361部:条件
佐和山城、出丸の館。
大広間に上座を開けて領主・磯野員昌が控える。
「磯野員昌に御座います」
対面して、駒井昌直が姿勢を正して座す。
「武田家譜代家老の駒井昌直です。武田入道信玄公は、甲州から京都への中山道・東山道の往来は、何人も自由を保障されるべきものだと。幕府再興のために織田・武田・浅井は協力し行く手を阻む六角・三好の凶徒と戦ったはずです。浅井家はその志を捨てるのか確認せよとも仰せつかっています」
「入道信玄公に断りもなく街道を封鎖したことはこちらに否があります。しかし、ご隠居・久政公は織田と決別し朝倉家と共に織田家を討つとお決めになられました。我ら家臣は御意に従うのみ」
重苦しい空気が広間に漂う。
そこへ松姫が、別室にて鎧を脱いでひと心地ついた姿で現れた。従う桜は鎧を装着したままだ。
「では聞くが、足利幕府への忠節の志を捨てて武田家との同盟も破棄し、朝敵として我らに討伐されるということなのですね!」
上座に進み、着席する松姫。
「朝敵?! そのようなつもりは」
「敵対するということは、そういうことです」
「そういうことですか・・・」
「磯野殿のお気持ちはどうなのですか。朝敵として生き討たれて歴史に汚名を残していくことに納得していると?」
「歴史に汚名を・・いえ」
員昌は正論で正面からの問い詰められて窮している。
「では、ここは堪えて、佐和山に籠城し、街道の自由を見守り警備し治安を維持し、商隊を襲う賊が居れば討伐する治安の維持こそ、城主・磯野殿の本来のお勤めなのではないですかな」
昌直が一押しするように言葉を選んで発した。
「駒井殿のおっしゃること、その通りです」
「では、信玄公からのこの書状を受け取り、織田奇妙丸殿の往来や、織田軍の帰還の邪魔をすべきではないのではないですかな」
「ううぅ。しかし、信長公を通すわけには・・。信長公だけはこの員昌の面目も御座いますので通すわけには参りません」
「信長公はご上洛され、京都に残られたままなのでは、ないのですかな?」
「分かりませぬ。それでは、その往来だけはこちらで確認させて頂きます」
「分りました。こちらも松姫の許嫁の奇妙丸殿に伺ってみましょう」
(これは、武田は、奇妙丸軍にも手出しは許さぬということか・・)
「よくぞ決断しました員昌。父上にもお主の忠節は私が伝えておきましょう。浅井家で問題が起こり逐電するときは甲州に来なさい。今以上の待遇をもって武田に迎えましょう」
松姫が、磯野員昌に褒美として脇差を与える。
(甲州に亡命か、それも良いかもしれぬ・・。しかし、猛将ばかりの武田家にあって自分は通用するだろうか・・)
一瞬のうちにいろいろな考えが員昌の脳裏をよぎる。
「それは、光栄なことです」
「父は、貴方のことを浅井家の中でもっとも花も実もある武者と讃えていました」
「この員昌、感激に御座います」
(由緒正しき源氏の大将に認められた。久政公よりもよほど俺のことをわかってくれているのではないか)
こうして、員昌は街道の関所を撤廃する指示をだし、佐和山城へと引き上げた。武田家の一行は、気をよくした員昌から佐和山城へと招待されたので、それに付き合い城内で歓待をうけることになった。
それは、武田松姫が城内にいる間は、織田軍には手出しはしないという員昌からの暗黙の了解でもあった。
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やはり松姫のことが心配だった奇妙丸は、佐治・金森を引き連れて武田衆の侍に紛れて出丸の中に潜入していた。
「では、奇妙丸様。私達が磯野殿の歓迎を受けている今のうちに、山崎山城まで来ている織田軍に帰還の準備を進めよとお知らせください。ただし、信長様はそのまま在京するということで」
松姫が、員昌との交渉にて、条件付きではあるが不戦条約を勝ち取ってくれたおかげで、織田軍の往来の見通しが立ちそうだった。
「すまない。松姫」
「私は、貴方の妻ですから。 あっ、言っちゃいました」
危険を冒して浅井領に乗り込んでくれた松姫には感謝の言葉しかない。また、
「自分の無力さを、恥じ入るしかない」
(武田家に大きな借りができた・・。父上には、帰還を待ってもらった方が良いかもしれぬ。納得されるかどうかだが・・。それに、勝手なことをしおってと、かえってお叱りを受けるのではないか・・)
反省と共に不安ももたげる。
しかし、いまは余計なことを考えている時間はないと雑念を振り払う。
「取り急ぎ佐和山領を通過させてもらい、帰還軍へ今のことを連絡に向かわせます」
「はい」
員昌がいきなり松姫の命を狙うようなことはないだろう。松姫をみつめる奇妙丸。松姫は頬を少し赤くして照れている。
「桜、姫のこと頼んだぞ」
「任せてください!」
「うん」
桜の肩に手を置いて、念を込めて離れる。
奇妙丸は織田本陣への使いに紛れて、出丸を後にした。
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