341部:小豆
近江、朝妻城
「直頼! 長政様からの連絡はありませんか?」
於市御前が憔悴して直頼に尋ねる。
自分は織田家と浅井家を結ぶために長政に嫁いだのに、自分の役割が終わってしまう。兄・信長に申し訳ない・・・。
「はい。小谷城にはまだ戻られぬ様子で・・。長政殿の直接の指示ではないので、お方様を清水谷に戻して良いものかどうか、判断がつきかねまする」
「長政様が、織田と戦うとご決断されたのですか?」
「いえ。長政様のご決断ではなく、ご隠居様の判断のようです・・」
「貴方は、どうするつもりですか?」
直頼が義父・久政に従うのであれば、自分と茶々は危うい立場だ。名実ともに人質として兄・信長に迷惑をかけてしまうだろう。いっそのこと兄に捨てられ、忘れ去られたい。
「私は殿様に忠誠を捧げております。長政様に従うのみ。それは変わりません」
於市御前は、この忠義に厚い新庄直頼が織田家の武将だったならばと一瞬考え、打ち消す。
「私達親子はどうすれば良いですか?」
「長政様が直接、私に命じて下さるまでは、お身柄は私が責任をもって預かります。久政様には渡しませぬのでご安心を・・」
「よろしく頼みます」
自分の身の処し方を考えなければならない。
夫・長政に終生、連れ添うと決めたことが、このような理不尽なことで覆るのは口惜しい・・。
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三人の待つ客間に現れた直頼。
「於市様は、長政様がお迎えに来るまで動かれません」
「我らは、お二方を受け取らねば帰れぬ」
「長政様のお許しがないなら送り出せぬ、帰られよ!!」
直頼の大きな声とほぼ同時に、客間の襖が開き、直頼の家来衆がなだれ込む。
三人は刀に手をかけるが、居合で抜刀する間にも自分達が逆に斬られることを悟る。
「良いのだな?!」
海北が、新庄に念を押す。大殿にこのままのことを報告すれば、浅井家の中で新庄の立場は危うくなるだろう。
「良い!」
直頼は、長政の復帰を願い、久政の要求を突っぱねた。
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三人の軍勢が引き上げ、静かになった新庄館。
新庄直頼は、もしもの時の為に領地境いの警備を強化することを配下に命じ、周辺の視察に出払っていた為、朝妻城内はひっそりとしていた。
於市御前は風呂に浸かり、茶々姫が無邪気に泳ぐところを眺めながら、自分のおへそ周りに手をあてて、これからのことを考えていた。
「於市様」
「その声は・・・、桜?」
「お姉ちゃん!」
於市が、茶々の口を人差し指で塞ぎ、大きな声をだしてはいけないと目で伝える。
茶々姫は理解して、久しぶりに会った桜に、静かに抱き着く。
「すいません、こんな場所に押しかけました」
「女湯は男が近づけず、一番警護が緩いですからね。ここなら安心です」
「はい」
「久政公から、清水谷に戻れと使者が来ていました」
「はい」
「新庄殿は、長政様に忠節を尽くすと言って、その命令を突っぱねて下さいました」
「そうだったんですか」
「於市様、茶々様、お二人で脱出しませんか。外には兄の率いる伴ノ衆が、脱出をお手伝いするために待機しております」
「いえ、私は今帰れません」
「どうしてですか」
「そうね、その理由は・・・。 渡したいものがあるから、待っていて」
於市は一度風呂から上がり、周囲の者には茶々が風呂で水遊びの道具を忘れたので取って来ると伝えた。
「兄・信長と奇妙丸様にこれを渡してください」
於市御前が用意した物は、二つの小さなきんちゃく袋だった。
「これは?」
「袋の中に小豆が入っています。これで、兄には意味が解るはず。奇妙丸殿には、戻らぬのは私の意思ですと伝えてください」
このきんちゃく袋で、信長には於市の知らせたいことが分かるというが、桜にはその意味は想像もつかない。
「気を付けて帰るのよ」
「お姉ちゃんまたね」
茶々姫が桜の手を握る。桜はその手をやさしく握り返した。
「はい・・・」
於市から、思いがけず荷物を頼まれたので一度引きあげねばならない。
今回は、二人を脱出させることを諦めた。
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