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100年の呪いが解けるとき。


 森を駆け、別邸に着くと、その勢いで扉を開けた。

 並走して帰宅したコニーに「アオイ様!? 扉は静かに開けるものです!」と叱られる。

 怒ると恐い犬だ。

 ローザはまたそこら辺で食事でもしているだろう。


「おや、もう戻られたのですか?」


 夜会はまだ続いている時間でしょうとナウザー。

 扉を開けた音に反応し階段を降りてきた。

 事情を説明し怜の居場所を問うと、自室に居るはずですと言う。

 御礼を言うと、直ぐ様階段を駆け上がる。

 普段なら「せめて着替えてからにしなさい」とナウザーもコニーも言うだろうが、慌ただしいアオイをただ見つめているだけであった。


 巨犬の部屋を開けたがそこに姿は見えず。

 部屋の窓が開いており、サァアア──っと風が流れていく。

 夏の夜風でカーテンが揺れた。


「何処に居るの……?」


 揺れたカーテンの隙間から、向日葵達がさわさわとリズムに乗っているのが見える。

 戻ってもう一度ナウザーに問うが、「私には一時間前に自室で休むと。それ以後は分かりかねます」との事。

 タオルを運んでいたアン聞いてみるも、「いいえ、存じません」と言う。

 その後も使用犬に聞いて回ったが誰も居場所を知らない。


「もう! 何処へ行ったのよ!」


(こうなったら奥の手使っちゃうんだからね……!?)

 これ以上聞いて回っても埒が明かないと思ったアオイは、急いで庭に出た。

 待宵(まつよい)の月に照らされた夏の庭の向日葵達。

 まるで太陽だという様に、アオイを見ている。


「教えて。怜は何処に行ったの?」


 さわさわさわ────


 心地の良い夏の夜風。

 肌も髪も風が撫でていく。

 柔らかな月の反射が、向日葵の花弁を輝かせる。


「分かった! ありがとう!」


 そしてまた走り出した。

 向日葵達の教えてくれた場所へ。


「あぁ! もう!」


(今の私には邪魔だわ!)

 九㎝のヒールも、息苦しいコルセットも、脚が見えるなんて今はどうだっていい。

 ドレスも全て脱ぎ捨てて、シルクのシュミーズだけ。

 身軽になって、アオイは走る。


 山道を駆け上るのは流石に辛い。

 息を切らしながらも、あと少し、あと少しと、一歩づつその場所へと近付いていく。


「いっ、居たーーーーッ!!」

「な、おま、は……!!?」


 もう散りかけの百日紅。

 怜はその根元、散った花弁の上で横になっていた。


「何故此処が……!? それに夜会はどうした! というかその格好は何だ!」

「途中で帰ったの! それより! どうしたの? どこか痛いの? 大丈夫!?」

「はあ?」


 もしゃもしゃと巨犬の身体を触って回るが異常は無いようだ。

 爪も肉球も瞳も、口の中も牙も確認。耳も、耳の中も、お腹を押してみたり、お尻の穴も確認しようと、尻尾をぐいっと持ち上げたところで「ヴワンッ……!」と、ぐるんと正面を向いた怜。


「馬鹿か! お、お前はッ! さっきから何をしているんだ……!」

「だって! 風が! 早く帰れって。怜に、何かあったって……」

「はぁ!?」

「本当に痛くないの!? どこか悪いんじゃ……!」

「………別に、何処も、何も悪く無い!」


 何かを悟られそうな気がしてか、犬は「ふん」とそっぽを向く。

 どちらが幸せかなんて、見れば分かるから。

 夜会を遠くから見ていて久し振りに思い知らされた。

 己は『獣』なんだという事に。

 この何週間かは、憐れな獣に神が贈ってくださった最後の夢だったのだ。

 己は身も心も醜い獣。


「それより。なかなか良い男ではないか?」

「え……?」

「あのハモンド侯爵とかいう男」

「ハモンド侯爵……? 何で知って……まさか来てたの?」

「見回りついでに少々様子を見ただけだ」

「来たなら声掛けてよ……!」

「姿を見られたら大騒ぎだろう」


 見られたって別にどうってこと無いじゃないかと、そう言ってぎゅっと犬の首に抱きつくアオイ。

 無防備な格好で胸元をチラリズムさせる彼女に、巨犬は(理性……理性……)と己に言い聞かせ、百日紅に目線をやった。

 するとまた、はらりと、花弁が一枚、重力に負ける。


 地面に落ち、萎びた花弁達を眺めて思う、己の頭はおかしくなってしまったのだろうかと。

 元の姿に戻れれば良い、そう思っていた。

 しかし今の気持ちは、アオイには幸せになってほしい、ただそれだけだった。


 姿は獣でも辺境伯の跡取り、人を見る目には自信がある。

 ハモンド侯爵は誠実で優しいし、アオイの素直で平和ボケも、ラモーナ出身だと知っても、きっと守ってくれる。

 何より惚れている。

 一緒になれば、幸せに人生を過ごせるだろう。

(きっと、100年前の貴族より、忘れられた私なんかより。こんな、醜い獣の、私なんかより……)


「随分と気に入られていたな」

「え?」


 彼女を見ると胸元まで見えてしまうので目線は百日紅から動かさぬまま、突っぱねる様に、否、自分の気持ちを隠す様に、そう言った。


「ハモンド侯爵だよ」

「え? そう? 普通に会話していただけよ?」

「うん……?」


 まさか明ら様な態度に気付いてないとでも言うのだろうか。

 その鈍感さに引くものの、アオイの気持ちがどうにかルイ・ハモンドに向くようにと話し始める。


「二人並ぶとよくお似合いだったぞ」

「そう?」

「あぁ。見るからに優しそうだ。ハモンド家は堅実な資産家で金には困らないし、ルイ卿も婚約者を探しているらしいぞ。アオイが名乗り出れば即婚約だろう。どうだ? 相手として文句無いだろう」

「え……、いや……そうだと思うけど、何で私なの……?」

「アオイだっていつかは結婚するだろう?」

「それは、まぁ……」


 ちらりと目をやると、下着姿で困り顔のアオイ。

 危うく己の理性が飛ぶところだ。

 獣でなければあんな男に負けるはずないのに、なんて思ってしまう心が醜いのだなと諦めた。


「顔も良いしな。他の女からも羨ましがられるぞ?」

「だからって好きでもない人とは婚約できないよ」

「相手はそうでもないと思うが。十分過ぎる相手だろうに」

「っ…………」


 ついにアオイは黙ってしまった。少し話を急ぎすぎたかもしれない。先程会ったばかりの男性と婚約しろと薦められても確かに嫌だっただろう。

 いいや、普通の女性ならば、イケメンとお似合いだと言えば大抵は浮かれる筈だ。

 けれどアオイは違う。

『好きでもない人と』

 きっとこの言葉が、アオイを作るそのものなのだ。


「すまない……。アオイが好きでないのなら仕方無いな」

「ううん、いいの。怜はお似合いだと思ったからそう言ってくれたんだよね」

「あ、あぁ……」

「…………あのね、言っておくけど、私は怜の方が好きだからね」

「え…………いま、……なんと、」


 アオイの真実の言葉に、残り僅かだった百日紅(ヒャクジツコウ)の花が眩く輝きだした。

 すると、枯れかけていた木が芽吹き、次々に花弁を広げていくではないか。


「似合うとか、似合わないとかじゃないの。犬とか人間とか関係ないの。私は、怜の事が好きなの」

「っ…………」

「貴方の事が大好きなのよ。ね? 可愛い私のもふもふ」


 こんなに眩い光を放っている百日紅に少しも気が付かないアオイ。

 首周りのもふもふで視界が遮られているのだろうか。

 怜は少しだけ、アオイの視界が開けるように、ほんの少しだけ、姿勢を整えた。


「………………っな、何事!?」


 光輝き花を咲かせる百日紅にようやく気付いたアオイ。

 ほっとして姿勢を崩したのも束の間、領地の周りを覆っていた結界は煌々(キラキラ)と粉の如く散り、それが星となって夜空に還っていく。

 その光景をこれでもかと瞳を丸くして、しかと二人で見届ける。

 気付けば百日紅が満開だ。


 そして、この身体。

 久し振りの人の皮膚。

 器用に動かせる指。

 金色の髪にエメラルドの瞳。

 幾人もの女を虜にしてきた色気のある顔。

(あぁ……、戻ったんだ……)


 もふもふの首に抱きついていたアオイは唇同士が重なりそうなその距離に、それはそれはもう目を白黒させ後世に残せるほど永久保存版の顔をしている。


「なっ、だっ、どっ、えっ」


 人は驚くと言葉が出てこないらしい。

 恐らく、「え、誰。どうして、え?」とでも言いたいのだろう。

 掛かる吐息に、普通の物語ならばキスをしても良いのではないか。気持ち的には舌を入れて掻き回したい。


「呪いが解けた。私は人間だったんだ。これが、本当の姿」

「ど、、ど……どえーーーーーーーーーーッ!!??」


 近い、あまりにも近すぎる。

 お前は誰だ。


 訳が解らなくて、アオイは取り敢えず距離を取った。

 彼女の全体像を捉えると、露になっている脚は美しい曲線を描いている。

 少し角度を変えればその先まで見えてしまいそうだ。

 唇への口付けが許されないのならば、せめて差し出された足の甲にそっと口付けでもしたい。

 これが99年間、待ちわびた瞬間だった。


──「はぁ~~~、もう待ち草臥(くたび)れたわ~~、やっと解けたの〜〜?」


 美しい声と共に漂う香り。

 嗅覚は幾分か落ちても忘れはしない。

 この甘ったるい匂い。呪いをかけた張本人。


「フローラ……」

「ふ、フローラ!?」

「んな! アオイ!? 何でここに!?」


 名前を呼び合う三人は各々に驚く。

 知り合いなのかと美しい男に問われるアオイは、その姿を受け止めきれず返事もろくに出来ない。


「え、な、なな、な、何でアオイが……? 此処に? 呪いが解けたのって? え? まさかコノ男と?? え??」


 一方妖精も状況が整理出来ず、振りまく妖精の粉が止められないのか二人の視界がグリッターで溢れていく。

 意図せずとも、祝福をされている様だった。


「こっ、これは夢か!! そうに違いない!」


 受け止めきれないアオイは、「ならば水を浴びよう!」と別邸へ走り出してしまった。現実逃避というやつである。

 呼び止める美しい男に「何でアンタが呼び捨てにしてんのよ!」と妖精は突っ込む


「悪いな。そういう(・・・・)関係なんだ」

「ううう嘘よ! そうなんでしょう……!? 嘘だって言いなさいよ!!」

「はっ。この姿を見ろよ。お前がかけた呪いだろう?」


 呆れた様に笑う美しい男。

 その顔を見て「嘘よ」と呟き、走り去るアオイを見て頭を抱え、「嘘よ……!」とまた呟いて、頭を横に振る。

 その度に薔薇の花弁が散り、辺り一面グリッターと花弁だらけだ。


「ッ、い、いやぁあぁああ~~~~ッ……!!」


 フローラは叫んだ。

 周りの花々も揺らす程に。

 何にせよ、呪いは解けてしまった。

(さて、これからどうするか……)

















「水だーーーッ! 水を浴びなきゃーーーッ!!」


 錯乱したアオイは浴室へ直行した。

 修行のように水を浴びていると、騒がしいアオイの元へ使用()が集まってくる。


「うわーーッ! 夢だァーーーッ! さむいーーーッ!」


「アオイ様。お止め下さい。風邪を引いてしまいます」

「アオイ様! 嗚呼この姿! 見て下さいな!」


「だっ、誰!?」


「アオイ様!」

「アオイさまーー!」

「今日という日はなんて目出度い!」

「えぇ、もうなんと感謝してよいか……!」

「明日は御馳走を作るぞ!!」

「雪が溶けたら庭を作り直さなきゃね。楽しみだわ」

「目線が高い」

「あぁもうサイコーだな!」


 聞き慣れた声。

 違う。

 これは夢なんだ。

 そんな筈ない。

 ザブンと溜めた水風呂に浸かると、そのまま気を失ったアオイだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] そ、そんなもう犬がいないなんて……!! ここから犬のターンがないなんて、そんなことが…………。
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