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魔王様とワルツを  作者: 星埜ロッカ
第六章 初めての外界、新たなる出会い
36/60

07

 必死に通りを駆けるリゼルヴァーンは、僅かな変化に気が付き足を止めた。

 しかし、まだ確証はない。その為にも、意識を集中させる必要がある。リゼルヴァーンは深呼吸を繰り返し、息を整えた。

 もしかしたらただの勘違いかもしれない。自分が気配を探ることで見つかるとは到底思えない。

 だが、ただ闇雲に走り回っていても、見つかる可能性は限りなく低い。であれば、確認するためにも試してみる価値はあるのではないか。

 そう自分に言い聞かせ、リゼルヴァーンは静かに目を閉じた。雑踏のざわめき、街と夜の匂い、肌を滑る風の感覚。それら全てを遮断して、気配を探ることだけに集中する。アキの気配だけを感じる為に、全身を研ぎ澄ませる。

 ――そして、

 居た。見つけた。この気配は間違いなくアキのものだ。

 気配は言葉で言い表すことが難しい。胸に響く、真っ直ぐな音と光の旋律。それが、アキの気配だとリゼルヴァーンは確信する。確かな根拠は無かったが、絶対的な自信があった。

「無事で居てくれ、アキ」

 リゼルヴァーンは気配のする方向へと全速力で駆けた。


◇  ◇  ◇


 ゆっくりとした優雅な動作で、青年はアキの肩にかかる黒髪を掴み上げる。そしてそれを指に絡めさせながら、感触を楽しむように弄ぶ。逃げようにも反対の腕が邪魔をして身動きがとれない。

 頭から伝わる冷たい壁の感触で、いつの間にかフードが外れていたのだと今更ながら気が付いた。冷え冷えとした石壁の感触は衣服の上からも伝わり、アキの肌を震わせる。しかしそれだけが震えの原因でないことは、アキにも分かっていた。

 穏やかな笑みを浮かべているのに。髪に触れる指も優しいのに。――なのに怖いと感じてしまう。

 先程まで感じていた安心感は消えてしまっていた。胸にはただ、不安と恐怖だけが残った。

 月の光を浴びて煌く瞳が、じっとアキを見つめている。やはり逸らすことが出来ず、アキもまた青年を見つめ返した。

「震えているね。怖いのかい?」

 優しい口調は変わらぬままだが、その笑顔にぞくりと身体が震える。

 本当に笑っているのかが分からない。口角を上げる唇は笑んでいるのに、瞳は一向にその様子を見せない。

 躊躇いながらも言葉を発しようと開いた口が、音を出さずにそのまま固まった。髪を弄んでいた青年の右手が移動し、アキの顎を取り上向かせる。そして唇に、親指でゆっくりとなぞる様に触れる。

「どうしてこんなことをするのか? って顔をしているね」

 答えられぬまま、アキは青年を見つめた。その様子に青年は満足そうに目を細め、そして更に顔を近づける。アキは反射的に仰け反ったが、後ろの壁の所為でそれも上手くいかない。必然的に青年の端麗な顔が眼前に迫る。青年は唇を薄っすらと開いてから言葉を紡いだ。

「やっぱり可愛いね、キミ」

 最早息をするのも恐る恐るであったが、アキはそれでも青年を見つめ続けた。正確に言えば、逸らすことが出来なかった。

「とっても可愛い。だから……」

 そこまで言って、青年の表情に変化が現われた。さっきまでの穏やかな笑みは跡形もなく消え去り、次には瞳が冷たい光を放っていた。どこまでも凍てつくような眼差しがアキを貫く。

「だから、苦しめたくなるんだよなあ。痛めつけて、叩きつけて、もう二度と這い上がれないくらいに深く。何処までも深く、苦しめたい」

 ……この人は一体何を言っているの?

 得体の知れない恐怖が、じわりじわりとアキの身体を蝕んでいく。逃げ出したいのに、身体を囲う青年の腕と、竦んだ足の所為で動くことも出来ない。それが更にアキを恐怖へと駆り立てる。

 青年の、アキの唇に触れる親指が少しずつ力を増す。触れる程度だった指が、唇の弾力を押し返すように食い込んだ。爪を立てているのか、唇に鋭い痛みを感じる。

「痛っ!」

 声を上げたと同時に、生温かい液体が唇から滲んだのが分かった。確認しなくとも血が流れたのだと気付く。滴る血の感触と唇のひりつく痛みが心地の悪さを増長させる。

「ごめんね。痛かったかい?」

 気遣う台詞を言いつつも、その表情は変わらない。ようやくアキの唇から親指を離すと、青年は血で塗れたそれを躊躇うことなく舌で舐める。

「だけど、キミがいけないんだよ? 可愛いから、傷付けたくなるんだ」

 青年の冷酷な表情に、アキは言葉を失った。

 怖い。逃げなきゃ。でも、どうやって?

 震える身体をどうすることも出来ない。それでも、拳だけは握り締めていた。全てを恐怖に埋め尽くされたわけではない。その反抗の表れでもあった。

 隙を見て、この場から逃げなきゃ。このままじゃ、何をされるか分からない。それに、帰らなきゃいけない。私を捜しているはずの三人の許へ。――リゼルの許へ。

 覚悟を決めると、アキは身構えた。両の目は青年を見据えたまま、恐怖で震える身体を何とか奮い立たそうと歯を食いしばる。

 それを見た青年が、「くっ」と喉を鳴らした。愉快だと言わんばかりに肩を震わせ、表情を歪ませ、笑っていた。

「いいね、その表情。最高に素敵だよ。ますます苦しめたくなる」

 気圧されそうになるのを、拳を握り締めることで必死に絶えた。気付くと、青年が至近距離まで近づいていた。驚く暇もなく、耳元で囁く。

「今日はここまでかな。……今度また、会えるといいね」

 囁かれた次の瞬間――

「アキ!」

 焦がれた声が耳に届く。振り向くと同時にリゼルヴァーンに抱きしめられた。

「良かった、アキ! 良かった……!」

 苦しくなるほど抱きしめられて息が詰まる。そして嬉しくて、泣きそうで、息が詰まりそうだった。

 名前を呼ぶと、一層きつく抱きしめられた。その力の強さで 酷く心配していたのだと分かる。全身に伝わるリゼルヴァーンの温もりに、胸が高鳴る。

「リゼル、あの、ね……」

「何だ?」

 抱きしめたまま優しく問いかけるリゼルヴァーンに、アキはやっとの思いで口を開いた。

「く、苦しい……」

「ん? あ、す、すまん!」

 ようやく気付いたリゼルヴァーンが急いで手を離すと、開放されたアキは深呼吸を繰り返す。そしてやっとリゼルヴァーンと顔を見合わせ微笑み合った。しかし、アキにはまだ気がかりなことがある。

 怖々と辺りを見渡すアキは愕然とした。さっきまで直ぐそこに居たはずの、アキの目の前に居た青年が、音も無く消え去っていた。

「さっきまで居たのに」

「どうした? 何かあったのか?」

 呟くアキにリゼルヴァーンは心配そうに問いかける。 咄嗟に口を開こうとして、噤んだ。

 リゼルヴァーンは多分、あの青年を見てはいないのだろう。だから疑問符を浮かべて首を傾げているのだ。

 あの青年のことを話してしまっていいだろうか。心配をかけないためにも本当は話した方が、最終的には良いのだろう。その方が正しい選択だと理解している。

 しかし、躊躇われた。あの青年に魅せられていたのは確かだった。最後には恐怖があったにせよ、それでもまだ気になってしまう。そんな気持ちを抱いてしまったことが恥ずかしく、許せない。リゼルヴァーンのことを好きだと自覚した直後であるのに。 それが、アキの口を噤ませてしまった原因であった。

 何故こんな気持ちになるのか分からない。あれ程の恐怖を味わっておきながら、それでも尚、あの青年のことを信じたいと思っている自分がいるなんて。

 不意に、リゼルヴァーンがアキに手を伸ばす。驚きに一瞬怯んだが、唇を拭う指の優しさに身を委ねた。血を確認するリゼルヴァーンの表情は、怒っているような悲しんでいるような、暗い色を宿していた。

 そして気付く。唇に感じていた、あのひりつくような痛みが消えていることに。自分で触れて確かめると、確かに傷が消えていた。あの時、確実に傷つけられたはずであったのに。

 唇を押さえ動揺するアキに、今度は優しく包み込むようにリゼルヴァーンが抱きしめた。抱かれていることが心地良いと素直に感じることが出来た。

「話したくなった時に話してくれ。とにかく、無事で良かった」

 その言葉に、アキはこくりと頷き、リゼルヴァーンを抱きしめ返す。リゼルヴァーンの温もりを、優しさを噛み締めながら。

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