386部:盛信
翌朝。
奇妙丸を外門まで見送りに出る松姫と、国境まで送る仁科五郎盛信。一緒に三河・尾張・伊勢に引き上げる宮大工・左官職人達も楽呂左衛門流の握手と抱擁を交わして名残りを惜しむ。
そこへ、叔父の信廉もやって来た。
信廉も勘九郎を抱擁する。
「わかるか?(笑) 今日は奴が躑躅ケ崎、奴に代わって儂が参った」
「え?!」
周囲に気取られぬように動揺を隠す勘九郎。まさかここまでして厚遇して貰えるとは思っていなかった。
信廉に変装した入道信玄公自らの異例の見送りだ。
「奇妙丸殿、達者でな。松姫を頼む。お主の将来に期待しておるぞ」
「ありがとう御座います。松姫を疎かにはしません。私と言う人間を信じてください。
皆様も、いつでも岐阜に来てください」
「おう、是非とも。それに、今すぐにでも一緒に京まで行きたいぞ」
護衛で付いてきた諏訪勝頼も、勘九郎に握手を求める。
「俺は、このまま勘九郎殿について京都に上洛しにいこうかな、あはははははっ」
慌てて五郎盛信が、
「兄上様には父上様の御傍に残ってもらわねば、家臣一同困ります」と真顔で諫める。
「冗談ではないか」
と盛信の肩をポンポン叩く。
「もうー兄上たち、私を後回しにしないで下さい」
松姫が実は一番ついていきたい。
「はっはっは、これは済まぬ、松姫御料人。これからは於松御前とよぶのかな?」
松姫が頬を赤らめる。
「名残惜しいですが、では、これで、行きます。御達者で・・皆も、身体を大事にしてくだされ、生肉は食べぬように。焼き魚は焦げた鱗はちゃんと取って」
「はいはい。代わりに美味しいお菓子を送って下され。奇妙丸殿、いや勘九郎信重殿」
にこやかに送り出す信廉。
「はい」
「良い婿殿で良かったな、於松御料人」
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甲斐と駿河の国境を過ぎて、船の停泊する駿河湾に向かう勘九郎(奇妙丸)一行。
「勝頼殿は、将来立派な良い大将になりそうですね」
出立の場面を回想し、隣にいる五郎盛信に話しかける。
「兄・義信殿も、勝頼殿も、武田の男らしい男です。 私もかくありたい」
「手本となる良い兄弟がいるのは羨ましいことです。そうそう、松姫に教えてもらったのですが、今度松姫に会う時は、諏訪湖の神渡りの神事の時に立ち会いたいものです」
「そうですね、神渡りは生涯に一度は見た方が良いと思います。信濃の神の奇跡を身近に感じますから」
「まだまだ知らない世界があるなあ。もっとこの広い国のことを知りたい」
「そうですね。私も勘九郎殿と全国を見て回りたいと思います」
「そういえば、仁科家は信濃国の名族でしたね。盛信殿はいつも躑躅ケ崎に居られるのですか?」
「いえ、私は信濃の国の国境担当ですから。今は兄に代わり上杉に備えています。重臣の内藤は上野国、高坂は北信濃、秋山・下条は南信濃にて、方面軍体制を整えているところです」
「噂に名高い北天の鬼神:上杉入道謙信殿ですか・・。」
「川中島では勝頼殿も獅子奮迅の働きをして、なんとか謙信入道を退けたと。上杉は強いと、いつも申しております」
父:信長と、謙信入道では、どちらが強いだろうか・・。
「自分の正義を信念に、この時代を生きている。他の武将とは何か違うところに価値観のある人のように思います・・」
「話が通じるようで、通じない人かもしれませんね」
二人の意見が合い、笑い合う。謙信入道もこれからの若手二人に自分がこんな評価を受けているとは思ってもいないだろう。
「将軍家を支える織田と武田の強固な関係があれば、謙信入道とも不戦のまま、天下の静謐が保たれるかもしれません」
先のことを、しばし考える勘九郎。
先に列挙した同世代の武将の中でも、やはり縁の深い尾張譜代の二人が思い浮かぶ。
「可隆や尚恒に、そばで支えてもらいたかったなあ」
そういって天を見上げる。
「亡くなられたこと、聞いています。二人のように、常に傍で奇妙丸殿を支えることは出来ませんが、私達の運命は必ず結びついていると信じて、供に天下の安寧を目指して戦いましょう」
「協力してください」
「私からも是非。二人は運命共同体ですね」
「うん」
仁科五郎盛信とがっちり握手する。
「我ら、本物の兄弟として、これからの日本の為に共に戦おう」
奇妙丸も強く握り返した。
「五郎盛信殿との友情が、永遠に」
「永久の友情を信じる」
ここが最後の峠であるが、名残惜しい気持ちがある。峠まで送ってくれた盛信に何かお返しをしたい。
「この心は第二の故郷として甲斐を思っている。この短刀を受け取ってくれ、愛刀:貞宗で御座る」
「では、私からは仁科家伝来の、藤四郎吉光を、私も心は奇妙丸殿と共にあります」
「源氏の名刀ではありませんか?」
「そうですが、この頂いた刀も、価値のある名刀、これと等価で交換できるような品物は藤四郎くらいです。貞宗、生涯大事にします」
「私も、盛信殿だと思って大事に藤四郎を傍におこう」
二人同時に刀を抜き、刀身の輝きを確認し名刀に感嘆する。そして、頷き合って鞘に納めた。
「それでは!」
「おう、また会おう!」
奇妙丸達は武田家に人々に感謝しつつ、織田家の拠点である岐阜へ向け、再び旅立った。
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