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織田信忠ー奇妙丸道中記ー Lost Generation  作者: 鳥見 勝成
第四十話(南近江編)
338/404

338部:秀吉の帰還

京都表 二城御所(将軍・義昭邸)


5月5日、足利義昭が4月の若狭遠征に従軍した諸将を招待する。

守護大名の畠山高政・三好義継が 将軍・義昭のもとに出向き、将軍側近の飯河信堅が申次した。

公家衆は烏丸光康、山科言継・飛鳥井雅教、飛鳥井雅敦、富小路種直、竹内長治、日野輝資、広橋兼勝、東坊城盛長、三条公仲、高倉永孝らが挨拶に来た。

将軍は、陣参の公家衆や畠山・三好から、戦場での出来事など各自の武勇談を聞いた。

若狭攻略後の、信長の越前討ち入りについては、最初の予定と違う行動だったので、公家衆からはいろいろと批判も漏れ聞こえるが、将軍はそれを怒らずに聞いている。

「友益だけを討って帰ってくればよかったものを、朝倉・浅井を怒らせてしまうとは、信長も調子にのりすぎたのではないか」

「ほんに、正親町帝の御旗と、将軍殿の御旗を汚してしまった信長の行動は捨ておけませぬ」

「ほんに、義昭公が御動座でしたらこのような失態もなかったことでしょう」

と、信長が幕府軍の指揮を執ることについての厳しい声もあった。

将軍・義昭は、父とも頼んだ信長の世間の不評を、心地よく感じる自分がいることを感じていた。


******

京都、信長宿所


この日信長は、稲葉伊予守良通から、一門の斎藤利三が、美濃から東山道を西進し、六角軍を破って観音寺城まで来たと報告を受ける。

そして、近江草津の北にある守山城に稲葉伊予守良通と、息子の稲葉貞通・稲葉重通兄弟を派遣し、斎藤利三と協力して琵琶湖の湖南の不穏分子を平定し、さらに、守山周辺の豪族から人質を取ることを命じた。

また、安藤守就親子、氏家入道卜全、氏家直昌親子、不破光治・勝光親子等の主だった美濃衆を瀬田の山岡城へ、援軍に派遣し、今度、軍事蜂起した南近江浪人衆と対峙させた。


信長は近々、岐阜へと帰還することを決め、朝廷へは「御所の作事」を継続することを伝える。

そして、足利将軍家には、織田家と京都周辺の豪族から集めた人質を差し出し、京都にもしものことがあれば駆け付けると約束する。

こちらから人質を出すのは、義昭が窮して朝倉家と手を結ばないよう、安心させるための予防策だ。また、義昭と信長は一蓮托生だということを、義昭にはしっかりと再認識させる必要があると考えていた。

信長が出京すれば、また阿波三好の家老共が海を渡ってきて、再び京都を狙う恐れがある。

もしそうなった場合、織田の擁立した義昭は三好家から排除され、四国から新しい将軍が擁立されるのは目に見えている。

今回、信長は京都守護の兵をほぼ引き揚げさせ、義昭をもう一度、針の筵の上のような不安な日々に落とすつもりだ。


********

京都 信長宿所


福富秀勝が信長の居室にやって来た。

「殿様、金ヶ崎城を捨て木下秀吉殿が御帰還されました」

「戻りよったか」

信長は立ち上がり、都の大路で、帰還した将兵を閲兵すると伝える。これはすぐに直臣たちに伝わり、織田家を代表する一門衆と、重臣である森、坂井、佐久間、柴田、丹羽達も次々と大路に集まる。


大路に出てきた信長に、戦から帰ったばかりで、血や炭で薄汚れた姿の大将・木下藤吉郎秀吉が駆け寄る。

「信長様~~~~。此度は、せっかく預けて頂きました金ヶ崎を失ってしまい面目次第も御座りません!!」

土下座し、大泣きしながら報告する。

「苦しからず」

そういって優しく秀吉の肩に手を置く。

「浅井家の御変節は本当で御座いました。次の浅井成敗には、是非ともこの秀吉めをご先陣に!」

「秀吉殿、この家康も先陣を賜ろうと思っていたのだぞ」

秀吉と争うように、徳川三河守家康も信長の下に駆け寄る。二人はともに浅井への逆襲の強い意思を、民衆に宣伝する。

「はっはっは。皆、よう言うた。その言葉、胸に刻んでおく。

 秀吉は城を失ったが、良い与力たちを戦友に得たではないか。生き残った家臣達がお主の領地だ。皆の者、秀吉が再び城主となった時には、秀吉の下に駆け付けよ!」

「「ははっ!!」」

難しい殿軍を、逞しく乗り切った家臣たちが一斉に応える。浅井家と戦い領地を切り取れば、秀吉を城主にしてやると皆の前で保証した。


「信長様~~~~、お殿様~~~~~、この秀吉、感激に御座います」

「金ヶ崎の戦友の顔を忘れるなよ」

「はい、この秀吉、頼みの仲間を一生忘れませぬ!! 皆の者、これからもよろしくな!!」

「「おう!」」

「「金猿の大将、またな!」」


金ヶ崎殿軍の衆は、墨俣以来の木下党(蜂須賀党・前野党を含む)の他に、信長から与力に付された加藤作内光泰、生駒甚助親正、一柳直末等の他、

それぞれ各侍大将家臣から、一時的に与力に派遣されたものや、戦功のため部下を率いて陣を抜け、殿軍に身を投じた侍大将や、畿内浪人の一騎掛けの士卒などの寄せ集め軍だったが、与力衆以外の身寄りのない武士たちは、のちに秀吉が城を持てばその配下として、活躍する縁を正式に持つこととなった。

「金ヶ崎は、金の臭いがしたんだよなぁ」

信長のお墨付きを得て、浪人だった者は、陪臣ながらも織田家への士官が叶う”つて”を得て歓喜する。


「よし、四日後、京都を出発する。いまは身体を休めて、四日後に向けて全軍、三河・尾張・美濃へ帰還する準備をせよ!!!」

「「ハハーーーーーーーー!!!」」

京都の民衆の前で、このやり取りはおこなわれた。

信長を中心に、秀吉を出迎えた織田家の内衆諸将と、与力の水野信元、徳川家康の結束の儀式を、京都の民衆たちは見届け、

「織田軍は威勢がいいのぅ」

京都の町衆達は、まだ織田家は健在だと認めたのだった。


*******


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