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白虎の女王


 しかし、納得のいっていない人物が一人。

 紅華(フォンファ)国の大使だった。


 彼は何の為に此処へ来たのか。

 それは話し合うためでも、大切な家族を死なせた王妃の命を奪う為でも無い。

 徐々に落ち着きを取り戻していく大ホールの皆に、ただ独り、置いてけぼりの大使。

 テンポの良い音楽も、今の彼には不快で仕方無い。


 彼は、己の私欲の為だけに貪る気持ちの悪い貴族達に認めて欲しかった。謝って欲しかった。

 『私のやり方が間違っていた。申し訳無かった』と、心から侘びてほしかった。

 彼は其の手で誰の命をも奪ってはいない。奪うつもりもない。

 そもそも、自分に誰かの命を奪って良い権利など無い。


 家族を田舎に置き去りにし、仕事が忙しいからと会いにも行かず、二ヶ月に一度の仕送りだけで済ませていた自分に、そんな権利があるものか。

 もしかしたらその仕送りでさえ、家族には届いていなかったのかもしれない。それを今更知る事もできない。

 今思い返せば、何度「ちょっとで良いから帰ってこれないの?」と言われただろう。

 きっと其の言葉が、家族の、桃源の村に住む人達の叫びだったのだ。そう伝えるしか方法が無かったのだ。

 其の目で現実を見て欲しいという、微かな希望だったに違いない。


 それなのに、そんな少しの変化も気付かず、寧ろ『家族の為に稼いでいるんだ』とまで烏滸がましく、適当にあしらっていた。

 無論、当初は殺す計画を練っていたのだが、いつから知っていたのか、ある時紅華国の女王に呼び出され、「お前はもっと話を聞くべきだったね」と言われ、気が付いた。

 一番家族に対して酷かったのは、自分だった。


 誠実さだけは誰にも負けないと、田舎から王都にまで出て来て、大使まで任されるようになった。

 なのに、一番誠実にしなければいけない相手を、見失っていた。

 失くしてから気付くような、そんな酷いやつに、誰かを殺す権利も責め立てる権利も無いだろう。

 だがせめて、今後この様な事が無いように、晒し首にしてやろうと、『自分の事は棚に上げて』とそう言われても、それが自分に出来る精一杯の事なんだと、ここまでやって来たのに……。

 最後の最後で狂うのだ。


 開き直るどころの話ではない、蒼松(そうしょう)国の王妃レベッカは、『美』に対して執着が激しく、まるで精神を病んでいる、いや、 "まるで" では無く、確実に病んでいる。

 そんな奴に、これ以上どうしろと言うのだ。

 どう頑張ったって認める訳がない。

 認めるも何も、本気で自分は悪くないと思っているのだから、そもそも話にならない。


 日が越えるまでの間でも、気持ちを切り替え忘れようとしている皆に、醜く恐ろしい感情に支配されていく。

 制御する間もなく、声が、身体が、勝手に動き出した。


「死ねぇええぇええぇえぇええ──……!!!」




*****


 大使がそう叫ぶ少し前──。テンポの良い音楽が鳴り響きだした頃、狼森辺境伯に紅華国の女が言った。


「彼はね、大の猫好きなんだよ」

「……は?」


 脈絡もなく突然話し掛けてきたので、怜は当然の如くそう反応した。


「猫を目の前にすると我を見失う程、作業の手が止まってしまってね。大変なんだ」

「……何の、話をしているのでしょうか?」


 何度この女に問い掛けただろう。

 けれど明確な答えは何一つ貰っていない。

 怜は一瞬、平和ボケな少女、いや、もう今日で立派な女だったか。その子を思い出した。

 それどころでは無いのは分かっているのだが、つい思い出してしまう。


「逆にと言ってなのか、彼は相当の犬嫌いでね。どれだけ小型だろうが身動きが取れなくなるんだよ」

「……」


 あぁ会話にならないなと、無視しようとしたが、彼女はまた意味深なことを言う。


「なんでも、幼少の頃に村を抜け出して探検していたら大きな犬に出遭ったらしくてね」

「ッ……」

「それはそれは恐ろしかったと、今でも言っているんだよ」


 何度繰り返すのか、また、何の話をしているんだと聞こうとしたその時、大使が叫んだ。


「死ねぇええぇええぇえぇええ──……!!!」


 そう叫んで、ナイフを握り直し、振りかざす。

 王妃のレベッカは驚いて必死に逃げようとし、近くに居たレイドも、メル公も、騎士達も、最悪の事態は避けようと必死に駆け寄る。

 しかし一番に大使の元へ駆け寄ったのは他でも無く、怜の横に座る謎の女だった。

 いや、雌と言ったほうが正しいのか。


皓轩(ハオシェン)、いい加減にしないか……!!」


 突然声を張り上げ立ち上がったかと思えば、一瞬で白虎の姿に変わり、舞台の上へと飛び跳ねる。

 白虎の姿を許されているのは、此の世でたったの一人。

 それは紅華国の王のみだった。


蘭玲(ランレイ)様……!? 何故此処に……!?」


 白虎はそう呼ばれた。

 神の化身は誰もが息を呑むほど美しく、舞台の上でライトに照らされていなくとも、その体毛は白く、光り輝く。

 正しく、紅華国女王、王 蘭玲(ワン ランレイ)だった。


 次から次へと揃う役者。皆状況を整理するので一杯一杯だ。それに白虎の姿は息も出来ぬほど恐ろしい。

 眼光の輝き、噛み付かれれば命など無い牙、全てを引き裂いてしまいそうな鋭い爪。

 怜も、その姿を見て納得した。

 ただ単に、呪いで姿を変えられた自分とは違う。

 高貴な神の化身だ。

 紅華国の王になったものだけが許される姿。


 白虎の蘭玲(ランレイ)は、蒼松国との外交を務める皓轩(ハオシェン)の頭を大きな肉球でぐりぐりと押さえ付け、取り敢えずだが動きを止めた。

 皓轩(ハオシェン)はそれでもブンブンとナイフを振り回す。


「止めないで下さい! そんな肉球を押し付けられても! 私はもう、こうするしか……! もう、どうして良いのか……!!」

「はぁ……、野生の勘が働いて潜り込んでみれば……。やはり我慢できなかったのだな。あれ程、王妃には手を出すなと言ったのに。見てみろ。言う通りだったろう」

「っ………、」

「ふっ。まぁ、事の成り行きを見物していた私も、随分と悪趣味だけどね」


 夢中で演奏していた楽器達も、いつの間にか奏でるのを止めていた。

 感情的になってしまっている紅華国大使は止まりそうにない。その姿を見て、蘭玲(ランレイ)は悲しそうに、もう一度溜息をついた。


「もういい皓轩(ハオシェン)。その話は別の場所でいいだろう?」


 肉球で押さえ付けていた皓轩(ハオシェン)の頭を離し、すかさず首根っこを口で咥えた。


「そんなっ、そんな可愛い口元に包まれたって、もう決めたのです……! 元より死ぬつもりだったんだ……! それなら狂ったこの王妃を殺してから、私も死ぬ……!!」


 恐ろしい言葉に、蒼松国王妃レベッカは震えた。

 こんな場所で死にたくはないからだ。

 死ぬならもっと美しい場所で無ければならない。

 それに、血を出して死ぬなら、ドレスは黒と決まっている。鮮血には黒が一番似合う。

 それなのに今は緑のドレス。特に好きな色でもない。

 これでは全然駄目だ。最期まで完璧に美しくなければ。


 一方、紅華国女王蘭玲(ランレイ)は、大使の言葉にまた溜息をついた。

 大使を壁に投げつけ、鈍い声を上げ倒れたところを上から踏み付けた。大使の背中には、白虎の立てた爪が僅かに刺さっている。


「何故お前が死ぬ?」

「っ命を! 私の命を持って償うのです……! 私が犯した罪はあまりにも重い……!」

「代償だと言いたいのか? それがお前の命だと?」

「ッ、はい……」

「王妃が死ねばそれで解決か? それで皆の意識が、世界が変わると」

「私は、そう信じております……!!」

「馬鹿者め。お前の犯した罪をお前の命で償えと命令した覚えは無いし、王妃が死んでも解決はしない。それに、悪いがお前の命はそれほど価値は無いよ」

蘭玲(ランレイ)様……ッ!」


 刺さった爪が痛いのか、押さえ付けられた身体が痛いのか、それとも心が痛いのか。

 大使の皓轩(ハオシェン)は苦しそうに名前を呼んだ。


「人とは都合の良い生き物だ。犠牲者の事など直ぐに忘れ、また己の利益だけ求める」

「しかし我が国で不正を働いてた奴等も今は……、」

「ああ。今だけ、な。体制も整っていない現状でお前が死ねばまた蔓延る。あぁ……もう良いと何度言わせる。その話は後だ。これ以上我が国の内部を此処でペラペラと話すつもりは無い」

「っ…………はい」

「全く、何で大臣の言葉を鵜呑みにして皓轩(ハオシェン)を大使にしてしまったんだか。あの頃は若かったな」


 皓轩(ハオシェン)にだけ聞こえるようにそう呟いて、白虎の蘭玲(ランレイ)はすっかり大人しくなった彼の首根っこを、また咥えた。

 そして蘭玲(ランレイ)は「他の王族達が居る場所へ案内しておくれ」と器用に大使を咥えたまま伝えると、それに頷いたレイドはいつの間にか逞しくなった身体で母親のレベッカを支え、舞台から去っていった。


 最後に、何をやっている演奏を続けろよと、レイドは目線で合図して、指示を出された音楽隊は人々の喧騒をかき消すように陽気な音を奏でだした。

 その一方でメル公はというと。

 もふもふ欲求を抑える為、必死に蘭玲(ランレイ)を見ないように片手で目を覆っていたのだった。


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