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魔王様とワルツを  作者: 星埜ロッカ
第八章 恐れと記憶
49/60

05

 花を摘み取る手が震えるのは、思い出して悲しいからではない。苦しいからではない。

 そう言い聞かせようとしても心は素直で、底にたまっていた闇が膿のようにどろりと吐き出される度に、アキの手は心が切なく泣くのと同時に震えた。地面を見つめて話しているはずなのに、その焦点は定まらず、ただ淡く光る緑や薄紅の色をぼんやりと捉えているだけだった。ただ、この闇を遮ることなく吐き出すことだけに集中していた。

 喋り続ける間、隣のリゼルヴァーンは一度も口を開かなかった。合間に相槌を打つ程度で、後はじっとアキの話を聞き逃すまいと耳を傾けている。それに甘えて、アキも言葉を続けた。いままで誰にも話したことのなかった、友人への、両親への気持ち。そしてアキの中に眠る、醜い感情。そのどれにも、決して口を挟まなかった。ただ、ふわりと舞う風が木立をざわめかせ、草木の葉擦れの音だけが、アキの言葉に静かに意見していた。

「いつか、リゼル言ってくれたよね。私は“穢れを知らない雪のような白が似合う”って」

 リゼルヴァーンの白髪の意味を知ったあの日、手を握って囁いてくれたあの言葉。嬉しいと思いながらも、心の中では否定していた言葉。

「そんなんじゃ、ないよ。私はそんなに上等なんかじゃ、綺麗なんかじゃない。いつも、心の中に醜くて、汚い感情が渦巻いているの」

 友人達が恋愛話をしているのを、本当は興味があるくせに、気になっているくせに、つまらないと罵って気の無い素振りをしなければ心が辛かった。言い聞かせなければ怖かった。母親と同じようになってしまうのが怖かった。自分の居場所はここではないと、居るべき場所が別のどこかにある在る筈だと思い込まなければ、心が死んでしまいそうだった。

 そしてその原因を全て、他人の所為にした。悪いのは自分ではない。全部、友人達の、両親の所為なのだと。それがどんなに自分勝手で、傲慢で、愚かなことか理解していながら。一番汚くて、ずるくて、呪わなければならないのは自分なのだと知りながら。

「私は、いつも逃げてたの。逃げてた、だけなの」

 友人の言葉に、違うと強く反論出来なかったのは、その通りだと思ったからだ。笑いつつも、どこか冷たい気持ちで彼女達を見下していた。どうせ私のことなんて、つまらない奴だと決め付けているに違いないと思っていた。だから言い当てられた時どきりとした。強くでて、関係が崩れてしまい、一人きりになるのが怖かったのだ。

 それに、と思う。本当は、もっと両親に伝えられた筈なのだ。本当に離婚してほしくなければ、もっと否定出来た筈なのだ。しかしそれを怠ったばかりに、一番恐れていた道が姿を現した。離婚という答えではなく、三人一緒に居られる道も、存在していたかもしれないのに。あの取り決めのあと、いまからでも遅くない、間に合う筈だと思いつつ行動しなかったのは、怖かったからだ。自分は要らない存在なのだと、もう一度思い知るのが怖かったのだ。

 ――私は、全てから逃げ出したんだ。



 不意に、花を摘み取るアキの手に、大きな掌が覆いかぶさる。長い指の繊細さを備える無骨な左手が、ぎゅっとアキの手を握った。

 目線を上げると、リゼルヴァーンの視線とぶつかる。ミゼリアと同じ緋色の瞳が、じっとアキを捕らえて放さない。見つめる度に、アキはいつも感じていた。何て綺麗で、澄んだ瞳なのだろうと。

 初めて口を開くリゼルヴァーンが、静かに問いかける。

「後悔、しているのか? 伝えられなかったこと」

 ああ、多分そうだ。私は、後悔しているんだ。友人達に、両親に、ちゃんと気持ちを伝えられなかったことを。話せなかったことを。

「今更だよね。本当に今更。こんな後悔しても、もう遅いのに」

 今更、こんな感情を抱いても仕方がないのに。もう全てが、遅い。

 溢れ出る涙が零れていることに気付いたのは、リゼルヴァーンが片方の手でアキの目元を拭ったからだった。繋ぐ手はそのままに、止まらぬ滴を拭い取る。温かく優しい指先に触れられて、アキは更に涙腺が緩むのを感じた。

「ご、ごめん! 泣くつもりなんて、なかったのにっ! いま、止めるからっ」

 ちょっと待って、と言おうとして、言葉が遮られた。何が起こったのか、解らなかった。

 いま唇に触れている、温かく柔らかい感触がリゼルヴァーンのそれなのだと気付くのに、随分時間がかかった。傷を癒すように、労わるように触れる唇が、悲しいくらいに優しさを含んでいる。伝わる熱が、ほんのりと温かくて心地良い。このまま時が止まってしまえばいいのにと、本気で願ってしまいたくなるような、そんな幸福な瞬間だった。

 ゆっくりと、名残惜しそうに唇を離すリゼルヴァーンは、そのままアキを抱きしめる。今までに無いくらいの強い力で抱き締められ、息が詰まる。近くでばさりと音がした。リゼルヴァーンが被っていた花冠が落ちたのかなと、頭の隅で微かに思った。

「もうそんなに、自分を責めるな。アキはよくやっている。俺には伝わる、届く。俺はアキが笑ってくれると、嬉しい。俺はアキがここに居てくれて、嬉しい」

 何よりも、誰よりも大切な人の、強く響く言葉。それはアキの胸へと、真っ直ぐに届く。

 いつも一人きりが怖くて、悲しくて、寂しくて。誰かに縋りたくても出来なくて。弱くて、脆くて、強がっていなければ自分を保っていられなかった。それが更に惨めで、苦しくて。だから、大嫌いで。

 『ここに居てくれて嬉しい』と言ったリゼルヴァーンの言葉が、震えるほどに嬉しい。ここに居ていいのだと、言ってくれることが嬉しい。何気ない言葉が、アキの心を救ってくれる。

 これほど心安らぐ気持ちになるなど思いもよらなかった。きっと昔の自分であったら、こんな気持ちに気付かなかっただろうと、目を伏せて思う。

「ありがとう……ありがとう、リゼル」

 この気持ちを何と口にすればいいのだろうと、アキはリゼルヴァーンに身体を預けて瞳を濡らす。沈んだ心を引き上げて、救い上げてくれるリゼルヴァーンに、もっともっと感謝の気持ちを伝えたいのに言葉が浮かばない。結局、「ありがとう」と再び口にして、アキはリゼルヴァーンを抱き締め返した。

 相変わらず、星屑と月が夜空のキャンバスに光の点を描き、風に揺らめく木々はさらさらと音楽を奏でる。取り巻く全てのものが、優しく見守っている気配を感じ、アキはリゼルヴァーンの衣服を握る手に更に力を込めた。



 どのくらいそうしていただろう。瞬く間に過ぎる時間は恐らく一瞬ではなく、随分と長い間リゼルヴァーンと抱き合っていた筈だ。きっと泣き止むまで、ずっとそうしてくれるのだろうと、リゼルヴァーンの柔らかな体温を感じて確信する。それを名残惜しく感じつつも、アキはリゼルヴァーンに声をかける。

「リゼル、もう大丈夫。もう平気だよ」

 アキの声に反応し、リゼルヴァーンは少しだけ身体を放し顔を覗きこむ。心配そうな表情を宿すリゼルヴァーンに嬉しく感じてしまう。

「本当に平気か?」

「うん。ほら、もう泣いてないでしょ?」

 笑うアキにほっとしたのか、リゼルヴァーンの表情が緩む。そしてアキの頬に手を添えると、心底安心した表情を見せた。微笑む瞳にまた泣きそうになり、アキは必死に涙を堪えた。

「良かった」

 呟くリゼルヴァーンの、優しい笑顔に癒される。それに笑い返し、改めて思う。

 ああ、やっぱりリゼルのことが好きだ。大好きだ。

 偽ることなく素直な気持ちが溢れ出す。傍に居たいと、出来ることならずっと、一緒に居たいと願ってしまう。

 ふと、唇に指を添える。リゼルヴァーンの熱を感じた唇が、まだ仄かに感触を残している。

 そう言えば、リゼルはどうして私に……

 ちらりと、窺うようにリゼルヴァーンを見上げた。アキと目が合うと、リゼルヴァーンは唇に添える指が気になるのか首を傾げてみせる。すると、突然かっと顔を朱に染めて、動揺を露にした。

「あ、ああああああ!! お、俺は……なんて、ことをっ……!」

 煮え滾るのは顔だけでなく、全身のようだった。耳や手まで真っ赤に染めて震え上がり、アキからさっと飛び退くリゼルヴァーンは、先程のキスのことを思い出したのだろう。しまったとばかりに片手で顔を覆い、俯き加減にアキを見る。

「あー、いや、あの……ど、どう、説明すれば、いいのか……」

 動揺するリゼルヴァーンが今にも頭を下げそうになり、アキは慌てて声を張り上げた。

「謝らないで! お願い」

 大声に驚き、目を瞠るリゼルヴァーンの視線に少し照れを感じながらも、アキは言葉を続けた。先程より、どうしても音量は小さくなってしまう。

「嫌じゃなかったから。だから、謝ることないから」

 言い終えてから、とんでもなく恥ずかしいことを口走ったことに気付く。しかし、真実を今更取り繕うことはしたくない。嘘は吐きたくないと、素直に思った。嫌悪感など抱かないと、はっきり伝えておきたかった。

「アキ……」

 依然驚いているであろうリゼルヴァーンを正面から見ることが出来ず、アキは俯く。

 がさりと葉を踏みしめる音が耳に届き、リゼルヴァーンが再び近づいていることに気付いた。どうしようと、固まる身体を何とか動かそうとした時、遠くから慌てた声が耳に届き、アキとリゼルヴァーンは同時に視線をそちらに移した。

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