03
ゆっくりと開く扉とともに、アキの鼓動も早くなり、否応無しに緊張が身体中を駆け巡る。開く扉の隙間から、圧倒的な力を感じた。言葉では言い表せないような“気”が、開いた扉から流れ込んでくる。
もしかしたら、これが魔力というものなのだろうか。だとしたら、相当な力であろう。あまりの力の勢いに、アキは飲まれてしまいそうになる精神を何とか持ち堪えさせた。思わず息が荒くなり、肩を大きく上下する。それに気付いたリゼルヴァーンが、ぽんとアキの肩に手を置いた。
大丈夫だ。そう言っているのだと分かると、すっと気分が落ち着き、先程までの恐怖にさえ似た緊張は消え去ってしまった。にこりと笑って謝意を表すと、同じく笑い返すリゼルヴァーンに勇気を貰う。
この先に女王が居る。意を決して、アキは謁見の間へと歩みを進めた。
扉の入り口から一直線に黒い絨毯が敷かれ、何処までも伸びている。最終地点は王座だ。広間の奥に、二つの玉座が並んでいる。王座に近い位置で、絨毯を挟んで左右交互に、何人かが直立した状態でこちらを窺っていた。先程見かけた黒装束の人々や兵士達とは明らかに違う。高位の役職に就いている者であろうことは服装が示していた。大臣や近衛騎士かもしれない。それぞれ装束や甲冑に模様が施されており、美しいまでに飾られたその模様が特別なのであると見れば分かった。
向かって左側の玉座に、長い黒髪の女性が座っているのが分かった。裾の伸びた漆黒のドレスが彼女の黒髪と混ざり合い、白い肌が浮き彫りになって見えた。
彼女が女王。そして、リゼルの母親。
「こちらへ」
女王の隣に佇む老人が声を上げる。その声に従い、リゼルヴァーンを先頭にして近づく。女王の前までやって来ると、リゼルヴァーンは片方の膝を床に付き、恭しく頭を垂れた。同じく深々と頭を垂れるラースとロネットの二人に倣い、アキも慌てて頭を下げた。
「リゼルヴァーン、只今戻りました。母上」
「よく戻ってきました、リゼルヴァーン。待っていましたよ」
そっと面を上げると、女王は穏やかな笑みを浮かべてリゼルヴァーンを見つめていた。慈愛に満ちた微笑だけで、リゼルヴァーンが愛されていると確信できる。
その微笑みを見て、アキは自分の中で湧き上がる、寂しさとも切なさともとれる気持ちに気付き戸惑ってしまった。何故、こんな感情を抱くのか。――何故、思い出すのか。
気付けば、女王の視線がアキを捉えていた。美しい緋色の瞳の中に、探るような、計るような輝きを放っている。ともすれば吸い込まれてしまいそうな、不思議な感覚がアキを襲った。
「初めまして、アキさん。リゼルヴァーンの母宮、ミゼリアと申します」
にっこりと微笑む瞳には、もう先程の色は消えていた。優しげな目が、リゼルヴァーンととても似ていた。
慌ててもう一度深く礼をして、アキは口を開いた。
「は、初めまして! アキ、です」
「そんなに緊張しなくていいのよ。楽にしていてちょうだい」
可愛らしく笑う姿はとても一児の母親とは思えないほどに可憐であった。見た目だけではラースやロネットと変わらない。ミゼリアには気品だけでなく、人を惹き付ける魅力が備わっているのだろう。ミゼリアの一言で緊張が少しほぐれたのもその為かもしれない。
「ところで、リゼルヴァーン。貴方、力の方はどうなの?」
リゼルヴァーンがびくりと肩を揺らし、動揺している様が窺えた。しどろもどろに何か呟いている。あまりの怯えように不思議に思っていると、女王の隣に佇んでいた老人が身を包む黒装束を引きずる様にして、一歩リゼルヴァーンの前に近づいた。
顔に刻まれた深い皺が、彼の厳格な雰囲気を更に深めている。顎に蓄えた長い髭と長髪は濃い灰色であったが、天井から吊り下げれられたシャンデリアの光に反射して銀色に輝いていた。鋭い眼光がリゼルヴァーンを射抜いている。
「はっきり口を開いて、大きな声で答えなさい、リゼルヴァーン様」
決して怒鳴っているわけではないのに、強い力で押さえ込んでしまう様に発する声音にアキまで竦んでしまう。
「う、あ、あの……か、変わりない」
「……変わりない?」
睨むような視線に、リゼルヴァーンは怯えを更に強めた。苦手意識があるのかもしれない。ここまで竦んでいる様子は見たことがなかった。
「現状維持であるということは、悪化していないということです」
リゼルヴァーンの後ろに佇むラースが庇うように口を開いた。隣のロネットが慌ててラースの装束を引っ張り止めに入ったが遅かったようだ。
「悪化もしていなければ、成長もしていないということだろう。ラース、お前は一体何をやっているのだ。陛下直々にリゼルヴァーン様の教育を任されているというのに、この体たらくぶり。目に余るぞ」
「お言葉ですが、その私を育てたのは貴方であるということをお忘れですか、老師」
二人の間に、飛び散る火花が見える。険悪な空気から、二人の仲が良いものでないことは直ぐに理解できた。一触即発の雰囲気を制したのは、ミゼリアの鶴の一声だった。
「二人とも、そこまでにしておきなさいね。アキさんだって居るのですよ」
流石にこれ以上諍いを続ける気は起きないようで、二人は互いに視線を逸らして口を噤んでしまった。女王といえど、笑顔で咎めることの出来るミゼリアが一番恐ろしいのかもしれない。
「それでは体調は良好なのね、リゼルヴァーン」
問いかけるミゼリアに、リゼルヴァーンは老人を窺いながら頷いた。
「良かった、安心したわ。なら、リゼルヴァーンは早速準備にとりかかってね。ロネット、一緒にお願いできるかしら?」
ミゼリアの問い掛けに、「了解しました」と答えてロネットは頭を下げる。
「母上、それならアキも……」
「いまからアキさんとお話しようと思っていたところなの。リゼルヴァーンは先に行きなさい」
有無を言わせぬ物言いに戸惑いながらも、リゼルヴァーンは了承した。
ロネットとともに謁見の間を出る時、リゼルヴァーンが心配そうに振り返ったので、アキは精一杯の笑顔を向けた。それに安心したようにリゼルヴァーンも笑い返したので、アキの中にあった僅かな不安も消え去ってしまった。
「私とアキさん、それにラースとディルク以外は、部屋を出て行ってもらってもいいかしら」
「しかし、陛下!」
ミゼリアの静かな言葉に、その場で整列していた騎士や大臣達は慌てたように抗議の声を上げようとしたが、ミゼリアの美しいまでの笑顔に黙り込んでしまった。
「……いいわね?」
渋々頭を下げて謁見の間を後にする大臣達を見送ってから、ミゼリアは深い溜息を吐いた。
「堪らないわね、いつものことだけれど」
疲労する様子に、女王という位も中々に骨の折れるものなのだろうと推測する。推し測るアキの視線に気付いたのか、ミゼリアは微笑を浮かべて小首を傾げて見せた。
「改めて。アキさん、貴女に会いたかったわ。お話させてくれるかしら?」
リゼルヴァーンと瓜二つの笑顔に、アキは思わず頷いていた。




