抱き締めて
「んー……」
「お早う」
「へ!?」
懲りない怜は、また人間の姿で彼女と朝を迎える。
しかしアオイも二度目と言うこともあってか以前ほど叫んで驚きはしなかった。
「わたし……また……!?」
「私の背中の毛を掴んで離さなかったぞ? 私も疲れていて眠かったからなぁ。仕方なく、だ」
アオイはかあっと顔を熱くさせながら、「そっ、それはっ、ごめんなさい……!」と一応の謝罪。
事実、確かにそうと言えばそうだった気もする。
意地悪そうな微笑みに若干不信感を抱きつつも、事実は事実。
それ以上は無い。
もしかしたら真実は別にあるのかもしれないが。
上半身を起こし、あぁ恥ずかしいと言うふうに手で顔を覆って心を落ち着かせているアオイ。
もう少し先に進んでみようと決めた怜は、意地悪にも断れない約束を今此処で引っ張り出すのだった。
「で? どんな事でも良いのだろう?」
「……へ?」
横になって肘を付きながらにこにこ微笑んでいる怜は、どう見たって意地悪なことを考えている。
まさか忘れた訳じゃないだろうと、これまた意地悪そうに聞いてくるのだが、当のアオイは起きて早々恥ずかしい状況故、さっぱり頭が回らない。
「え、えぇと……?」
「言ったよな? 私が犬になるなら、何でもすると」
「あ……、えぇ、そう! 何でもするわ!」
勿論分かってますともと胸を張る。
嘘をつけない正直者の顔をじとりと見つめ、今思い出したくせにと呆れる怜だが、そんなアオイも可愛いなと思ってしまう自分は既に愛に狂っているのだろうと感じた。
「で? 何して欲しい?」
どんとこいと拳を両手につくるアオイだが、隣に寝そべる彼の浴衣がはだけており、スマートな見た目とは裏腹に筋肉の付いた胸板がチラリと覗いている。
腕の筋と美しい鎖骨。
一瞬瞳に捉えただけなのに、何だか分からないものがドキリと心臓に深く刺した。
あまりに深く刺さるものだから、鼓動の音と同じにゴクリと生唾を飲む。
一方の怜も、何して欲しいのとベッドの上で聞かれるものだから、そりゃあ勿論──と、そのまま押し倒す衝動を抑え込むのに必死だった。
「…………何でも、するのだろう?」
「え、えぇ……」
「じゃあ、……抱き締めてくれ」
「えっ、だきっ!?」
「あぁ。ハグだと思って」
「は、はぐ……」
そんなお願いをされるなんて毛頭なかったアオイは、ハグは挨拶だと、どうにか呼吸を落ち着かせる。
上体を起こし「ほら、ただのハグ、なのだろう?」と両手を広げる怜の姿に締め付けられる心臓。
あまりの苦しさにアオイは己の浴衣の合わせを両手で握った。
そしてふと気付く。
犬の姿なら、と言う事に。
けれどそれを予想していたというのか、「言っておくが人間のままで、だからな」だなんて、念を押された。
恥ずかしいとは口に出来ず、ごもごするアオイに見かねた怜は、「あのな、アオイ」と広げた両手を一旦下げた。
「アオイは、私をもふもふしたいだろう?」
「っそりゃあ! 勿論!」
「それと一緒。私だって、ヒトの、この素肌で、誰かの熱を感じたい」
「あ………」
そうかと少し納得。
アオイが怜のもふもふを求めるように、怜も誰かの熱を求めているのだ。
もふもふを纏っていたら、感じられない熱。
「……だから、抱き締めてくれ」
今度こそ、と両手を広げけば、にじり、にじりと近付くアオイ。
脳みそも沸騰するんじゃないと言うほどに顔を真っ赤にしている。
緊張からなのか、下がった眉と熱い息遣いがよりそそる。
二人の距離が、あと数十センチと言うところで、「うぅぅう後ろからでっ、御願いしますぅ~……!」とどうやら前からのハグはまだ厳しいらしい。
怜は「仕方無いな」と素直に後ろを向いた。
広げた両手が結局活躍しなかったのは残念だが、まぁ初めは許してやろう。
「ん、」
背中に感じるアオイの熱、鼓動──。
はぁ、と微かに漏れる息。
シルクの浴衣が肌を撫でる。
たどたどしく回される細い腕と、そして柔らかい胸。
怜は、確かに感じた。
心臓が締め付けられるこの感じ。
アオイが好きだと言う、この気持ち。
どくどく煩い鼓動は、アオイのものか、それとも己か。
「ま、まだ……?」
後ろから耳元で囁かれれば、男だって感じてしまう。
保てなくなる前に。
「有難う。もう、良いぞ…」
「はぁッ……」
息でも止めていたのかと思うほど大きく呼吸するアオイ。
熱っぽく、色っぽい顔で、恥ずかしがって、堪らない程、愛しい。
(これで暫くからかってみるのも面白いかもな。……まぁ己の理性を保てれるのなら、だがな)
そう考える怜だった。
「今度して欲しいときは、また御願いする」
「ッえ!? 一回だけじゃないのっ!?」
「おや? じゃあアオイは私のもふもふも一回だけで良いと?」
「っぐぅ……!」
「何でもするんだもんな。頼んだぞ?」
「んん~~っ! 分かったよ……」