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魔王様とワルツを  作者: 星埜ロッカ
第九章 兄弟
59/60

07

 シリルを見つめることしかできないリゼルヴァーンに、とどめを刺す一言が降る。

「なんで、リゼルを守ったユリシア母上が、命を落とさなければならなかったんだ……」

 冷酷な表情は、深い悲しみを孕んでいた。こらえるように唇を噛みしめているのは、涙を流すまいと我慢をしているからだろうか。それとも、内に広がる怒りの炎を燻らせているからだろうか。

 苦い薬を飲んだとき以上の苦味が、口中だけでなく心の中までリゼルヴァーンを満たしていった。

 ――ユリシア母上を殺したのは、僕も同然なんだ。

 シリルの言葉に愕然とした。何故いままで気づかなかったのだろう。ユリシアはリゼルヴァーンを庇って斬りつけられた。だったらユリシアの命を奪ったのはリゼルヴァーンも同然ではないか。直接死に至らしめたわけではないけれど、それでも、原因は自分にあるではないか。

 兄上が僕を憎むのは当然のことだ。憎まれて当然のことをしてしまったんだ。だって、僕がユリシア母上を……。

 尻もちをついたまま呆然とするリゼルヴァーンをシリルが上から見おろす。影で表情はわかり難いが、金色の瞳が鋭く光っているのが見てとれた。

「リゼル。リゼルのことはとても愛しているよ。嫌ってなんかいない。だって俺の弟だもの。……だけど、どうしてだろうね。愛しくおもっているのに、それと同じくらい、憎らしくもあるんだよ。憎くて憎くてたまらない。だけど、愛しているんだ」

 しゃがみ込み、リゼルヴァーンと目線を合わすシリルは、歪んだ笑みを浮かべていた。奇妙に捻じくれてしまった表情が、壊れた玩具の人形ようで、悲しくて痛々しかった。

 もう遅かったのだ。シリルは以前から、ユリシアが命を落とす前から、リゼルヴァーンを憎んでいたのだ。ユリシアの死によって箍が外れてしまっただけで、本当はずっと、自分は憎まれていたのだ。厭われていたのだ。

「あに、うえ……」

 乾いた口内で舌を縺れさせながら、絞りだすようにたどたどしく声をあげる。それが最後の望みとばかりに名を呼んだ。

 嘘だと言ってほしかった。いつもの優しい笑顔で、「冗談だよ」と言ってほしかった。憎まれるほどのことをしておきながら、それでも自分は、シリルに無上の愛をそそがれているとおもいたかった。

 けれど。シリルは歪な微笑みを見せるだけで、リゼルヴァーンが望む言葉を与えてくれはしなかった。

「ごめんね、リゼル。俺はお前が、心底憎いよ」

 ああ、ああ。冷たい。目の前が真っ暗になっていく。息ができない。

 それは、深い水底に沈められていくような感覚だった。自分はこのまま溺れてしまう。水面にあがることを赦してはくれないような気がした。だから、沈んでいくしかないと、そうおもった――

「リゼル!」

 唐突に、扉が開いたと思ったら、切羽詰まったような大声で名を呼ばれ、リゼルヴァーンは虚ろにそちらを見やった。そこには上品な黒衣を身に纏う長身の男が、慌てた表情で突っ立っていた。息を切らせているのは、どうやら走ってきたかららしい。髪が随分と乱れているなあと、リゼルヴァーンはぼんやり男を眺めてから、ようやく声を発した。

「……ちちうえ」

 何故ここにギルヴァーンがやって来たのだろう。リゼルヴァーンは働かない頭の片隅で疑問におもった。けれどその問いも直ぐに消え去ってしまうほど、ほっとした自分がいた。

 ギルヴァーンは辺りを見回しながらゆっくりと近づき、立ち上がったシリルと対面する。険しい表情でシリルを見つめ、程なくがらんどうのようなリゼルヴァーンに目を向ける。その姿に心底傷ついたような表情をして、尻もちをついたままのリゼルヴァーンをゆっくりと抱えあげた。

 大きな手で軽々と持ち上げられて、リゼルヴァーンの頭がギルヴァーンと同じ高さになる。抱きあげられたのは久しぶりのことだった。だからだろうか。ギルヴァーンの温もりや匂いや、間近で見る表情に胸が締めつけられる。息苦しくなって首元をぎゅっと抱きしめると、ギルヴァーンは答えるように、リゼルヴァーンの背をぽんぽんと優しく叩いた。

「これは、シリルがやったのかい?」

 しばらくして、ギルヴァーンの問いかける声が聞こえた。リゼルヴァーンは父にしがみついたまま、顔をあげなかった。

「ええ、そうです。父上」

 隠し通すこともせず、シリルははっきりと認めた。一瞬、言葉に詰まったような沈黙が落ちて、ギルヴァーンが小さく息を吐く。

「……すまない、シリル。そしてリゼル。お前たちが一番傷つき、苦しんでいるのに、僕はなにもできていなかった」

 本当にすまない、と言い添えて、頭を下げた気配がする。ユリシア亡きあと、ギルヴァーンが忙しく立ち働いていたことはリゼルヴァーンも知っている。だから、ギルヴァーンを責めることはできないとおもったし、仕方のないことなのだとおもった。体調を崩し、塞ぎ込んでしまったというミゼリアのことも、ギルヴァーンは気にかけていたことだろう。

 リゼルヴァーンはそっと顔をあげ、シリルに視線を向けた。シリルは無表情のまま、低頭するギルヴァーンを見つめていた。仮面を張り付けているかのような、頬の筋肉を一切動かさないその顔が酷く恐ろしかった。

「今更そうやって後悔されても遅いよ。ユリシア母上は戻らない。それは揺ぎない事実なんだ。リゼル同様、貴方も、母上を殺したも同然だ。魔王としての責務を果たしてこなかった貴方が、殺したんだ」

 ギルヴァーンは頭をあげなかった。けれど、首元にしがみついていたリゼルヴァーンにはわかった。身体が小さく震えていることに。

「すまない」

 ギルヴァーンは悲しみに沈む声で詫び続けた。そんな姿を見るのは辛かった。心の奥底から苦しみ、心を痛め、自分を責めているのがわかる。そして、それはシリルも一緒だとおもった。

 母親を失った傷は闇夜よりも暗くて広いのかもしれない。仲の良かった母子だけに、その悲しみは人一倍深いのだろう。――そして憎しみも。

 頭をさげ続けるギルヴァーンを冷たい目で見つめていたシリルは、またもや狂った笑いをあげると、さんざん散らかした部屋を更に荒らしだした。ありとあらゆる物を滅茶苦茶に破壊し、踏みつけ、短刀で切りつける。満足いくまで荒らし回ると、シリルは肩で息をしながら、ふらふらとした足取りで部屋から出ていった。

 シリルを呼び止めることは出来なかった。それは黙っていたギルヴァーンも同じだった。

 静かになった部屋で悄然と立ち尽くすギルヴァーンに、リゼルヴァーンはそっと声をかける。

「父上……」

「リゼル……すまない。謝って済む問題じゃないことはわかっているんだ。だけど、謝らせてくれ。すまない、すまない……」

 リゼルヴァーンをきつく抱きしめ、ギルヴァーンは謝罪する。謝らずにはおれないギルヴァーンの心の内は、幼いリゼルヴァーンにも理解できた。それはリゼルヴァーン自身、シリルに対して謝罪の念が強く湧いていたからだった。

 ギルヴァーンの首元にしがみつき顔を伏せる。黒い衣は、リゼルヴァーンから零れ落ちた滴で濡れそぼち、黙って嗚咽を吸いとっていく。ぎゅっと抱きしめると、大きくて温かな掌が抱きしめ返してくれた。

「ごめんなさい……ごめんなさい、兄上……ごめんなさい……!」

 ギルヴァーンの柔らかな熱に触れて、一気にリゼルヴァーンの気が緩む。先程まで感じていた恐怖が安堵と入り混じり、胸に溜まった感情が一気に噴出したみたいだった。それは涙となって頬を伝い、唇から吐き出される。

 無残に散らかった部屋の中、咽び泣くリゼルヴァーンの声だけが響いていた。ギルヴァーンはリゼルヴァーンが泣き止むまでずっと、抱きしめた腕を離さなかった。

 きっと互いに、相手に縋っているのだ。いまギルヴァーンが傍にいてくれて良かった。ひとりきりでこの悲しみは背負えない。憎しみを、受けとめきれない。

 けれど。と、同時におもう。

 シリルはいま、ひとりきりで苦しんでいる、悲しんでいる――

 そうおもうと、堪らなく自分がずるくて汚いものであることを実感する。それでもいまはまだ、父親の温もりの中で、ただ泣いていたかった。

 ひとりでは何もできない、ちっぽけで弱々しい、シリルの憎むリゼルヴァーンでいたかった。

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