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魔王様とワルツを  作者: 星埜ロッカ
第八章 恐れと記憶
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08

「お兄さん……?」

 呟くアキの声は掠れている。きっと驚きに満ち、大きな瞳を更に見開いてリゼルヴァーンを凝視しているに違いない。注がれる視線を背中に感じつつ、リゼルヴァーンは顔を顰める。

「よく似ているだろう? リゼルとは歳が離れているけれど、歴とした兄弟だよ」

 昔と少しも変わらぬ優しげな笑みを返して、男――シリルはリゼルヴァーンに近づく。一歩ずつ、足音を響かせながら歩くその姿は優雅且つ麗しく、思わず見惚れてしまいそうになる程であった。

「貴方は、今までどこに!」

 溢れる感情を寸でのところで押しとどめる。乱れる心は嵐のように激しく荒れていた。

 気配は感じていた。シリルが現われるかもしれないと、寸前まで予想していたにも関わらず、それでもリゼルヴァーンは立ち去らなかった。なのにいま、逃げ出したい衝動に駆られている。いますぐここから消えてしまいたい。これ以上、平静を保っていられない。

 額や背中を伝う汗が、リゼルヴァーンの心まで冷たく凍えさせるようであった。

「兄上って呼んでくれないのかい、リゼル」

 一層近づくシリルの笑みが柔和であるが故に、リゼルヴァーンにはそれが冷淡に見えて仕方がない。輝く金色の瞳に射られ、リゼルヴァーンは逸らすことが出来なかった。



 迫るシリルを目の前にしても、リゼルヴァーンは一向に動こうとしなかった。もしかしたら動くことが出来ないのかもしれない。リゼルヴァーンの背を眺め、アキは考える。

 リゼルヴァーンは怯えている。苦しんでいる。それはディルクを前にした時の様な恐れではないと感じた。深い悲しみが、溢れている。

「ごめんねリゼル。長い間留守にしていて。だから、怒っているんだよね?」

 手を伸ばすシリルに、リゼルヴァーンは肩を震わせる。

「俺は怒ってなど、いません。寧ろそれはっ」

 肩を落とし、頭を下げるリゼルヴァーンの姿が痛々しい。語尾は悲しい感情に奪い去られ、音も無く散った。言葉に出すのを躊躇っているのか。それとも恐れているのか。リゼルヴァーンの悲痛な後姿は、アキの心をも削っていく。

「怒っていないんだったら、何でそんなに気分が悪そうなんだい? 俺は心配だよ、リゼル」

 伸ばした手がリゼルヴァーンの頭部に触れる。ゆったりと撫でるように白髪に触れると、シリルは目を細めた。

「相変わらず、リゼルの髪は真っ白だね。何も変わっていない。雪の様に、朝の月の様に、ただただ白い」

 うっとりと微笑する様が恐ろしく、アキは口を挟めないでいた。シリルは固まるリゼルヴァーンの頭をゆっくりと撫で続ける。

「俺も白髪だったら、王になれるのかな。……どう思う? リゼル」

 言葉を詰まらせるリゼルヴァーンが泣いている様に見えた。まるで幼子が静かに痛みを堪え、必死に苦しみを押さえ込んでいる様な、そんな悲しい背中だった。

 それを見ると、居ても立っても居られなかった。

 心は恐怖と不安で満ちていたが、それでも足を動かした。アキは傍まで近寄るとリゼルヴァーンの背を優しく支えた。視線はシリルを捉えたまま放さない。アキは怯えを悟られぬよう、眉間に力を込めた。

「止めて下さい。リゼルは、怖がっています」

 声を低め、震えを感じさせないようアキは必死に虚勢を張った。

 手はリゼルヴァーンの髪に触れたままで、シリルは視線をアキへと下げる。

「怖がっている? どうしてだい? 俺達は兄弟なんだよ? 怖がる必要なんて、どこにもないじゃないか」

「それでも。リゼルは貴方に恐れを感じています。だから……」

 これ以上、リゼルを苦しめないで。お願いだから。

 いまにも、心臓は飛び出しそうなほど激しく鼓動していた。それでも、アキは見据えた目をシリルから片時も放さなかった。

 直後、伸びた手がアキの黒髪を掴んだ。いままでリゼルヴァーンの頭を撫でていた手が、アキの肩にかかる髪の一房を取り上げている。温和な表情が酷く冷たい。纏う空気が鋭い棘を出している。まるで全身隈なく切っ先を突きつけられているかのような恐怖が襲った。

「アキ、キミも綺麗な髪色をしているよね。真っ黒だ。まさしく魔王の一族に相応しい」

 身を屈め、一房を口元へと持っていくとシリルは躊躇うことなくそれに口付けた。上目遣いにアキをじっと見据える。

「アキは知っているのかな。黒髪を持つのは、魔王の一族だけだっていうことを」

 確かにミゼリアは艶やかな漆黒の髪を持っていた。そしてミゼリア以外に黒髪を持つ者を、アキは知らない。道中立ち寄った街の中にも、この城の中にも、誰一人として黒い頭をした人物は居なかった。アキ以外には。

 そして召喚されたあの時、リゼルヴァーンの『特別』だと言った言葉も覚えていた。それは多分、シリルのいま言った言葉を示していたのだろう。黒髪を持つ自分は、“魔王の一族の資格を持つ者”なのだと。

 俄かには信じがたいが、シリルの話は真実だろうと思った。

「もっとも、リゼルは白髪だけれど」

「それを言うなら、貴方だって違う」

 リゼルヴァーンの兄だというのなら、シリルも魔王の血を引いている筈だ。しかし、シリルの髪は鮮やかな橙色をしている。誰がどう見ても黒ではない。

 シリルはふっと小さく笑うと屈めた身を起こし、自身の前髪を一摘みした。そして髪を掴む指をするりと滑らせる。すると指が触れた部分の髪色が変化した。橙色の煌く髪が、闇の様な漆黒へと変貌する。

「俺、本当は黒髪なんだよ。だけど、黒だと色々と面倒だから変えているんだ。結構簡単なんだよ、髪色を変える術っていうのはさ」

 そう言ってまた同じ部分を指で滑らせると漆黒は消え失せ、橙の髪が姿を現す。

「だからと言って、一族以外の者が術で髪の色を黒に変えるのは厳禁なんだ。罰せられる。恐ろしいよ。だけどキミのその髪色は術で変えている訳ではないよね。本物の黒髪だ。存命している一族の中で黒髪を持つのは俺と、陛下しかいない。新しい一族が誕生したという知らせもない。ということは――」

 言ってシリルはにやりと微笑む。

「アキは魔界の住人ではないということになるよね」

「……貴方は、私がどこからやって来たのか、知っているんですか」

 シリルはただ微笑を返しただけだった。しかしそれだけで解ってしまう。召喚されたという事実を、シリルは知っているのだ。アキの発言に小さく笑いを立てるその口元は、もしかしたら嘲笑しているのかもしれない。

「アキは、“どうして自分に強大な魔力が備わっているのか”疑問に思わないかい?」

「……え」

 何故、そのことをシリルが知っているのか。この事実を知っているのはミゼリアと、その場に居たラースとディルクだけのはずだ。

「“どうして自分が召喚されたのか”、不思議に思わないのかい? キミの国には、黒髪の人間は沢山居るのだろう? では何故“選ばれたのが自分”なのか、疑問に思わないのかい?」

 咄嗟に言葉が出てこず、アキは呆然とシリルを見つめ返した。

 “何故選ばれたのが自分なのか”。確かにその通りだ。召喚された当初は、ただただ現実世界には帰りたくないと思った。そればかりを考え、何故自分が魔界に召喚されたのかその理由をはっきりと訊いていないし、聞かされてもいない。リゼルヴァーンが術の失敗を起こした為に召喚されたのだと、そしてただの偶然が重なって起こったものなのだと、勝手に思い込んでいた。

 しかしいまにして思えば、自分がこの魔界に召喚されたのは、何か意味があるのではないだろうか。まだ実感することは難しい“強大な魔力を所持している”ということと、何か関係があるのかもしれない。

 ――もしかしてリゼルは、最初から私を?

「兄上。そのことをアキに伝えに、戻ってきたのですか?」

 今まで黙っていたリゼルヴァーンが口を開く。その声は低く、険を含んでいる。シリルはリゼルヴァーンに視線を移すと笑みを深めた。

「やっと兄上って呼んでくれたね。嬉しいよ、リゼル」

「答えて下さい。貴方は、何をしにここへやって来たのですか」

「リゼルはそんなに俺がここに居るのが不満なのかい? もうこの城に俺の居場所は無いのかな。悲しいよ」

「話を逸らさないで下さい!」

 隣で見守っていたアキは突然の怒号に竦んでしまった。ここまで真剣にリゼルヴァーンが怒鳴る姿を見たことが無い。シリルは微笑を崩さぬまま、ふうと小さく息を吐いた。

「リゼルは、分かっているんじゃないのかい?」

 シリルの問いに、リゼルヴァーンは答えない。見据える視線が、苦しげに歪んだのが見えた。

「……目的は、何なんですか」

 尋ねるアキに、シリルは双眸を細めた。

「それはね。アキ、キミを攫いに来たんだよ」

 足元から震えが駆け上る。甘美に囁くその口と、優美に見つめるその瞳が、言いようの無い恐怖をアキに与えた。

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