366部:南近の異変
岐阜城、山頂御殿。
信長の危機に駆け付けた宿老・林佐渡守秀貞、その養子で一族の期待を背負い「槍林」の異名を持つ林通政や、蒲生忠三郎・冬姫夫妻とともに、山頂の新御殿内を案内されていた。
「山頂御殿というのは、私のような年寄りには少々厳しいですな、日頃の不摂生が祟って足腰がまいります。今はその上に、殿様の考案した建物の見事さと数々の驚きの仕掛けに、動悸が止まりませぬ」
「はっはっは。爺にはまだまだ頼りたいことがあるのだ、心臓に毛が生えていてくれなくては困るぞ」
「はい。殿様からの有難いご期待に応えられるように、精進致します」
「うむ。尾張国の平穏と静謐は、お主の肩にかかっているのだからな」
信長の言葉に重圧を感じるも、信長への過去の負い目から、身を粉にしてでも巧く尾張をまとめて運営せねばと改めて思う。
「それにしても、忠三郎殿も先程から口が開きっぱなしですぞ(笑」
隣の若者、蒲生忠三郎に話を振る。若い世代は御殿の柱の太さや、装飾の豪華さに只々面食らっていた。
「こ、これは申しわけありません。お屋敷の威容に圧倒されて、開いた口が塞がらず、顎が自然に離れていきます」
「はっはっは。いずれは将軍、そして天子様もご招待することがあるかもしれぬ・・のでな」
「お見事な限りです。私もこのような城を建てられる様になりたいです」
自分を崇拝する若者の素直な憧れの表明に、満更でもない信長。
「大工頭・衛門宗久よ。此度の働きご苦労だったな。流石、禁裏御大工・衛門家だ」
先導する宗久を褒める。
「私に足りぬところを、今回の作事で見つけることが出来ました。何事も経験で得られる技術。予算と材料を準備して頂いた丹羽殿、この機会を与えて頂いた信長様に感謝いたします」
「うむ。お主には、次は京で、天下の耳目を驚かす建物を建ててもらうぞ」
「はいっ。楽しみにしております!」
信長に認められた喜びを噛みしめる宗久。
そこへ、新たに奇妙丸付きとなった津田御坊丸と小倉甚五郎が揃って現れた。
信長が甚五郎を傍に呼び、耳元で囁く。
「奇蝶とお鍋は如何しているか?」
「奥にてお待ちになられております」
「お鍋の様子はどうか?」
「母は、奇蝶様と和やかに語らっておられまする」
「奇蝶の機嫌はどうか?」
「はい、いつもと変わらぬ様子でおられますが」
安心して、奇妙丸に向き直る信長。
「奇妙丸、お主は設計にも携わっていただろう、大工頭・衛門宗久とともに皆を案内してやってくれ。儂は奇蝶に話がある」
お慶姫との面談があってから、信長は奇蝶御前に美濃と尾張の家臣団内での妙齢の者たちの縁組を考案させていた。女たちがいる奥でしか知りえない情報を分析し、こちらで取り仕切った縁談を本人達にも確認して、新たに家々の繋がりを築くつもりなのだ。今度の戦死者達の喪が明けた後に大々的に合同婚を執り行い、織田家中と領民を一気に祝賀の晴れの日に切り替えればと考えている。
「かつて幕府の創始者・足利尊氏が師・夢窓疎石和尚から天下人の務めとして習った中にも、民を養うことは上に立つ者の務めと説いている。
私利私欲ばかりを考え民の生活を守らぬものに天下の政を行う資格はない!」
一瞬、眉間に筋が入り厳しい表情になる信長。
この言葉は奇妙丸だけにではなく自分にも言い聞かせていた。
父の言葉を聞きながら奇妙丸は、将軍家の代々や、現当主・足利義昭のことが頭の片隅をよぎった。
「はい」
理解しましたと意思のある奇妙丸の返事に、織田は大丈夫だと気持ちを切り替えて笑顔をみせる。
「うむ。儂は忙しいのでな。では奇妙丸、あとを頼んだぞ! 秀貞、あとで相談する!麓の屋敷にてしばらく逗留していよ」
「「はい」」
信長は踵を返して、太刀持ちの菅屋御長とともに廊下の奥へと消えていく。
ここに不在の傍衆・万見重元、大津伝十郎、堀久太郎、矢部善七郎、長谷川竹は、信長から別の指令を受けて既に各自動いているのだろう。
信長の背を見送る一同。
「よし、では皆を天主の閣に案内しよう!」
奇妙丸を先頭に、蒲生忠三郎と冬姫、武田松姫と駒井昌直、そして伴ノ桜に、池田之助とその姉妹。
生駒一正と森長可(於勝)、それに楽呂左衛門。殿は梶原平八(於八)だ。
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天主上層、欄干の間。
「良い眺めだな」
忠三郎が奇妙丸に話しかける。
「この城下にも無数の人がいて、その家族が暮らしている」
木曽川・長良川の流れと、濃尾平野を見渡す奇妙丸。
「織田家を頼りに生きていこうとしてくれる民だ。暮らしを守らなばならぬ」
先程の信長の言葉を思い出し噛みしめる。
「無法の行いを正さねばならない」
忠三郎が言い放った言葉だが、誰が無法で何が正しいのか、それは後世が決めることだろうか。
「民の暮らしを、織田家の法と執行力で守ることも必要ですが、行き過ぎた秩序も息苦しいものです、奇妙丸様に求められるのはそのサジ加減を制御することでしょう」
林秀貞が難しいことを言う。
「それは?」
・・考え込む奇妙丸。
「情ですかな」
「なるほどなあ」
織田家の中にも情はある・・。ただ苛烈さの印象が先走ることもある。
「おい、あれをみろ。慌てて登ってくる騎馬の武者がいるが」
忠三郎が麓の様子に気付く。
「あれは、柴田家の旗ですな」
「玄関まで行こう!」
ここに居ないはずの柴田家の旗をみて、ただ事ではないことが起きているのではと誰もが考えた。
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山頂御殿、山門櫓前広場。
「六角軍が動いただと!」
信長の側近、福富秀勝が緊張した声をあげる。
「柴田勝家殿の抑える長光寺城を囲み、柴田軍は籠城してございます」
柴田家からの使者は、勝家から信頼の厚い傍衆、毛受兄弟の長男・茂左衛門だ。
「中川殿や、佐久間殿は?」
奇妙丸が長光寺を後詰できそうな大将名をあげる。
自分が言おうとしたことを先に尋ねた奇妙丸に感心する秀勝。
「長光寺の危機を知り後詰軍を派遣して下さいましたが、六角軍の人数が尋常ではなく、完全包囲されてからは城中との連携も取れず」
「解放は無理ということか・・。弟殿も心配ですね」
「はい。有難うございます」
自分達兄弟の存在を知っている奇妙丸に驚く茂左衛門。
「若! 私が急ぎ出陣します!」
「忠三郎?」
「柴田殿は織田家のかけがえのない御家老両職のおひとり、ここで見殺しにはできません」
「うむ。では、城下の志願兵も率いれるだけ率いて、向かってくれ」
奇妙丸の視線を感じて秀勝も頷く。
「はい! 冬姫、お主は岐阜にてゆるりとしておれ」
「どうか御無事で」
冬姫の両手を握って言い終えるなり、蒲生忠三郎が血相を変えて駆け出してゆく。
冬姫は茫然とその後を見送る。
「若、私も」
槍林通政が忠三郎に続く。
「私も!」
山頂本丸に駐在していた廻りの諸将も次々と名乗り出て、お辞儀をして下山する。
その中には、信長から一軍の大将として正式に認められた森長可も居た。
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「於勝さん、待って」
勝蔵が振り返る。
「於勝さん、いえ、長可殿」
池田家のお仙が勝蔵にむかって駆け出した。
「命を粗末にしないで下さい」
そういって短刀を差し出す。
「これは?」
「私と思ってお持ちください」
「忝い・・」
今まで悲壮な表情だった勝蔵にやや生気が戻る。
「お仙殿、では、行って参ります!」
「御武運を!」
懐から火打石を取り出し、カチカチと鳴らす。
奇妙丸、冬姫、平八はそれぞれの思いで勝蔵を見送った。
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