幸せな日
「「「アオイ様! 旦那様! お帰りなさいませ〜〜!」」」
「うわーーん! ただいまだよみんなぁっ……! すっごく長い間お別れしてた気がするよ〜〜……!!」
狼森家に残っていた使用人一同と感動の再会を果たすアオイだが、彼女自身気付いていない。“ただいま”と、自然と口にしていること。此処が己の居場所だと認識していることに。
100年も閉じ込められた場所なのに、こんな温かな気持ちになるなんて。主の怜も、狼森家使用人一同も未だに信じられなかった。
しかしもっと信じられないことに、こんなにウブウブなアオイが彼にキスをしたことだった。
パーティー翌日──、アオイを襲ったであろうド畜生の犬坊っちゃんをコニーはガミガミうざうざ叱っていたのだが、黙って隣で聞いているアオイの様子がどうもオカシイ。それとなく、誘導するように事実を確認すると、顔を真っ赤にして口を濁している。
まさか。本当に?
女遊びの手練れである坊っちゃんが酒に酔った勢いでアオイを襲ったのではなく、本当にアオイからキスをしたのか?
これは驚いた。あんぐり空いた口を、コニーはそっと閉じたのだ。
メイド長コニー。二人の関係が進んだこと、大っぴらに騒ぐほど野暮ではない。
ひと足お先に邸へと戻ったナウザーとハヤテも知り得ない。帰りの列車の中、雰囲気で何かを察したステラに、コニーはこくんと頷くだけであった。
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──帰宅後の翌朝。
久々の爽やかな朝にアオイは深呼吸をしていた。
柔らかな朝日で目覚め、小鳥の囀りが聴こえ、窓からは朝露に濡れた涼しい風が舞い込んでくる。街の喧騒も人々のざわめきも、堅苦しいホテルマンの挨拶も無い。
都会から離れ自然に囲まれたこの辺境伯領が、改めて好きだと感じた。
異国の地、何処かノスタルジーなこの邸に留まると、もう決意した。
──「アッオイさまぁ〜〜! おっはよーーございまーーーす!!」
「ひょえ!? びっ! びっくりしたよ、シェーンったらそんなに大声でぇ〜……!」
素晴らしさをこんなにも浸っているっていうのに、シェーンったら飛び抜けて元気ハツラツな朝の挨拶。ホラ早く早くと準備を急かされるものだから、アオイは理由も分からず準備を急ぐ。
「何よどうしたっていうのよこんなに急いで!」
理由を聞いてみるもニヨニヨと笑って誤魔化されただけだった。
柔らかなリネンのワンピースを着せられ、てっきりダイニングへ向かうのかと思ったのだが通り越して庭へと誘導するシェーン。
「あえ!? 朝食は!? ていうか靴っ! 靴履かなきゃっ!」
「靴なんて今日は要らないんですっ! 裸足でパーティーですっ!」
「は、裸足でパーティー??」
「やだ私ったら口走っちゃった!!」
つい口走ってしまうシェーンはやはり案内役には向いていないのか。これ以上の思考の想像を阻止するため、庭へ出ると同時に犬の姿へと変わる。
白黒のメイド服は見事にもふもふな毛皮へと変化して、後ろを素直に付いてくるアオイからはジュルリと涎の音がする。
朝露に濡れた芝が擽ったくって。桃源の村の人々が日々に感謝を捧げるのと同じぐらいに、身体の全てで一歩を踏みしめるアオイ。
そうして案内されたのは、向日葵畑の直ぐ側、緑が美しい木陰。遠くの百日紅が自身の視界を色付けている。
木漏れ日が心地よい大きな大きな茣蓙の上には、沢山の犬の姿があった。狼森家別邸一同である。
「「「アオイ様ぁ!! お誕生日おめでとー御座いまーーす!!」」」
声を合わせ祝うと、アオイは心底びっくりして途端に笑顔の花を咲かせた。
せっかくの二十歳をこうして祝えなかったので、随分と遅れたが怜からのプレゼントだった。
「アオイには、物よりも思い出だろうと思ってな」
「どうしよう! 嬉しい!!」
「ふふ、それは良かった。今日は私達を遠慮なくもふもふしていいからな。そういう日だ」
「うっそ! やったあ!! 本当に本当にみんなありがとう!」
一際大きな犬の胸へ飛び込むアオイ。
それからというもの、狼森家別邸一同は飲めや歌えの大騒ぎ。あっという間に正午を過ぎ、うつらうつらと眠気が襲う。
犬の姿をしていると生活リズムも犬基準になってしまうのだが、とくにお馬鹿なハヤテは一心不乱に穴を掘った挙げ句放ったらかしで寝ようとするものだから庭を管理していた鬼塚に目茶苦茶に怒られていた。そんな姿を見てアオイはまた幸せになる。
「今日は幸せな日だなぁ……」
「まぁアオイ様ったら。そんな恐ろしい大きな犬の腹に包まれて言う台詞ですか」
「ふふふっ、コニーったら。私はこの毛に埋もれるだけで幸せなんだよ」
「ふふっ、全くもう。本当に変な御方ですことっ」
「なによう。…………ねぇコニー、みんなも、」
「はい、何ですか?」
「わたし、ずっと此処に居て良いかなぁ……? 皆と、ずっと此処で暮らしたい」
アオイの言葉に、ぴくりと耳を立てる狼森家使用人一同。そんなもの、聞かれなくたって答えは決まっている。一同耳を倒し、勿論ですと、頷いた。
「っ、ありがとう……! ふふふっ! 嬉しいなぁ、本当に今日は幸せだなぁ!」
「何を言うか。むしろアオイに居なくなられる方が皆困るぞ? 私だって、困る」
折角のもふもふいっぬパーティーだというのに、怜はわざわざ人間の姿に戻ってアオイの肩を抱くものだから、使用人一同やれやれと呆れている。
とっくのとうに昼寝したハヤテと、全てを知るコニー、ただ二頭を除いては。
当然のようにちゅ、とアオイの頬にキスをして、「そうだろう?」と問う怜に、顔を赤くしながらも「……ん、」と受け入れるアオイを見て、使用人一同耳を立て目をまん丸くしたのは言うまでもなかった。