お昼寝下がり
「失礼致します。あの~アオイ様? そろそろもう……」
「へ?」
昼食のお時間ですとコニー。
時計を見ると十一時を過ぎていた。
と言う事は四時間もブラッシングしていた事になる。
「ふわぁああ……もう昼か?」
そりゃあ怜も眠ってしまう筈だ。
入室したコニーは、アオイが隠れて見えなくなる程の塊を見て「まぁ……これは」と目を丸くする。
アオイが頑張ってブラッシングして出来た怜のドッペルゲンガー、ではなく大量の抜け毛。
何度、舞う毛でくしゃみをしたことか。
それだけ柔らかい毛が生えていたのだろう。
辞め時が分からず一心不乱にブラッシングしていたものだから、すっかり汗をかいてしまった。
「昼食が終わったら湯浴みにしましょう」と額の汗を拭うアオイに、コニーはドッペルゲンガーを片付けながら言う。
「そうね、出来ればそうしたいわ!」
「さ、お腹も空いたでしょう。シェフ達もお二人を待っていますよ」
「はーい! 有難うございます!」
シェフ達の美味しい料理を戴いた後、桧の香りが癒やされる大浴場にて汗を流した。
どうやら怜もここぞとばかりに湯に入れられたようで、毛艶がより一層良くなり、もふもふにも磨きがかかりそれに良い匂いだ。
ダブルコートの超絶大型犬を毎日手入れするのは相当骨が折れるだろう。
ましてや犬が犬を手入れするのだから。
「あ! そうだ!」
そんな事を考えている時、突然何かを思い出したアオイは、ぽんと人差し指を立てた。
「なんだ?」
「向日葵畑! 見えるんでしょう? 怜の部屋から!」
「え。あ、あぁ、まぁ……」
(何故知ってるんだ……)
嫌な予感がするなと構える怜とは反対に、お願い見せてと、アオイはお風呂上がりの少し湿った肌で小首を傾げ上目遣い。
好きなものを目の前にした女性は自然と可愛くなる。
男の部屋にそう簡単に入るものじゃないぞと注意するが、自身が犬であるが故に説得力が無い。
そもそも拒否する理由もこれと言って無い怜は、「あぁもう分かったからそんな顔をするな。食べてしまうぞ」と目を逸らして自室の扉を開けた。
恋愛対象は変わらず人間であるから、理性を保つのに必死だ。
一方、怜ならば食べられても痛くないなんて笑うアオイ。
そういう意味の食べるではないのだが、やはりこんな姿では意味が変わるだろう。
(そもそも私は人など食わんぞ……!)
心の中で突っ込みながら「ほら入れ」と部屋に通した。
何年振りだろうか。
女性を部屋に招いたのは。
いや、他人を招く事さえ何年振りなのかも思い出せない。
(あぁ……昔はこんな風に女をよく……)
「ここによく雌犬を連れ込んでいたのね」
「な、なんだと?」
「え? 雌犬を連れ込んでいたんでしょう?」
「め、め、め、雌犬……!?」
「アンが言ってたの。どこぞの雌犬だか知らねぇが連れ込んでた、って」
「なぁッ……!?」
「怜が惹かれる犬ってどれ程美しい犬なんだろう……私もいつか会ってみたいなぁ」
「へ、あ、そう言う……いや、昔の女だからな、会う事はないだろう……」
ビッチ、では無く、本当の犬の雌の方かと勘違いしてしまった怜は、恥ずかしさで耳の先が熱くなる。
熱くなりすぎて毛が燃えているかもしれない、いやもうむしろ燃えているかも。
馬鹿みたいだが心配になって前脚で耳を撫でつけた。
「にしてもアンめ……、余計な事を……」
「へ? 何か言った?」
「いや! 別に、何も」
「そう?」
「ほ、ほら、向日葵畑が見たいのだろう? あそこのバルコニーに出ればよく見えるから……」
「本当!?」
ぱたぱたと走り出すアオイに、ふぅと怜は肩を撫で下ろした。
(別に女を連れ込んでいた事を知られた所で別に、どうってこともないのだが……)
あくまで昔の話だ。
それも大層昔のこと。
こちらの気持ちもつゆ知らず、バルコニーの観音扉を勢いよく開けたアオイは、蒸し暑い空気とジリジリの日差しに「頭では分かってるけどやっぱり暑い!」と叫んでいる。
「わ……! 本当、綺麗……! 一面黄色い絨毯ね!」
「ここからは格別だろう?」
「えぇ! そりゃあ女の子に見せたくもなるよ!」
「……まぁ、」
年が経つ毎に増える向日葵。
『これ程までに綺麗な向日葵を見たのは君が初めてさ』
なんて台詞は昔なら簡単に言えただろう。
何時からか甘い言葉さえも囁けなくなった。
いつからだったか。
(あぁ、そうだ。私を愛していた女は皆、私というステータスを愛していたのだと気付いた時からだったか……)
甘い言葉を吐いたところで意味もない。
結局は皆、中身なんて愛していないのだから。
綺麗だなぁと未だ向日葵を眺めるアオイにどこか安心感を覚えながら、ベッドに登りくるくると位置を決めながら横になる。
「気が済んだら勝手に出て行ってくれ。私は昼寝の時間だ」
「え、あぁ……」
なる程さすが犬だねぇなんて納得したかと思うと、ベッドが沈んだ。
驚いて目を開けると、何故かアオイもベッドに潜り込んでいる。
「お前! 何を! 男のベッドだぞ……!」
「えぇ? でもわたし犬じゃないから良いでしょう?」
「いやそれはっ、まぁ、そうだが」
確かに(色んな意味で)雌犬ではない。
しかし元は人間。
二度目になるが、恋愛対象は人間なのだ。
(あぁ……この状況をアンに見られたらどうなるか……)
過去の蔑む凍った眼差しを思い出して、尻尾が萎びる。
「ん~……あったかくてふわふわでいいにおい……」
またしてもつゆ知らず。
巨犬の腹を枕にし、心地良い眠りに誘われているアオイ。
誰かのこんな安心した顔を見るのは何時振りだろうか。
愛しさと切なさが心臓を締め付ける。
どうせ彼女にとっては犬だから。
見られたって構わないと言い聞かせ、ふたり一緒に昼寝をしたのだった。