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織田信忠ー奇妙丸道中記ー Lost Generation  作者: 鳥見 勝成
第四十二話(大坂、野田・福島の合戦編)『奇妙丸道中記』第六部
399/404

399部:紀州軍

************

摂津国。


福島城の三好軍は固く城門を閉ざし、幕府軍・織田軍双方の将軍方の挑発にも乗ってこない。

また三好三人衆は、野田城にあり六千の軍勢で籠城している。野田城の埠頭や、その湾内には四国・淡路の海賊衆の安宅船が百艘近く、その他大小の関船や隼船が数百隻、海上を埋め尽くしている。


「聡明丸様、織田信長の本陣は天王寺に有る様子です」

「そうか」

「福島城前面の軍団、総大将は一色藤長が指揮しているもよう」

「四職の一色が総大将か、典厩は一色の風下に立っているのか? 細川家の面汚しだな」

特に幕府軍壊滅の作戦を考えているわけでもない聡明丸は、とりあえず幕府方についている典厩細川家を貶めておいた。


**************


畠山高政と秋高(のち昭高)兄弟が、その昔与力としていた河内内衆の遊佐信教と安見宗房に命じて、河内国の平野・高安・八尾・久宝寺・若江・萱振等の近隣の町村から町人や農民たちを無理やり動員し、福島城対岸の島に陣取り、地面を掘り下げて堤を更に高くする工事を始める。

動員された町人と農民衆は、今守護の三好義継だけではなく、旧領主の畠山衆の命で不当に働かされていることに不満が蓄積する。

三好軍は固く城門を閉ざし、幕府方の挑発にも乗ってこない。とはいえ、前線で土木作業をさせられる民衆は、命の危険にさらされている。

地元民の心中では、将軍・信長・河内畠山・河内三好に対しての怒りの矛先が地面を掘り返す鍬・鋤に込められた。


**************

幕府方の現在の戦力。


幕府「奉公衆」の河内軍を率いる三好義継・畠山高政、一度敗戦したとはいえ態勢を立て直している。大和軍の松永久秀・久通親子、和田惟政親子と池田勝正の摂津軍。織田家の軍勢を合わせて四万兵。


今日、これに加えて紀伊国から三万の軍勢が加勢に加わるという。

総兵力が七万の大軍勢に膨れ上がり、長期戦に対しての兵糧面の補給問題はあるが、信長の関心は、本陣のすぐ北側:石山本願寺の地にあった。

(この大軍ならば、顕如の心胆も寒からしめることができるのではないか・・)


畠山与力:紀伊国保田荘の地頭である保田左助知宗と、将軍足軽大将:明智十兵衛が信長本陣に到着していた。

幕府の総大将:一色藤長が光秀を使者に立てたのは、将軍家の体面的なものも働きがあった。

連合軍の実質的な総大将は信長だが、幕府軍としては藤長が指揮をとっていることになっている。


信長本陣前の防壁の大将、佐久間信盛が二人を案内して陣幕内に入る。

「明智十兵衛光秀、堀城攻略の報告に参りました。浦江城も松永・三好・畠山の力攻めの前に間もなく屈しましょう。保田殿が紀州から根来・雑賀の傭兵軍を引き連れて来られました」

「畠山家の与力、保田で御座います」

紀州軍の先陣の将:保田は、強豪がひしめく中で揉まれて育ってきただけあって重厚な雰囲気のある青年武将だ。佐々・前田の前でも臆することはないのではなかろうか。

「紀州からの出張ご苦労。どれほどの数を引き連れてきたのだ」

「紀州軍は総勢三万。うち鉄砲衆が五千程に御座います」

(畠山家の紀州からの動員力、侮れないな)

「そうか、紀州勢には浜通りを回って、野田・福島に対して攻撃を加えてもらおう。幕府軍には堀・浦江の両城を攻略して頂く。

落城した暁には、縄張りを大幅に改良し、堀城は中嶋城へ、浦江城は海老江城に改名する。奴らの命名した城の名を引き継ぐこともないだろう。

将軍方の新城とするのだ。これで、いよいよ福島城に肉迫することができるな。海老江の城がこれより最前線となる!  が・・、喉元にあたる逢坂の御堂が邪魔なのだ」

信長が少し伸びた顎髭を触る。

「私もそのように思います。こうなれば私が顕如と直接掛け合ってみましょうか」

「光秀、勝算はあるのか?」

「何事も対面して話さねば前には進みませぬ。幕府の使者としてならば顕如も私に対面するでしょう」

「光秀、顕如には“将軍様が御動座”するぞ、いいかげん寺から出て、将軍家に本陣をお貸ししたらどうなのだ!!と伝えてこい」

(本願寺への圧も将軍経由であれば、信玄の印象を悪くすることもあるまい。奇妙丸の面目も悪くすることにはならないだろう。我ながら良い考えだ!)

「畏まりました」

もちろん光秀は、そのような恫喝的な言葉は使うつもりはない。未来の損得を説いて、自分の意思で御坊を移して頂くつもりだ。


「それから、そうだな、幕府摂津衆は北から福島城を、そして遊撃軍を割いて伊丹城へと向かって頂きたい」

「ははっ、賜りました」

「それから光秀、儂との連絡役として三宅与平次を使え。若年だが頭も切れる。きっと役に立つ」

「三宅家の御子息ですか」

「知っているのか、さすがだの」

「矢作川上流は、出身地が近いものですから。有難いご縁、願ってもない光栄なことです」

信長は光秀の喜ぶ表情を見て、自分の配慮に満足した。

「それから、保田殿、お主は残って、紀州軍の軍割とその諸将について、儂に説明してくれ」

「ははっ」

光秀が与平次を伴って、そそくさと退場した。


「紀州軍の先陣は私、二陣は津田監物算正、次に根来衆:杉の坊、次に湯川中務大輔直春と娘婿の玉木兵部大輔直和、後陣に雑賀衆の土橋小平治種次、鈴木孫一重意が続きます」

「根来衆に、雑賀衆の親方達も自ら来たか」

「はいっ」

「楽しみである」

鉄砲を堺に伝えた津田家のお手並み、根来杉の坊や、雑賀の双璧の手練れの軍配が生で実見できる。

信長と、最古参の老臣:佐久間信盛が意味深に頷き合った。


*********

保田退出のあと、


次に本陣を訪問した来客の中から信長に呼ばれたのは、“陣中見舞い”として現れた陣参公家衆の烏丸光康と娘婿の正親町季秀だった

大津、万見、堀、菅屋、矢部、信長の傍衆が襟を正して居並び、小姓:長谷川が案内する。

京都の権大納言級の公卿が、家侍五・六十人と兵数が多くはないが出陣することは、朝廷が誰を支持しているかが世に明らかだ。

「烏丸殿、正親町殿、ご参陣有難い」

「信長殿、我ら御帝の御威光をもって参陣つかまった。朝敵:細川聡明丸と三好三人衆を御退治されよ」

「ははっ」

(これで、義昭も摂津まで出張らねば体面が保てないであろう。それに石山顕如にも圧を掛けることが出来る)


*********

京都新二条城、足利義昭邸。


朝廷の武家伝奏:山科言継が、義昭を訪ねる。言継は信長の裏要請で、朝廷から烏丸・正親町が信長軍に参陣したことを伝えた。

義昭は自分の権威より、帝の権威を信長が重視し始めていると感じ、天皇と信長の接近に焦る。

丁度その頃、大館治部少輔が摂津国より帰陣し、「信長からの出陣要請」・「一色義長軍配の陣地之儀」を二人に物語った。

「余も、摂津に向かうぞ。勝利に乗り遅れてしまう」

大館に、将軍方優勢に動いている戦場の様子を聞いて、ついに義昭も出陣を決めた。


将軍邸を出た山科言継は、明日にでも足利義昭が摂津国へ「御動座」すると、関係各位に知らせた。


**********


「明智殿、お手並みを拝見させて頂きます」

「うむ。三宅殿とは旧知の間柄。これから両家の仲を深めていきたいと思いますよ。与平次殿はお何歳になられたか?」

「はいっ 12です」

「御父上、弥平次殿は今回従軍されているのですか?」

「父:光俊は岐阜城に詰めていると思います」

「そうですか。今度、是非我が家にご招待したい」

「はい 伝えておきます!」


光秀からすれば、三宅光俊は息子世代、三宅与平次は孫にあたるような年の差だった。

(我が陣営に三宅家を取り込めば、東美濃・西三河に影響力を持つことが出来る。悪くはない、ふふっ)

********


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