143部:五郎
「まずは、我らが根城にお越しあれ」
高橋政信に案内され、山中を行く奇妙丸一行。目的地は知立城の近くにある。池鯉鮒の森だという。
ここは森が深く、大木が多く残されている。
「あの木は、なんという木なのだろう」
奇妙丸が、先導する高橋に尋ねた。
「ケヤキの木ですね。磨くと木目が美しく神社仏閣の柱によく用いられます」
「なるほど」
「しかし、よほど太い木でないと、そってしまうので大工泣かせなのです」
「そうか、それで伐採されず良く残っているのだな」
「三河の国ではいたるところに大木がありますよ」
「そうか、良いことを聞いたよ。有難う」
「いえいえ」
(奇妙丸殿は樹木にも関心があるのだな)と趣味は樹木なのだと誤解を高橋に植え付けている。
やがて、林を抜け明るくなった場所に、一軒の大きな家屋が現れた。年月が随分たっていたとみえ、ぼろ屋ではあるが、一行が泊まっても十分な程の余裕がありそうだ。
戦乱の為、廃棄された村があり、その土地の庄屋の家が残っていたのだろう。政信は流浪の末に、この廃村を見つけ根城としたようだ。
中から、農民の姿をした母子やその他にも数人の娘達が現れた。どうやら高橋衆の家来の家族らしい。
「我が子・虎松に、妻の於政です」
於政は当然、出身は武家の娘なのだろうが、農民の娘の也をして肌が畑仕事で日焼けしている為、本当に農家の娘の様でもある。見るからに健康で、政信の困窮した生活を、健気に支えているのであろう。
虎松は、於政よりも真っ黒な姿だ。きっと、家の中で静かに留守番することは少なく、外で畑仕事をしている母の周りを無邪気に遊んでいるのだろう。
「一晩お世話になります」
「どうぞどうぞ」
「お兄ちゃんたちは、どこへ巡礼に行くんだ?」
「まだ、決めていないよ。東の方かな、」
「これ!」と母親が叱りつけるが、虎松はどこ吹く風だ。
「すばしっこい小僧だなあ」と於勝が自分の事を棚に上げて睨みつけている。
虎松は、久々の来客達に遊び相手になってもらおうと、遊んでくれそうな相手を探して、じろじろと観察してまわる。
*****
政信にもてなしを受けた後、炉辺で残り火を囲み、今までの事や、近隣の情勢を話す奇妙丸一行。
「安祥に入った叔父上(信広)が、今川家に屈してからは、三河は今川家の属領のようになり、織田方は一掃されてしまったからな・・。
尾張でも、父が擁立した武衛様・斯波義銀殿が謀反の心をもたれたため、再び尾張と三河の秩序が崩壊してしまった。
永禄3年(1560年)の桶狭間合戦にて父上が劣勢を覆してからは、徳川殿と共に吉良家を支えようとしていたが、吉良家とも対立することとなった」
奇妙丸は織田家の立場で話す。
政信は吉良家の立場だ。
「三河では、永禄4年(1561年)の冬に牟婁城主・伴ノ五郎(富永忠元)が、酒井正親と本多広孝の軍に討たれてしまってから、東西の吉良両家は振るわず。
永禄6年(1563年)の秋に、年貢回収のいざこざから、徳川が軍事蜂起し、吉良は一揆と呼ばれ、徳川家康との対決が鮮明になりました。
我ら高橋家は、時流により赤羽根城を失う事になったのですが。父・信政はその時に矢傷がもとで亡くなりました」
服部政友は、会話の中に出て来た伴氏について気になる事があった。
「たしか、五郎殿の父・富永備前守忠康殿は、松平清康殿の義兄弟でしたね」
「守山崩れの危機の時、松平広忠は、忠康殿によって匿われたのだ」
政信が昔の記憶を遡る。
「家康は父・広忠の恩義を仇で返したのだな」
と、於八。
「誠に、世の移ろいやすさよ」
於勝は、あきれたように言う。於勝にしては大人びた言い方だ。
「桜も、伴の血に連なるのだったな?」
奇妙丸に突然話を振られて少し驚く桜。
「そうです・・」
返事をした後に、桜が政信に話しかける。
「高橋家も苦労なされたのですね」
伴氏の悲劇もあるが、高橋氏も同じような境遇だ。吉良家の忠臣たちは長年辛い目にあってきた。
今までの流浪の生活が胸をよぎり、涙目になる政信の妻・於政。
控えていた高橋の家来衆がすすり泣く。
先程の戦闘で数名の仲間が戦死していた。
「もう少し止めに入るのがはやければのぅ」
申し訳なく思う奇妙丸。
「いえ、我々が巡礼と思い襲ったのが過ちでしたから」




