02
人懐っこい笑顔を浮かべる少年は、アキと同い年くらいの見た目であったが、悪魔であろう彼は随分と年上であるのだろう。黒の装束を自分なりに改造しているのか、短くなった裾からはブーツが覗き、袖も大きく捲り上げている。寝癖のように跳ねる栗色の短髪が、彼に良く似合っていた。
「心配したんすよ、いつまで経っても来ないから。何故か俺が老師から小言食らったんで、ちょっとは労わって下さいね俺のこと」
彼に近づき、背中をばしばしっと勢いよく叩いたのはリゼルヴァーンで、少年同様嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「久しぶりだな、ナジ!」
「ホント、久しぶりっすねーリゼル様。相変わらずの色男っぷり、羨ましいっす!」
「お前も相変わらずだな」
リゼルヴァーンに笑顔を向ける少年を見つめていると、不意に視線がかち合った。会釈するアキに気付いたロネットが、少年を呼び寄せる。軽やかな足どりでやって来た少年は、一礼を返すとにっこりと微笑んだ。
「貴女がアキさんっすね。俺はナジです。この二人の部下みたいなもんです。どうぞよろしく」
両側に佇むラースとロネットを、掌を翻して指し示す。つられて「どうも」と言ってから、アキは気がついた。二人の部下ということは――
「もしかして、ここって……」
アキの言葉に、ナジは不思議そうに首を傾げてから両隣を交互に見つめた。
「ここがどこだかちゃんと教えてなかったんすか?」
「だって、言わない方がドキドキするじゃない?」
楽しそうに答えるロネットに、ナジはぽんと手を打って「なるほどなあ」と感心する。
「アキの予想通り、ここは城だ。さっきの石像の方陣から、この城の方陣へ渡ってきたんだ。要するに、瞬間移動だな」
と、リゼルヴァーンが説明する。
恐らく、テレポーテーションやワープといわれるものと同じであろう。SF小説や漫画、ゲームの世界ではよくある話だが、それを実際に体験する日が来ようとは誰が想像できただろうか。今更ながら、アキは空間を渡ったという事実に興奮し、震えが起こった。ここが魔界であることは十分に承知しているが、あり得ない経験をしたことによって、改めてそれを思い知らされる。
「あ、そうそう。ラースさん」
ナジの呼びかけに、ラースは目線だけを返す。冷たい視線にも臆することなく、ナジは照れくさそうな微笑を浮かべていた。
「ルムちゃん元気っすか? なかなか会う機会が無いんで、今度是非屋敷に――」
「ナジ」
遮る口調が、鋭い険を含んでいる。静かに燃え上がる炎がラースの背に見えた。
「沈められたいのでしたら……どうぞ?」
うっすらと黒い笑みを浮かべるラースに、アキはぞっとした。妹のこととなると容赦ない。双子を可愛がるラースにとって、いまの発言はどうやら癇に障るらしい。慣れているのか、それとも彼の性格なのか、当のナジは変わらぬ笑みを浮かべていた。
「流石ラースさんっすね。やっぱり遠慮しときます」
「そんな事よりも、早く謁見の間に出向かなくてはならないのでは? ナジは老師の小言を、また食らいたいのですか?」
「いやー、それも勘弁っす」
笑顔の中にも冷や汗を浮かべて、ナジは慌てて扉に向かって走り出した。壁と同じく石造りの重厚そうな扉が一つ、部屋の奥に鎮座している。幅広である扉は十分に存在感があった。ナジは後ろを振り返り「早く早く」と叫んでいる。アキ達は急かされるまま、奥の扉へと向かった。
部屋を出ると回廊が続いており、周囲の庭には草花が生い茂っていた。大輪を誇らしげに披露する紫色の花に、ひっそりとしかし優雅に、花弁をドレスのように翻す藍色の花。剪定された樹木には、結実する赤い果実が見事に熟れている。オレンジ色の月と星屑が、更にその景色に彩りを与えていた。
思わず足を止めて見惚れるアキの耳に、リゼルヴァーンのくすりと笑う声が聞こえた。
「気に入ったか?」
「うん、すごく綺麗ね」
「そうだろう。まだ他に自慢の庭園もあるぞ。そこにはもっと沢山の花や木が植えられている」
嬉しそうに話すリゼルヴァーンの瞳が輝いている。屋敷に住んでいるとはいえ、元々リゼルヴァーンの居場所は城なのだ。生まれ育ったこの場所を大切に想っているのが、表情から有り有りと伝わってくる。
「リゼル様ー、アキさーん! 行きますよー」
ラースとロネットの隣で、先を行くナジが呼んでいる。「分かった」と返事をして、リゼルヴァーンがアキに呟いた。
「後で庭園に連れて行ってやる」
言って直ぐさまアキの手を取り、三人の許へ引っ張っていく。返事をするタイミングを失って、アキはリゼルヴァーンの背を眺めながら、ただ手の温もりを感じていた。
◇ ◇ ◇
アキ達と同じく黒の装束に身を包む人、銀や銅の甲冑を着た兵士、エプロンドレスの女中。回廊から広間に出ると、城で働く者達が忙しなく行きかっていた。
フードを被っている為、分かり難いのだろうか。リゼルヴァーンであると気付いた者だけが、すれ違うたびに恭しくお辞儀をしていく。
こんなものなのかな。
一礼しただけで言葉を交わすことなく離れていく兵士の後ろ姿を見ながら、アキは釈然としない気持ちを抱いた。魔王であるリゼルヴァーンが帰城しているというのに、迎えはナジ一人きり。出会っても礼を返すだけで、口も聞かずに去っていく。
大勢の迎えと共にそうそうたる面子が出迎え、王の帰りを喜ぶ。王の帰還といえばそんなイメージを抱いていただけに、この対応には驚きと一抹の不安が残った。
しかし、先頭に立つリゼルヴァーンは堂々と広間を突っ切っていく。威厳ある背中は、十分すぎるほど王の品格を備えていた。
何があっても、リゼルを信じてついていく。それだけだ。
ぎゅっと拳を握り締めて、アキはリゼルヴァーンの背中を追った。
「それじゃ、俺は一旦戻りますね」
一人では到底開扉する事が出来ないだろう巨大な扉の前までやって来ると、ナジはくるりと踵を返し、「また後で」と言い残して引き返していった。
ここが謁見の間なのだろう。巨大な扉は同じく石で出来ており、石像にあった模様と同じようなものが円になって描かれている。その円の内側にも二重三重と模様が描かれており、これが呪文であるのなら部屋を厳重に守る為のものなのかもしれない。事実、扉には取っ手が何処にもついていない。押すタイプではないと察しはつく。
どうするのだろうと思っていた矢先、扉が重い音を立て始めた。地響きのような音を響かせて、扉がひとりでに少しずつ開いていく。
驚きのあまり半歩後ずさるアキの耳に、凛とした女性の声が響いた。
「入りなさい」




