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魔王様とワルツを  作者: 星埜ロッカ
第九章 兄弟
54/60

02

 静寂が耳に痛い。城内のざわめきや、吹き抜ける風の音、夜空を飛び交う鳥の歌声など、いつもなら響いているだろう音が全く聞こえない。唯一届くのは、リゼルヴァーンとシリルから発せられる懐かしく、闇の様に深く愛おしい響きだけだった。

 リゼルヴァーンの形相に、アキは胸を掻き毟られる様な感覚を覚えた。不安、恐怖、悲しみ、そして怒りが、リゼルヴァーンの中に渦巻いているのが見てとれる。そんな表情を目の当たりにして、無心でいられるはずはなかった。

 何とかしてシリルの腕から逃れられないかと、アキは必死に力を込めて身を捩る。だがその抵抗は、微動だにしないシリルに効果はないように見えた。優雅な笑みを浮かべたままで、リゼルヴァーンから視線を外さないシリル。アキは腕の中でもがき続けることを止めはしなかった。

 例えシリルから逃れることが出来なくとも、抵抗を止めるという選択肢はありえなかった。捕らわれたまま、黙ってじっとしているだけは我慢ならない。リゼルヴァーンの辛そうな姿を目の前にして、何もしないでいることなど出来はしなかった。

「リゼル……!」

 叫ぶアキに少しだけ視線を向けたが、リゼルヴァーンは直ぐにシリルに向き直った。常に優しく暖かな雰囲気を纏っていただけに、鋭く、近寄り難い空気を発するいまのリゼルヴァーンは別人のようであった。

「放してくれないのであれば、こちらも容赦はしません」

 きつい眼差しをシリルに向けるリゼルヴァーンの周囲に、黒々とした魔力が立ち上るのが分かった。ミゼリアと初めて対面した時に感じた力に似ているが、それとは比べ物にならない程の禍々しい妖気がリゼルヴァーンを取り巻いている。これがリゼルヴァーンに宿る強力な魔力の一端なのかもしれないと、アキは目を瞠った。いままでリゼルヴァーンにそのような力を感じたことが無かっただけに、驚きと少なからずの恐怖が沸き起こった。

 リゼルヴァーンは闇のように黒い魔力を漂わせながら、シリルの白い首に向かってゆっくりと手を伸ばす。抵抗するかと思ったがシリルは顎を引いただけで、顔色一つ変えずにリゼルヴァーンの手を見つめていた。届いた指がシリルの首をぐっと掴む。リゼルヴァーンの指がゆっくりと少しずつ、まるで柔らかい果実を握るように食い込んでいくのがわかった。

「容赦しないって、これで? この力が、リゼルの本気なのかい?」

 至近距離から降る涼しげな声は少しも苦しげな調子を見せない。寧ろ余裕綽々で、リゼルヴァーンを試しているかのようであった。

「ほら、もっと強く握らないと。俺を苦しめさせてよ、リゼル」

 眉間に皺を寄せ、強く歯噛みするリゼルヴァーンの表情に苦悶が浮かぶ。怒気の中に漂う悲しみが、アキには切々と感じられた。

 リゼルはきっと、こんなことをしたいわけじゃない。望んでいるわけじゃない。苦しんでいる、悲しんでいる。そんな辛そうな顔はもう見たくない。

 アキは有りっ丈の力を込めてシリルの腕を掴み、自身から引き剥がそうとした。全身全霊の力でシリルからの抵抗を試みる。

「お願いだから、もう、やめてっ!」

 叫んだ瞬間、あり得ないことが起こった。シリルの腕に触れたアキの掌から、稲妻のような閃光が走ったのだ。シリルの右腕全体に走る雷は、ばちばちと音を立てる。はっと気づいたときには、既に消えてしまったあとだった。反射的に放したシリルの手から、アキの左腕がようやく開放される。

「これは……!」

 瞠目したのはアキばかりではなかった。リゼルヴァーンや、シリルでさえも驚きに目を見開いている。

「何、いまの……」

 一体何が起こったのか理解できず、アキは思わず掌を見つめていたが、隣から発せられる笑い声に気付くと慌ててリゼルヴァーンのもとへ移動した。リゼルヴァーンがアキを背に庇う間も、シリルは絶えず押し殺すような低い笑いを立てていた。まるで愉快で愉快で堪らないとでもいうような笑いに、反射的に身が竦む。

「面白いね、アキは。ますます気に入ったよ」

 シリルは雷を受けた腕を振ってみたり、掌を握ってみたり開いてみたり、じっと見つめてみたりと、感覚を確認しているようであった。見た感じ、怪我を負っているようには見えなかったが、自分がしでかしてしまったことを思うと震えが起こった。

 ――貴女には魔力が宿っている。それもとても強大な、ね。

 ミゼリアの言葉が、頭の中を駆け巡る。掌が震え、口内が乾く。どくどくと心臓が鼓動を大きくしていく。額に冷や汗が滲んだ。

「リゼル様! アキちゃん! 伏せて!」

 突如後ろから響いた鋭い声に反応して、リゼルヴァーンはアキの頭を押さえつけてともにしゃがむ。それを見越していたのだろう、背後から風を切る音が鳴ったと同時に、シリルに黒いナイフのようなものが突き刺さる。思わず「あっ」と声をあげたものの、シリルは平然とその場に佇んでいた。突き刺さったと思ったナイフはシリルの手の内にあり、見る見るうちに粒子となって落下していく。

「また邪魔が入ったね」

 歩廊の入口に立つロネットとナジに目を向けるシリルは口角を上げてみせる。しかしその瞳が笑っていないことは、十分伝わるものだった。アキが思っている以上に、忌々しく感じているかもしれない。

「シリル様、ご兄弟でこのようなことをなさるのはお止め下さい。リゼル様はずっと、いまも苦しんでおられます。何よりもシリル様のことを想っていらっしゃるのはリゼル様なんですよ!」

 ロネットは翳す手を下ろさず警戒を怠らない。それでもシリルに語りかけるのは、少しでも考えを改めてもらえないかという意思の表れだろう。

 シリルは、ロネットの言葉に何の感慨も湧かないといった様子だった。姿さえ目に映らないとでもいうように、シリルはリゼルヴァーンとアキを見据える。

「俺はリゼルとアキ以外には用がないんだよね。さっきのアキの力で結界も壊されちゃったみたいだし、今日はここまでかな。……リゼル、アキ、またね」

 言い終えると、シリルは跡形もなく一瞬で消え去った。シリルの消失と同時に、いままでこの空間に薄膜が覆っていたような奇妙な感覚がなくなる。城内のざわめきが耳に響きだす。失われていた時間が、突然動き出したような感じだった。

 と、アキを庇うように佇んでいたリゼルヴァーンががくりと膝をつく。力なく腕を床につき、頭を垂れる。

「リゼル! 大丈夫!?」

 アキの呼びかけに、リゼルヴァーンは弱々しい息を吐いただけだった。


◇     ◇     ◇


 移動する間付き添って歩くリゼルヴァーンの瞳は虚ろで、何も映さない緋色の目に胸がつまった。アキ達は沈黙を引き連れてリゼルヴァーンの私室へと向かう。長い回廊を過ぎ、城内を渡る四人であったが、声を掛ける者は誰もいなかった。ロネットの誘導で人目があまりつかない歩廊を歩いている所為もあるかもしれないが、それでもすれ違う女中や兵士達は遠巻きから窺うように見るだけで、視線を向けると慌てて目を逸らし足早に過ぎていく。その様子はアキを切なくさせるばかりか、小さな怒りをも沸き起こさせた。しかし、いまアキが憤慨している場合でないことは十分理解していたので、黙って胸の中に留めておくしかなかった。

 リゼルヴァーンの私室は、城の上部に二棟あった塔のような部分に当たるのだという。この塔の反対側にある、まったく同じ形の棟はいまは誰も使用していないのだと言った。それはシリルの私室なのではないかと思ったが、口には出せなかった。

 石作りの螺旋階段を上ると、謁見の間の扉と似た作りの扉の前に出た。違うのは円状に施された模様の真ん中に、赤い石が嵌め込まれている程度だ。リゼルヴァーンはゆっくりと前進すると、目の高さにある拳台の大きさの赤い石の前に立った。すると、やはり自然に扉が開いていく。リゼルヴァーンでなければ開かない仕組みになっているのかもしれない。

 部屋に入ると、薄弱としたリゼルヴァーンを椅子に腰かけさせた。すまない、と言って弱々しく笑うリゼルヴァーンに首を振る。かける言葉が見つからず、アキは視線を彷徨わせた。

 リゼルヴァーンの私室は広かった。屋敷にある部屋もそれなりに広々としているが、ここはその比ではない。一人で使用するには持てあましてしまうのではと思うのは、屋敷同様、この部屋もさみしい空間が広がっているからだろうか。

 必要最低限のものしか置かれていないのは、屋敷と同じであった。こざっぱりしているというより、物悲しさが漂っていてアキは胸が締めつけられる。

 少し経ってからロネットとナジは静かに部屋を出ていった。ロネットは去り際に「アキちゃんはリゼル様の傍にいてあげて」と言い置いた。ロネットに頼まれなくともアキはそのつもりであった。

 しばらく、リゼルヴァーンもアキも何も話さなかった。黙って静かな空間に身を置いていた。リゼルヴァーンの心が落ち着くまで、アキは待とうと思った。

 窓から差し込む月の光が淡く輝き、アキとリゼルヴァーンの横顔を照らす。

「何故、こんなにも物が少ないのかと、驚いただろう?」

 ぽつりと、リゼルヴァーンが呟く。向いの椅子に座っていたアキが顔を上げると、リゼルヴァーンが仄かに微笑む。

「思い出は、ときに残酷で、容赦がない。優しくて、温かで、縋ってしまいたくなる。だから……」

 リゼルヴァーンは月を見上げる。橙色の輝きが、リゼルヴァーンの輪郭を照らし出す。

「何も、いらないんだ」

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