1話 『出会い』
情報に溢れた現代社会の中で、数少ない何にも触れず自分自身と向き合える時間の一つ。
それは会社から家に帰るまでの移動だ。
そんな大事な時間も、最近は残業の疲れからかボーっと過ごしてしまう。
仕事の間は常に逃げ出したいと考えていても、少ない休息のために帰ることさえも憂鬱だ。
そんな答えの見つからないものを延々と考えながら歩いていると、少し先の街灯が灯るところに、人影が見えた。
近づくとわずかに顔が見えるようになる。
その人影は若い女性、そして何かを探しているような動きをしていた。
落とし物でもしたのだろうか。
こんな夜中に若い女の子が一人で探しものなんて大変だな、よほど大切なものなのだろう。
同時に、少々物騒だなとも思う。
女の子は歩いてくる私に気づいたみたいで、こっちに顔を向けられるが、なんだか私は顔をそらす
。
自分にはどうすることもできない。
そもそも、私は関係ないし、仕事で疲れているから早く家に帰りたい。
見て見ぬふりをして、通り過ぎよう……
「……どうかしたんですか?」
声をかけてしまった。
好奇心、善意……いや違う、罪悪感、偽善だな。
こんなおじさんが声を掛けたら、それこそ変質者にでも思われるかもしれない。
それでも、なんだかほっとけなかった。
女の子は急に私から声をかけられてびっくりしている。
怖がらせてしまったみたいだ。
「随分大変そうにしているからさ、なにか探しものでもしているのかなって」
なんだか照れながら話してしまう。
おっと、変な顔をしないようにしないと。
女の子も、恥ずかしそうにしている。
「そうなんです、ちょっと失くしたものを探していまして」
やっぱりそうだったのか
「よかったら、私も手伝うよ。こんな夜中に女の子一人だと危ないしね」
少しかっこつけすぎてしまった。
逆に危ないおじさんに見られてないといいけど。
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
意外にも女の子は嬉しそうに答える。
その笑顔に釣られ私も嬉しくなってしまう。
声をかけてみるもんだな。
「あ、それって……」
急に女の子は私の胸元に指を差す。
なんだろうと、私もそこに目を向けると、会社のネームプレートが首から垂れ下がったままだった。
しまった、会社から出る前に外すのを忘れていた。
ずっとつけたままで来ていたのか、ああ、恥ずかしい。
すぐさま首から外そうとすると、女の子は可愛く口元を抑えてフフフと笑う。
「『佐々木国広』さんっていうんですね、いい名前です。」
「あ、ああ。外すの忘れていたみたいだ。こりゃ恥ずかしい」
そそくさとスーツのポケットにネームプレートをしまう。
「ところで、探し物は何だったんだい? 君の名前は?」
「私の名前ですか? 大丈夫ですよ、もう見つかりましたから」
「え?」
突然、女の子は私の頭に手を当てると、顔を寄せて口づけをされた。
理解できる間もなく舌が口の中に入ってくる。
どうゆうことなんだ?
その舌は更に口の奥に入ってくる、いや、おかしい。
苦しい、これは舌じゃない。
よく女の表情を見ると、目がない、真っ黒にその奥に闇が広がっている。
人間じゃない!?
すると、女の姿は段々と外側からぼやけていき、黒い煙のようなものに姿を変える。
まずい、こわい、誰か!
口はその黒いものに塞がれて声が出ない!
喉の奥に入ってくる、鼻からも!! 耳も!? 目も!?!?
苦しい、うるさい、痛い!!!!
「あがががががががが!!!!!!」
腰を抜かし倒れこんだ男は、悲鳴を上げて逃げる暇もなく、煙は体中の穴という穴から男の体の中に入り込んでいった。
体はビクビクと痙攣し、まさに無理矢理というように、煙は男の体を包み込む。
やがて全ての煙が男の体の中に入り終えると、何事もなかったかのように、男はスッとその場に立ち、にやりと笑った。
「「 私が『佐々木国広』だ! 」」
****
パシャッ、ビー……
シャッター音が響いた。
使い古されたポラロイドカメラから、写真が出てくる。
「うーん、今日もこの町は平和ね!」
しばらくすると、写真がはっきりと色をつける。
ここ丘の上の公園から撮ったこの町の景色の写真。
こんな小さい一枚の写真の中に移る壮大な景色の中で、何千、何万という人々が一人一人生きていると考えると、20という歳になっても未だにワクワクする。
パシャッ、ビー……
公園のベンチに座ってなごやかに会話する、老夫婦の写真を撮った。
「こんにちは! いい天気ですね」
声をかけると、老夫婦もこちらに気づいた。
「ええ、そうね」 「おや、今どき珍しいカメラを持ってるね」
私は手に持ったポラロイドカメラを、見つめる。
このカメラとは、ずいぶん長い付き合いだなぁ。
そう思いふけりながら優しくなでた。
「お父さんからもらった、大切なカメラなんです。はい、これどうぞ!」
現像された写真を老夫婦に渡した。
「こりゃ、いい写真だ」 「頂いていいのかい?」
「どうぞどうぞ! わたし、こういった日常の風景を取るのが好きなんです」
パシャッ、ビー……
公園で遊ぶ子供たちの写真を撮った。
「あ、花だー!」 「え? 花? どこどこー?」 「おい、花、遊ぼーぜ!」
私に気付くと、子供たちが近づいてきた。
子供たちとは友達で何度も遊んだことがある。
かがんで子供たちと目線を合わせた。
「いいよー、遊んだげる! 鬼ごっこ? かくれんぼ?」
「かくれんぼは、さっきやったしなー」 「鬼ごっこは、花が本気出すからやだ!」
子供たちよりも、自分の方が楽しんじゃうこともある。
「ねえ、お化け屋敷の噂って知ってる?」
一人の男の子が言った。
「お化け屋敷?」
「そうそう、町の廃墟の洋館にね、幽霊が出るって噂なんだ」
「へー、なかなか興味深いわね」
「行った人は、幽霊に食べられるんだって!」
喜々と話す男の子たちをよそに、女の子たちは怖気づいている。
私は割とこういう話は好きだ。
「そこにね、これからみんなで行こうと思ってたんだ」
「廃墟に勝手に?」
面白そうだが、さすがに廃墟に子供たちで行くのは危ないし、そもそも勝手に入っていいのやら。
ここは大人として注意しておこう。
「噂はおもしろいけど、勝手に廃墟に入るのは何が起こるかわからなくて危険だからダメだよ」
「え~!」 「ちぇ~」 ……
とは言ったものの、子供たちと別れた後、夜になってから噂の廃墟の洋館に一人で来てしまった。
まあ、私は大人だしね。
お化け屋敷と噂されるようにすごく不気味な雰囲気の漂う建物だ。
建物は植物に覆われ、何年も人の手入れが入っていないようである。
心霊写真の一枚でも取れればいいなーと思いながら、懐中電灯とカメラを握りしめ、廃墟の中に入った。
古い家だからか、扉が重い。
キィィィィィ……
「お邪魔しまーす……」
なぜか小声で話しつつ、そろりそろりと中に入っていく。
家の中は、ほこりっぽく真っ暗だ。
幽霊……本当にいるのかなぁ。
一応、夜に来たけど、子供たちの噂だし半信半疑だ。
前に住んでいた人の趣味だろうか、廊下の壁には何枚か不思議な絵が飾ってある。
所々に花瓶があり、飾られていたであろう花は、枯れて底に倒れこんでいる。
まさに洋館って感じだ。
確かにこの中だと幽霊が出そうという噂が出るのも納得する。
長い廊下を奥に進んでいくと扉があった。
しかし、なぜかその扉の隙間からは明かりが見える。
「あれ、ここって廃墟じゃないのかな?」
「誰か、いるのかい?」
まずい、中には人がいたみたいだ。
誰か住んでいたのかな、だとしたら悪いことをしてしまった。
とりあえず扉を開け、中に入ってみることにした。
「おや、若いお客さんだね、こんな夜中にどうしたのかい?」
生活感のある部屋の中で、眼鏡をかけた40代くらいの男性が、椅子に腰掛けていた。
おそらく本を読んでいたのであろう、手には開いた本を持っている。
やっぱり人が住んでいたのか。
「すいません、突然お邪魔しちゃって。ここがお化け屋敷って噂を聞いて、勝手に入ってきちゃいました
」
手をこすって誤魔化し笑いをしながら、謝ってみる。
「はは、やっぱりね、こんな外観だからそんな噂が流れちゃってね。よく人が勝手に入ってくるんだ」
意外にも男はフレンドリーに話す。
「慣れてるんですね、でも部屋の中は結構おしゃれできれいですね」
「本当かい? うれしいね。コーヒーはいかがかい? わたしもさっきまで暇をしてたところなんだ、よかったら少しお話でもどうだい?」
「え、いいんですか? それじゃあいただきます」
なかなかいい人みたいだ。
勝手に入っちゃった手前悪いが、相手が誘ってくれているみたいだし、少しお話しすることにした。
私はソファーに座った。
男は、コーヒーを淹れ、テーブルの私の前に置き、向かいの椅子に座った。
「いただきます……あ、おいしい」
「お、わかるかい? 私のおすすめのコーヒーだよ、喜んでもらえて嬉しいねぇ。さて、何の話をしようかね」
本当に、この雰囲気に似合った人だ。
「君は、幽霊の噂でこの家に来たんだよね、じゃあ君は幽霊を信じるのかい?」
男は、組んだ腕を膝に置き、優しく私に問いかける。
意外と核心に迫った質問だ。
しかし、こんな行動をしつつも、私は特別オカルトが好きとかそうゆうわけじゃなく、単なる好奇心で来ただけだからなぁ。
「うーん、特に見たことはないですけど、いたら面白いのかなって感じで、できたら写真も撮ってみたいです」
そう言って首から下げたポラロイドカメラを手に持って見せつける。
「ふーん、まあ噂を聞いてくるわけだから、肯定的なんだろうね。だけどね、幽霊はいるよ」
男は特に冗談を言っている風にも思えないが淡々と話す。
こんなにはっきりと幽霊がいると言い切った人は初めてだ。
そっち方面に精通した人なのかな、だからこんな家に住んでるのかも。
「じゃあ、幽霊は怖いかい?」
男は試すかのようにニヤリと笑って私に聞く。
「怖い、ですか、確かにちょっと怖いですね」
「怖いって言うのはつまり悪霊ってことだね。じゃあ、悪霊はなぜ人を襲うのかわかるかい?」
不思議な質問をする人だ。
そこまで深く考えたことはなかったなぁ。
「やっぱり、生前のうらみですかね」
「それもあるね、でも、もう一つ理由があるんだ」
「もう一つ?」
「ああ、ところで、まだ名前を聞いていなかったね。お名前を聞いてもいいかい? 私は『佐々木国広』だ。君の名前は?」
コンコンコン……
突然、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
振り返って見てみる。
「また噂を聞いてきた人かな?」
男も首を伸ばして、確認する。
「ああ、噂を聞いてな」
そう言いながら扉を開けて中に入ってきたのは、高校生くらいの少年だった。
「悪いね、幽霊とかいなくて、ここはわたしの家なんだ」
「そうみたいだな、実はさっきの話をちょっと聞いててな」
「そうだったのかい、わたしは佐々木国広、君の名前は?」
「あれ、おかしいな、家の前の表札には『島田』と書いてあったんだが」
少年はそっぽを向いて問いかける。
どうゆうことなんだろう。
「ああ、それは、前に住んでた人の名前かな。実は最近引っ越してきたばかりで、変えるのを忘れてたよ、誤解させてしまったね」
なるほど、だから所々がぼろっちい家だったのか。
ようやく納得がいった。
「へぇ、ところでさっきの話の続きをしてくれよ、悪霊が人を襲う理由」
少年は何かがおかしいのか、微笑しながら話す。
なんだろうこの少年、不良って奴なのかな?
「続きが気になるのかい? わかった話すよ、その前に名前を聞かせてくれないか?」
この人も大人だなぁ、二人も家に勝手に入られてるのにこんなに優しく対応できるなんて。
それにしても、やけに名前にこだわるなぁ
「いいから聞かせてくれよ、悪霊の話」
少年はニヤニヤと首を傾げて話す。
偉そうだなぁ。
「わかったから君の名前は?」
「なんだよ、話してくれないのかよ、じゃあ俺が話してやるよ」
どうゆうこと、少年が話す?
さっきまで笑っていた男の表情が変わった。
なにか変だ、少年も男も。
「君、からかいにきたのだったら帰ってくれないか!」
男は、怒ったようで声を上げた。
少年は変わらずニヤニヤと笑いながら話し続ける。
「悪霊が人を襲う理由それは……
『名前を奪うため』だから」