5.遠退く隙間に蘇る
「メイアさん、こっち」
キルトレイ・ファントナスが手を軽く振って小声で隣の席を示すと、いくら人数が三十人程しかいない授業であっても視線は集中する。
グレイ先生の特別講座の四回目ともなる今日は、第1回目からほぼ一ヶ月後だ。
その間の変遷といえば、彼はわたしのことを「メイアさん」と呼ぶようになった。
わたしは変わらず、「ファントナス君」と呼んで、自然と彼を目で追ってしまう日々を続けている。
席に着くと彼は片手で頬杖を突いてこちらを向いた。
「課題終わった?」
「一応。ファントナス君こそ、完璧に終わらせてるんでしょ」
入学試験をトップで通過したのはもちろん彼だ。
「俺も一応終わってるだけだよ。具体的な用例とかは、まだ曖昧」
この一ヶ月、話してみると彼の卒のなさがこれまで以上にわかると同時に、どんな話にもついていけるという雰囲気もあってとても話しやすいのだった。
メイアはもともと魔法や魔力の話は好きなので、彼との授業を介しての会話はとても楽しく、一ヶ月の週一の隣の席効果もあって、だいぶ打ち解けて話すようになった。
彼と軽く会話を交わしているうちにグレイ先生が来て、講義を始めた。
*・゜゜・*:.。..。.:*・
一ヶ月前の、初回授業の前。
この特別授業を受けるために、わたしとキルトレイ・ファントナスが揃ってグレイ先生の研究室を訪れたとき、グレイ先生は私達の顔を交互に見て怪訝な表情を浮かべた。
「ローグ、と…ファントナス?」
「先生、自然魔力組成学の授業を受けたいのですが、ファントナス君も受けたいみたいで…一緒に来たんです」
そこまで言うと、それまでわたしの後ろに一歩下がっていた彼がわたしの隣に並んだ。
「飛び入りで参加してもいいですか。本当は三年になってもグレイ先生の授業を受けたかったのですが、他の科目の関係で授業を取ることができなくて」
先生は黙って彼の話を聞いて、そして言葉を選んでいるようだった。そして口を開く。
「別に構わないが…お前、取らなくても問題ないんじゃないか?」
先生の言葉に彼はイタズラっ子みたいな笑みを見せる。
「先生の授業、わかりやすくて理解も深まるし、好きなんですよ。ダメですか?」
彼が熱心にそう言うと、先生は軽く笑った。
「ハハ、それは光栄だ。受ける必要がある奴に教えるより、受けたいと思ってくれる奴に教えるほうが、俺も楽しいからな」
そして机の上のコーヒーをひと口飲むと、おもむろにわたしの方を見た。
「…ローグ、」
なんだろうか。少し気圧されてしまうような、深刻そうな口ぶり。
「え、はい」
「お前の趣味もなかなかだが、俺には意外だったな」
「え…?何がですか」
グレイ先生は肩をくすめると、彼を見やった。
彼は相変わらず爽やかな笑みを浮かべている。
「どうしたんですか?グレイ先生」
今度は彼が聞いた。
わたしと彼の問いには答えず渋い顔をして、グレイ先生は私達に教室に行っているようにと告げたのだった。
勘違いだといいのだけど、先生は何か絶対誤解をしている気がする。
*・゜゜・*:.。..。.:*・
最近の自然魔力組成学の特別授業は、側にある自然物から魔力を引き出すことに焦点を置いている。
今日のテーマは、人からだ。
人から魔力を引き出すにあたって注意しなければならないのは、引き出す相手の魔力の源の情報は互いにバレないように、しかも探らないように気を付けなければならないことだ。
このことは魔法使いとして要点であり、弱点となってもおかしくない情報だから。
五百年以上前、大陸で魔力闘争のあった時代は、有能な魔法使い一人一人の源だけを探るために、一国にスパイが多数構成されていたらしい。
現在は平和協定が長く続いていて、最悪魔力の源が人に知られたとしても害されるという場合は少ない。人に恨まれたりしたら害されることもあるかもしれないが、基本的に魔法を使って相手を害することや、源を他者が勝手に断つような危害こそ法律で禁じられている。もちろん人として、恨まれるような行為は慎むべきでもある。
というわけで「源をあえて探らない」というのは基本的な暗黙の了承のようになっている。
ちなみに、完全に法的に禁止されているわけではないのは、魔力学の発展や生きるために、どうしても探らなければならない場合もある、ということだ。そんなの魔力上位の、政治的な遠い世界の話だけれど。
さらに言ってしまえば、あえて禁止しなくても他人の魔力の源を完全に突き止めるなんて無理があるのだ。そして同じだけの割合で、図らずも源に関しての理解が進む状況だって起こり得る。許可出来る出来ないの問題を超えてしまっている注意点…それが魔力の源に関する暗黙の了解となっていた。
例外があるといえば、莫大な魔力の加護を持つ、はじめから基本的な魔力の源を公にしている一部の一族くらいだ。各国の王族貴族とか、そう、例えばファントナス家とか。
そして、メイアに至っては輪をかけて魔力の源に関する心配は無い気分だった。
わたしが黎明と夕闇から得る力の波動は、あまり甚大な魔力ではない。
魔力の強さで見れば、中の下。
突出した魔力でないせいか偏りが無く、様々な自然の力に作用出来る魔力なのだった。
だからだろうか、わたしの生みの親である両親でさえその知識は曖昧。
…というか、わたしのような魔力の源は珍しく、自分でもよく分からないのだ。笑える。
そして、魔力の源は人それぞれであるため、珍しい源といってもさしたる問題はないのだった。
「では各自、ペア同士で今から授業の終わりまでに引き出し合い、レポートにしてくるように。次回、それに関しての解説をする。レポートも一部取り上げるから取り上げられてもいいようにレポートすること。
安全のため強くは引き出さないように。あと、魔力の源に関する注意は君達なら既にできることだから責任を持つように。まず引き出すことが第一で、量や源には意識を向けないようにしつつ、引き出した魔力の特性や質を見分けることに集中するように。以上」
グレイ先生が教室を出て行くと、生徒たちがざわめき出す。
彼が話しかけてきた。
「グレイ先生も、面白い授業考えるよね。
普段人から引き出すなんて、それ程危険なわけでもないけど滅多に魔法としても扱わないのに。
源は探らないように注意しつつ、魔力を分析するのはレベル高いし実践的で面白いけど…。個人情報を考えると…国立のクラスじゃなかったらこの授業アウトじゃないのかな…」
「魔力の源を発し探らない」という暗黙の了承に触れそうな授業は、基本的に行われない傾向が強い。
そして、そんな珍しい授業を彼と共にするなんてさらにびっくりだ。
まだわたしは実感が薄いというのに。
「確かにそうだよね。だから特別授業なのかな…大っぴらな授業ではなくて」
それでも結局授業に取り上げちゃうんだから、先生やっぱり変わってるなぁと、彼は笑った。
「ところでメイアさん、魔力のジンクス聞いたことある?」
彼が面白そうに瞳を煌めかせていた。
「魔力のジンクス?確か色々あるよね。どれかな」
巷には色々なジンクスがある。大きな迷信も含みつつ、どの学校にも幾つかあるだろう、学校特有のジンクスもある。生徒の楽しみの一つだ。
ただ、彼が普通にそういう話題を口にするなんて、ちょっと意外だった。
これまでは「あの王子様ですか」という感じだった存在が、いざ身近で話す相手となると、まるで私生活を覗くようで、ちょっと楽しい気分だ。それがサーシャに変な子って言われる所以なのかな。
とはいえ彼はもの凄く話しやすいこともわかってきたし(もともと情報としては聞いていたけど)、結構ミーハーなところもあるのかもしれない。
「恋する二人が魔力の源をお互いに当てることができたら、その二人は来世でも、永遠に恋人同士ってやつ」
「あ…それなら聞いたことある。片方だけが当たらなかった時のも」
「片方だけが当たらなかった時のジンクスもあるの?二人とも外れなら、互いに脈なしっていうのは聞いたけど」
彼は知らなかった、と目を開いた。
前にサーシャが語っていたのを面白半分に聞いておいて良かった。
話の種には十分だし。
サーシャはラブラブな彼氏がいるのだが「そのジンクスをやってみて永遠の恋人同士でいよう」という話になり、けれどサーシャの恋人は未だにサーシャの魔力の源を言い当てないらしい。
見当はついているけど、もし間違っていた時の事を考えると怖くて言えないんだって、と、サーシャは言っていた。
その時は、可愛い彼氏だなと単純に思ったけれど、そんな単純な事では無いと聞かされた。恋する乙女は真剣なのだ。
…ちなみにサーシャの方は彼の魔力の源を既に完璧に当てたらしい。
魔力の源を当てるなんて、天文学的な確率だし、サーシャ凄すぎるんですけど、とこの話を聞いたときは本当にびっくりした…というか、恋や愛の力というよりサーシャのどことない凄さを感じたっけ。
だからこそ、サーシャの言っていた、片方のみが当てた時のことは印象的だった。それはもう切々とわたしに語った。
といってもわたしは、ジンクスはジンクスにしか過ぎないと思ってしまうタチだ。
「当てちゃった相手の方が、もう片方の当てられなかった相手にずっと片想いする運命になるんだって。来世まで」
「永遠の片想いになるの?」
「らしいよ」
すると、彼は息を飲んだように動きを止め、瞳が翳りを帯びた。
なんとなく、そういう瞬間ってある。
一瞬、周りの世界が遠退いて、自分だけになってしまうような感覚だと想像してしまう。
–––きっと、わたしも残して。
なぜか不安になって、すぐに彼を呼んでいた。
「–––ファントナス君」
「…っ」
彼はハッとしたようだった。
「…どうしたの?」
「あ…ごめん。…そういえば、兄さんてそうだったなって思って」
「え…そうだった、って…」
永遠の片想いの事だろうか。
変なことでも思い出したのか、想像したのかと思ってしまった。
「そういえば兄さん、確かに片想いなんだよね。好きな人の魔力の源を、当ててたし。
と言っても、もとから2人は恋人同士とかでもなく、お互い魔力を当てようって話でもなくって、兄さんが勝手にその人の魔力を当てちゃったらしいんだけど。
もともと彼女の方は、好きとかそういうつもりは無かったみたいで。兄さんが当ててたことも多分知らないだろうし。…永遠の片想いになる前に、初めから兄さんの片想い」
彼は「初めから兄さんの片想い」という部分で、悪戯っ子のように笑った。
永遠の片想いのジンクス内容は、片方がピッタリと魔力の源を当てて、片方は答えたけど外した場合のことだ。
外したわけではなく、答えてもいない場合は、それはどうなんだろうか。
それこそ、永遠の片想い?
それとも、まだわからないってことでいいのだろうか。
とはいえ、さっき彼はそれを思い出していたのかとメイアは勝手に頷いていた。
それに、出てきた彼のお兄さんの話には興味がそそられた。
彼の年の離れた兄は、彼以上に有名と言っていいかもしれない。
「ファントナス君のお兄さんて、今は光魔力の国立調整所にいるんだっけ」
庶民の噂話には、出てくるくらい。
なんせ光の魔法に強いファントナス家。
今の若手の魔法使いの中で、彼の兄はトップレベルと言える。
当然有名な人でもある。
「そう。まあ、大変らしいけどね、仕事……って、そろそろ俺たちも始めるか」
「あ、そうだね」
二人が気付いた時には、周りの生徒たちはすでに作業に取り掛かっていたのだった。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'
授業の終りに近付く頃には、わたしは難しい表情になっていた。
面白いことに彼も。
授業自体は、単に相手の魔力の質を考察すればいいだけなのだが、先ほどのジンクスの話の流れで、魔力の源を探る…という風になんとなくなってしまっていたのだ。
もちろん恋とかは関係ない。ただ、私も彼も、魔力の考察といったことには興味がある方で、お互い魔力に集中するのが楽しくなってきたという雰囲気だった。
一般的には、他人の魔力を探るのはご法度だ。ただ、今のメイアとキルトレイ・ファントナスの間には、互いにそれを了承した上で「安全も考えられる相手だろう」…みたいな気安さと、話や授業の流れで湧いてきた興味と、さらにお互いに「魔力がバレたら困る」という危機感があまり無いのだった。
彼は光の祝福を受けていると一族で公表している通り、既に源が大まかにバレているし、細かくバレても問題ないほどの魔力を持っている。
少し羨ましい。
わたしの場合は自分でも自分の魔力の源に関しては認識が曖昧なため、初めからバレるという心配がない。
しかも、それでもわかっていることが「黎明や夕闇、そらが朝と夜に変わる境目の時間や空気」だなんて、珍しい魔力の源であることには違いないのだ。
というわけで、わたしの魔力の源を当てることはほぼ不可能。
それらを背景に、二人とも安心して互いに頭をひねらせていた。
彼の光の魔力、奥が深いのだ。
–––その、瞳のように。
なんて。すぐに思考は瞳にいってしまうけれども。
でも、彼から魔力を引き出すのに一番無難と思われた光の魔法を試してみると、数回引き出すその度に質や要素が変わって、源はなかなか分からない。
彼は光の祝福を受けた一族の出身で、源も光に関するものだと初めから分かっているだけに、なんだか悔しかった。
「メイアさん、さっきからずっと分かんないって悩んでるけど。俺にしてみたらメイアさんの方がずっと分からないよ?」
「ファントナス君はしょうがないよ。ふふ。わたしの源は、多分難しいから」
ちょっと、得意げになってしまう。
ただ、あえて「難しい」と言って「珍しい」と言わないのは、わたしなりの用心だったりする。
なんだかんだ言って用心をしている自分に、ちょっと苦笑しそう。
「ファントナス君こそ、光に関するものって初めから分かってるのに、それ以上が全然分からないよ」
「案外わからないでしょ。俺も絶対とは言えないけど……俺の一族は光の魔力に特化していて、実際源は光に関するものなんだけどさ。でも、細かく見れば一族の人間、一人一人みんな違うものが源なのは、結構ハッキリしてるんだよね」
「そうなんだ。光の加護を受けた一族であっても、人それぞれなんだね。うーん…分からないなぁ」
わたしが机にペンをトントンしていると、彼はひょいと、いとも簡単に指先でそれを取り上げた。
それまでトントンしていた、わたしの指先には触れずして。
もう、華麗だ。
何をしても、やっぱり彼がするとキマってしまう。
ていうか、彼は何をしているのだろうか。
「…ファントナス君て打ち解けてくるごとにイタズラっぽくなるね」
「え?そう?」
今度は彼が机にトントンしだした。
わたしのペンで。
片手で頬杖をつくのは彼のクセだろうか。
そしてトントンを止めて、わたしを見つめる。
「俺には源は分からないんだけど…。でもメイアさんの魔力って、なんだか光と調和するっていうか…波みたいな揺れがある感じがする」
あ…と思った。
いつもと、逆なの。
彼のアイスブルーが、初めてわたしの瞳を深く覗き込んでいるような感覚になる。
それまで目が合うことなど、何度もあったというのに。
「でもそれでいて…光じゃない…ましてや闇でもない…もっと、なんか吸い込まれるような、感じ–––」
–––吸い込まれる感じなら、わたしも知ってる。
今だって、わたしは吸い込まれそう。
「メイアさん?」
「あ…、ごめん。少しぼーっとしちゃったかも」
そう言ってから彼を見ると、不思議なアイスブルーの瞳の魔法はもうそこには無かった。
でもそこに、なんとなく、彼の魔力の余韻が残っているような気がして。
「わたしも…吸い込まれる感じなら、わかるかな」
貴方の魔力のことではないけれど。
でも等しいくらいの力を持っている…そんな気がする。
少なくとも、わたしにはね。
「ファントナス君の魔力はね…」
「うん」
思ったよりも、引き出しやすかったかもしれない。
そして引き出すごとに、質は様々に変化した。ただ全体的になら、見えることは少しある。
「なんだか、柔らかくて、温かくて…でも」
「でも?」
でも、まるで貴方の瞳のように。
「その、奥は…」
わたしって、その瞳ばっかり考えているせいでやっぱり客観的に物事を捉えられなくなっているのかもしれない。
あぁ、ずっと、懸念してたのに…
––––だって。
「氷…、–––みたいな」
思い出せば、そんな魔力を、感じた気がした。
わたしが一人、周りの世界から遠退いてそのことを思い出していた時。
キルトレイ・ファントナスは、じっとわたしを見つめていたのだった。
わたしはこの時それに気付かなかった。
気付いて、認識するのは、もう少し先のお話。