04
肩からさらりと零れる長い黒髪を、ミゼリアは優雅な手つきで払いのけた。その動作に無駄な動きは一切無い。気品と色香を兼ね備えるミゼリアの仕草に、同じ女性として羨ましく思う。思わず見惚れてしまうアキの耳に、小さく笑う声が響いた。
「ロネットから聞いていた通り、可愛らしいお嬢さんね。ロネットがあまりにも力説するものだから、気になってたのよ」
「そ、そうなんですか」
その力説の内容も気になったが、言われ慣れぬ“可愛い”発言にアキは頬を染めるしかなかった。ロネットもそうだが、魔界に来てからというもの可愛いと連発されることが多いような気がする。アキにはまだ、悪魔の基準がいま一つ理解し難かった。
「それに、本当に……」
ぽつりと、ミゼリアが何か呟いたが聞き取ることが出来なかった。独り言の様にも聞こえたので敢えて聞き返すこともしなかった。
黙り込むミゼリアに、隣に佇む老師と呼ばれていた老人が「陛下」と声をかける。その声に我に帰ったのか、ミゼリアは数回瞬きを繰り返した。
「ごめんなさい、私ったらつい」
「陛下、早速ですが本題に」
アキの斜め後ろに移動したラースが声を上げた。――本題。その言葉に、アキの背筋が伸びる。
そうだ、女王は何か私に話すことがあるんだ。とりとめのない話なんかじゃなくて、もっと重要な、何か大切な話があるんだ。
でなければ、城にまで呼び寄せるはずが無い。
ミゼリアは穏やに纏っていた空気をすっと変化させた。優しげな表情は浮かべたままに、周囲の雰囲気を瞬時に冷たくさせる。張り詰める空気の中、静寂だけが流れる。それをミゼリアの凛とした声が断ち切った。
「単刀直入に言うわね。アキさん、貴女にはこの城に住んで頂きたいの」
「え……?」
突然すぎる言葉に、アキは絶句した。
意味が分からない。何故、この城に住む話になるのか。どういう経緯でそんな話になるのか。混乱するアキに、ミゼリアは尚も話を続ける。
「住む……という言い方は語弊があるわね。匿う、の方がしっくりくるかしら」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
淡々と語るミゼリアに、アキは慌てて叫んだ。話が全く見えない。住む? 匿う? 一体何の話をしているというのか。アキの心に、一気に不安が押し寄せる。
「いきなりそんなこと言われても、私には何が何だか分からないです。どういう事なんですか?」
「そうよね、確かにいきなりすぎたわよね。ごめんなさい」
ミゼリアは申し訳無さそうにしつつも纏う空気は緩めることなく、強い意志を持ってアキを見つめる。そしてゆっくりと、形の良いふっくらした唇を動かす。
「貴女自身は気付いていないでしょうけど、貴女には魔力が宿っている。それもとても強大な、ね」
さらりと言ってのけるミゼリアに呆気にとられた。はいそうですか、と答えるにはあまりにも突飛過ぎている。漫画やゲームによくある台詞ではないか、などと思ってしまうのは真実味に欠けているからだ。
「えっと……冗談ですよね」
きっとからかっている。どんな反応をするのか予想して楽しんでいるに違いない。アキにはそれ以外考えられなかった。
しかしミゼリアの反応に変化は無く、ただ微笑を返しただけであった。それが、冗談などではないと語っている。問い返すことさえ躊躇われるような静かな微笑みが、真実であると告げていた。
「今はまだ魔界に馴染んでいないから、それほど力ははっきりとしていないけれど。今後、その力が魔界に影響を及ぼす恐れは大いにあるわ。そして、貴女の力を欲する者が必ず現われる」
黙り込むアキに、ミゼリアは容赦なく言葉を紡ぐ。
「貴女の身を守る為にも、この城で匿うのが一番なの」
何故自分に魔力が宿っているのか、何故狙われなければならないのか、分からないことが沢山ある。問いたいことも、同じくだ。
納得していることがあるとすれば、それはここが魔界であるという事実。ミゼリアの発言を嘘だと反論出来ない程、アキは自身が召喚された事実を受け入れている。
しかし、だからと言って匿うことを認める理由にはならない。ね? と、同意を求めるように首を傾げるミゼリアに、アキは心中で渦巻く蟠りを誤魔化しきれないでいた。刻まれる眉間の皺を今更隠すことも出来ない。不快感を露にしたまま、アキはミゼリアを見据えて答えた。
「心配して下さるのはありがたいですが、遠慮します」
「……何故?」
問うミゼリアの緋色の瞳は、見透かすような輝きを放っている。逸らしてしまいそうになるのを堪えて、それでもアキは理由を告げた。
「それは屋敷に、居たいから、です」
「何故、屋敷なのかしら。この城の方が警備は堅いし、貴女が狙われる心配も少ないわ。それに、貴女は人間界に戻ることを拒否していると聞いたわ。だったら、屋敷で暮らすも城で暮らすも同じこと。ならば、より安全な城で匿われた方が貴女の為になるのではなくて?」
魔界に召喚されたばかりであれば、そうかもしれないと納得していたかもしれない。しかし頭を縦に振ることが出来ないのは、はっきりとした理由があるからだ。
「皆と、離れたくないからです」
「リゼルヴァーンと離れたくないから、でしょう?」
間髪を容れず口を開くミゼリアの言葉に、どくりと心臓が跳ねた。ミゼリアは気づいている。知っている。
それは、アキの素直な本音だ。リゼルヴァーンと離れたくない。一緒に居たい。それが、拒む一番の理由なのだ。
「私は貴女を責めているわけではないのよ」
ミゼリアの微笑みに、アキは自分の表情が強張っていたことに気が付いた。離れたくない。その想いが淀みなく、隠れることなく溢れ出る。
皆と離れたくない気持ちも嘘ではない。それも確かな、嘘偽りのない真実だ。しかしそれ以上に胸を、心を支配しているのはリゼルヴァーンへの想いであった。何物よりも大きく、何物にも代えがたい存在であるリゼルヴァーンと、離れてしまうと想像しただけで胸は苦しく、引き裂かれそうになるのであった。
「リゼルヴァーンのこと、好きなのね」
確信を持って発言するミゼリアに、アキは驚き戸惑いながらも頷いた。ここまで来れば隠し通せるものでもないし、隠すつもりもなかった。ミゼリアの言葉が真実だからだ。
もしも嫌な顔をされても、リゼルヴァーンへの想いを否定されても、アキは諦めないつもりだった。直ぐに諦めきれるような気持ちではないし、簡単に捨てられるはずがない。
神妙な面持ちで見つめるアキに、ミゼリアは嬉しそうに笑んだ。皮肉っているわけでも、蔑んでいるわけでもない。垂れる目尻に緩む頬、僅かに上がる口角が、優しさを含んでいる。
「ありがとう、アキさん」
何をもってしてありがとうと言っているのか、ミゼリアの内を完全に量ることは出来ないが、否定はされていない。アキにとってその安堵は大きかった。
もしかしたら、わかってくれるかもしれない。屋敷に住むことを許してくれるかもしれない。
ほっと息を吐くアキに、ミゼリアが微笑した。
「やはり、貴女はこの城で匿うべきだわ」
アキの安堵は、危惧へと一変した。




