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魔王様とワルツを  作者: 星埜ロッカ
第九章 兄弟
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04

「兄上、どこにいるのですかー? 兄上ー」

 リゼルヴァーンが大声を上げると、前方にいた数人の家臣たちが睨むようにして振り返った。あからさまに溜息を吐くものや、ひそひそと小声で話すものたちの視線が突き刺さる。リゼルヴァーンは肩を竦ませ、縮こまって歩廊の隅を歩いた。窓から差し込む『朝の月』の淡い光が、唯一優しく、リゼルヴァーンを柔らかく包み込んでいた。

 リゼルヴァーンは城内を歩き回っていた。一緒に遊ぼうと思ったシリルが見当たらず、一人ぼっちでうろうろと彷徨っていたのだ。

 自室にはいなかった。魔術の訓練をしているのかと思いディルクを訪ねたが、恐ろしい顔で「いない」と突っぱねられた。ギルヴァーンやミゼリア、ユリシアの部屋を覗いてみたが、やはりシリルの姿はなかった。

「どこに行ったんだろう。外に出てるのかな」

 シリルはふらりと一人で出かけることがあった。だから今回もお忍びで出かけているのかもしれない。

 残念だと思いつつ、これからどうしようかと思っていた矢先、歩廊の先に、身なりのよい衣装を着飾った漆黒の頭が見えた。リゼルヴァーンの沈んでいた心がぱっと浮き上がる。

 やっと見つけられたことに嬉しくて、リゼルヴァーンが駆け出すと、足音に気付いたシリルが振り向く。表情がこわばっていた。一瞬、リゼルヴァーンは近付くのを躊躇った。シリルの緊張感が伝わったからだ。

 シリルはやって来たのがリゼルヴァーンだとわかると小さく微笑んだ。そして口元に人差し指を立てて「声を出さないように」と合図をする。リゼルヴァーンがこくりと頷くのを確認すると、シリルはもう一度廊下の奥を覗き見た。リゼルヴァーンは邪魔にならないようにシリルの後ろで待機する。

 微かに話し声が聞こえる。会話をしているのはどうやら近衛兵のようだ。漏れ聞こえる声の調子から、気軽な雑談を交わしているようには思えない。抑えた声で話しているので、リゼルヴァーンには断片的な言葉しか聞き取れなかった。

 一体なにを話しているのだろう。兄上はなんで盗み聞きしているのだろう。

 ただただ不思議に思っていると、シリルが唐突に振り返り、リゼルヴァーンの背中を軽く押した。

「話が終わったみたい。見つかる前に行こうリゼル」

 言うやいなや、シリルはリゼルヴァーンを追い越してさっとその場を離れた。慌ててリゼルヴァーンは小走りに追い、シリルのあとをついていく。途中からシリルはリゼルヴァーンの手を握って歩廊を早足で進んでいった。

 やがてシリルの自室にたどり着く。中に入るとシリルはすぐに扉に鍵をかけてしまった。そして小さく呟いて扉に手を翳す。シリルは魔術を施したらしかった。

「ねえ兄上、さっきの兵士たちは何をお話していたのですか?」

 何か重要なことを話していたのだろうとは思ったが、いかんせん会話が耳に届かなかった。ただ、何度も同じ音が聞こえてはいた。それは『テン』という音――

「近く、天界との戦が激しくなるみたいだ。彼らはそのことを話していたんだよ。城の警備をもっと厚くしなければと言っていた。これからは気軽に外出なんてできなくなるかもしれない。城の中に閉じ込められるなんて、ただの苦痛だよ」

 シリルはお気に入りの猫脚つきの椅子に腰かける。足を組み肘置きに肘をつき、シリルは憂いの表情を浮かべる。リゼルヴァーンはただ目と口をぽかんと開いた。

「戦……天界との争いはもうすぐ終わるのではないのですか?」

「そう簡単に終わるものではないんだよリゼル。もしかしたらこのままずっと、争い続けているかもしれないね」

「だって、だって父上は言っていたのに……! もうすぐ戦は終わるからって。天界とは仲良くするんだって」

「……父上の理想は、多分そうなんだろうね。仲良くとまではいかなくとも、相手を攻撃することはしたくないって、父上なら考えていそうだね」

「だったら――」

 魔界の王であるギルヴァーンがそう望んでいるのなら。天界との戦など、容易く終了してしまうのではないのか。

 リゼルヴァーンはそう思ったが、しかしシリルは切なげに苦笑を浮かべた。

「この戦は、父上の意向だけでどうこうできるものではないんだよ。魔界全体の……いや、天界も含む多くの者の思想や陰謀といったものが、幾憶もの昔から深く混ざり合い、混沌とした渦を巻いているんだ。例え父上が争いをやめようと声を上げたところで、なくなるものではないんだよ。簡単に掘り返せないくらい、戦の根は地中の奥深くまで張り巡らされている。しかもその根は堅固で、ちょっとやそっとの力ではどうすることも出来ない」

「父上だけじゃなくて、母上たちや兄上がだめだって言っても……?」

 微かな望みを込めて問うたが、シリルは薄く笑うだけであった。

 簡単なことじゃないんだ。天界との戦を止めることは、とても難しいことなんだ。だからみんな、笑っていても、悲しい顔を覗かせたりするんだ。本当の意味で、笑顔になれないんだ。

 とてつもなく大きな力が働いているのだということを今更ながらに思い知り、リゼルヴァーンは身震いした。城の中でのんきに過ごしている間にも、どこかで仲間たちや天界の者たちが倒れ伏しているのだと思うと、酷く胸が痛んだ。そして何も出来ない自分にますます心が沈んでいく。

 何も出来ないわけじゃない……行動は起こそうと思えば起こせる。けれど僕は怖いんだ。あまりにも大きすぎる力を前に、立ち向かう勇気が、僕にはないんだ。

 これでは白髪云々のまえに、魔界の王の子としてあまりにも不甲斐ない。だから家臣たちもがっかりするのだ、と肩を落とすリゼルヴァーンに、シリルがぽんと頭に手を乗せた。

「リゼルは優しいね。けれどその優しさが、俺はときにかわいそうになるよ」

 手櫛で白髪を梳く手つきも、語る口調も、穏やかそのものであったが、仰ぎ見たシリルの瞳に滲む哀しみが、リゼルヴァーンには見えた。兄上、とそっと呟くと、シリルは静かに笑いかけた。



 しばらくすると噂どおり、天界との戦は激しさを増した。城の内だけでなく外に至るまで警固は厳しくなり、リゼルヴァーンはむやみやたらに行動できなくなっていた。

 白髪の忌み子であっても、リゼルヴァーンはギルヴァーンの正統な息子である。粗雑に扱うことはできないのだろう、家臣たちの対応はとげとげしさはあれど、リゼルヴァーンに等閑なおざりな待遇をすることはなかった。

「兄上と一緒に、どこかへ遊びにいきたいな」

 自室の椅子に座るリゼルヴァーンは、卓についた肘に顎を乗せ、窓の外を眺めた。中庭には色とりどりの草花が咲き誇っていたが、美しい景色の中に鈍色の甲冑が点在しているのが目についた。

 以前よりも数が増えた近衛兵たちは、みな微動だにしない。が、怪しい者が現れると即座に退治できる能力を持ち合わせているのだろう。優秀な者たちばかりだとギルヴァーンが言っていたことを思い出す。

「だったら、抜け出すことなんて難しいよね……」

 肩の重みに手を差し伸べ、喉元をさすってやる。クールウと名付けられた紫紺の怪鳥は、一度羽ばたきすると「クルル」と親愛の情を表す鳴き声をあげた。あれから直ぐに懐いたクールウは、リゼルヴァーンとシリルが交互に面倒を見ていた。しかし行動を制限されてしまったいまは、リゼルヴァーンがクールウの世話をするようになっていた。

 目に見えて増えた警護の数に、リゼルヴァーンは溜息を吐く。さすがに、室内に召使いを常駐させることを命じはしなかったが、リゼルヴァーンやシリルに何かあれば、ミゼリア辺りが不安に駆られたのち、もっと強固な警備をギルヴァーンに願い出るかもしれない。そうなったらますます行動が制限されてしまうだろうし、いま以上に不便になることは目に見えている。そう思うと、リゼルヴァーンは大胆な行動を起こすことが出来ないのだった。

「もっと上手く術が扱えたらなあ。そうしたら、誰にも知られずに部屋を抜け出せるかもしれないのに。兄上とこっそり外出できたり、いろいろと遊べたりできるのに」

 唇を尖らせながら呟いた瞬間、コンコンと扉を打ち付ける音が響いた。召使いがおやつでも持ってきたのだろうかと思いながら振り向くと、扉からやってきたのは思ってもみなかった人物であった。

「ごきげんよう、リゼル」

「ユリシア母上!」

 艶やかな長い黒髪を翻して、ユリシアが部屋へと足を踏み入れる。リゼルヴァーンは慌てて駆け寄り、ユリシアをソファーへと促した。気遣うリゼルヴァーンに、「ありがとう」と笑顔で礼をして、ユリシアは闇と真紅が見事に調和した美しいドレスの裾を持ち上げ座り込んだ。

 にっこりと笑んでこちらを見つめる瞳は、ミゼリアやリゼルヴァーン同様深紅で、気高い色香を漂わせた誉高い色合いは、魔界の王妃こそのものだと確信する。頭髪の色こそ受け継がなかったものの、目の色彩を母方から受け継いだことは、リゼルヴァーンにとって途方もなく栄誉なことであった。

「どうしたのですか? ユリシア母上一人でここへいらっしゃるなど、珍しいことですね」

 いつもならミゼリアかシリル、またはギルヴァーンを伴ってやってくることが多かっただけに、召使いをひき連れているとはいえ、珍しいことであった。

 ユリシアはリゼルヴァーンの問いに笑っただけで、後ろに控えていた召使いに下がるよう命じた。眉間に皺を寄せて無言の抵抗を示した召使いだったが、主の命に背くことはせず、綺麗なお辞儀を披露してから退室した 。

 部屋の外で待機するのだろうと思ったのはリゼルヴァーンだけではなかったようだ。ユリシアは瞼を伏せ、ぶつぶつと口内だけで言葉を発する。瞬間、部屋の雰囲気が一変した。どこがどういう風に、と具体的に答えることは難しが、柔らかい繭に包まれているような心地がした。ユリシアが結界を張ったのだろう。おそらく外に、音や存在そのものを悟られないようにするためだ。

「あとで難癖つけられちゃ堪らないからね。ま、結界を張った時点でとやかく言われることは確定してるけど、盗み聞きされるよりよっぽどマシだからね」

 そう言って、ユリシアはウインクを投げた。

 瞬きするリゼルヴァーンはユリシアの茶目っ気にミゼリアが重なって見え、思わず声を上げて笑った。

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