔵はそう言うと空を舞うベラーナの背に跳躍し飛び乗った。
「家に戻るぞ」
「おう。モリス、こっちだ」
人間に対して傲慢な態度を取っていたベラーナを従わせている伊蔵を見て、モリスは目を見開いた。
異国風ではあるが人間にしか見えないこの伊蔵という男は何者なのか?
主とは“はぐれ魔女”なのか?
戦争を止めるというが本気か?
様々な疑問がモリスの中で渦を巻く。
「早く来いよ!」
「はっ、はい!」
ベラーナの声で我に返ったモリスは、やはりサッサと逃げておくのだったと後悔のため息を心の中で吐いた。
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