05
気付くと、リゼルヴァーンは表通りの真ん中で一人きりになっていた。
アキの姿が見当たらない。左右前後、隈なく見渡すがそれらしい人物を発見できない。人ごみの中でも長身である為、見通すことは簡単であったが、肝心のアキが何処にもいない。
そのことが、リゼルヴァーンの心を重くした。不安が一気に駆け抜け、じわりと流れる汗が頬を伝う。
「アキ……!」
何をやっているんだ、自分は。どうして一人にした。あれ程、心配だと口にしておきながら何て態だ。
後悔しても何も変わらないと知りつつも、それでも後悔せずにはいられない。遅すぎた気付きが、段々と怒りに変わっていく。
噛む唇から、鉄の味がした。痛い、とは思わない。それ以上の怒りが、リゼルヴァーンの中で沸き起こる。
いつだって遅すぎる。だから、大切なものを守ることさえ出来ない。何も変わっていない。あの時から、ずっと。同じ二の舞は御免だ。通り過ぎていく事態に気付かず、後で悔やむのはもう沢山だ。
握る拳が痺れていたことにも気付かず、リゼルヴァーンは一心不乱に人ごみの中へ分け入った。
◇ ◇ ◇
――違った。
リゼルじゃなかった。掌の感覚は、似ていたのに。
触れられたのは一瞬であったが、確信があった。この手はリゼルヴァーンであると。いつか手を繋いだ時に感じた温かさや、肩に触れられた時に感じた柔らかさが同じの、優しい掌であった。
だから余計に驚いてしまったのかもしれない。
「もしかして、がっかりさせてしまったかな」
目の前の青年は優しげな口調と表情で、アキを気に掛けているのが分かった。
そこでやっと、自分が無礼な態度をとっていたことに気がついた。まだ一言も礼を口にしていない。
「ごめんなさい! 人違いでした!」
頭を下げるアキに、青年は「大丈夫だから顔を上げて」と優しく囁く。見つめるとまたにこりと微笑んだ。
「誰か探しているの? さっきからきょろきょろしていたけれど」
それで肩を叩いたのか。もしかしたら心配してくれているのかもしれない。
そう思ってしまうのは、彼が纏う雰囲気が、穏やかで柔らかいものだからだろうか。
「仲間と逸れてしまって」
「そうじゃないかと思たよ。キミ、必死だったからね」
くすりと笑う青年に不快感は起きない。嫌みのない笑い方は、好感が持てた。
「俺も一緒に捜してあげようか?」
思ってもみない申し出に、アキは一瞬たじろいだ。
本当に信頼できる人物だろうか。確かに、彼からは人柄の良さが窺えた。三人を捜す最中に声をかけてくれたのも、彼だけであった。
ふっと、思わず青年を見つめた。錆色のローブをポンチョのように着こなす様は決して派手ではないのに、何処か目を引きつける。覆う衣服の上からでも、すらりとした身体つきであることが窺えた。
それに、とても整った顔立ちをしている。下がり気味の目元に、長い睫毛、鼻筋の通った容貌は美形と呼ばれる部類に確実に入るだろう。リゼルヴァーンに負けず劣らずの端麗な顔立ちであった。
青年は風に揺らめく髪を押さえながら穏やかに微笑むと、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「駄目かな?」
少し悲しむように眉尻を下げる笑顔に、慌てて首を振る。それを見て、青年は嬉しそうに目を細めた。
「良かった、断られずにすんで」
「あの……何で一緒に、捜してくれるんですか?」
さっき初めて出会った相手にここまで尽くすのは何故なのか。アキにはそれを推測することが出来ない。
単なる出来心? それとも、何か企んでいるの?
屋敷を出発する時にラースやロネット、それにリゼルヴァーンから口を酸っぱくして言われたことを思い出した。
悪魔に声をかけられても返事をしたり、ましてついて行ったりしてはいけない。
そんな小さい子に言い聞かせるようなことはしないし、大丈夫。自分には関係ない。
そう思っていた。思っていただけに、その言葉を早くも裏切ってしまっていることに、少し罪悪感を抱いた。
「んー……何でだと思う?」
質問を質問で返すのは卑怯だと思いつつも、青年の瞳の優しさに、そんな思いも消え去ってしまう。
「分かりません」
「そっか。分からないか」
笑う青年とアキに、一陣の風が吹き抜ける。靡く髪の毛を必死に押さえつけながら、アキは自分に降り注がれる視線に気が付いた。
顔に纏わりつく橙色の髪を気にもとめず、ただじっとアキを見つめている。覆う髪は青年の表情を隠し、僅かに見える瞳はアキを捕らえて放さない。動くことを許されないような視線に、アキもただ青年を見つめた。
笑っているの? それとも――
掴みきれない彼の表情にどくりと心臓が跳ねた。鼓動の律動が早まるにつれ、何も考えられなくなる。
そして、
「キミに一目惚れしちゃったから」
青年の言葉に、我に返る。
今、何て言った? 一目惚れ?
言葉の意味を理解するまで数秒呆けた。その様子を、元通りになった髪の毛を指で透かしながら、青年が笑顔で見つめた。
一目惚れ。その言葉を聞いて、そう言えばリゼルヴァーンにも言われたことがあったなと思い出した。
初めて会った時に言われたんだよね。それに、嫁になれとも言われて……
そこまで思い返して、一気に頬に熱が宿った。よくよく考えて、物凄いことを言われていたことに気付く。リゼルヴァーンへの好意を自覚している今だけに、その言葉は強烈にアキの心を揺さ振った。
慌てて記憶を振り払おうとして、青年の視線に気付いた。楽しむような視線に羞恥が込み上げ、咄嗟にそれをかわそうと口を開く。しかし案の定、思うようには動いてくれず、零れたのは意味のない言葉だけだった。
「キミ、俺の言葉に動揺したんじゃないよね。何か思い出したのかな」
見透かされていることに、更に顔が赤くなる。戸惑うアキに、青年は楽しそうにくすくすと笑い声を上げながら近づいた。そしてアキの肩にかかる髪の一房をゆっくり掴み上げると、慣れた手つきで唇を落とした。まるで童話の中の王子様のように。
「可愛いね」
細められた目がにやりと笑う。
「か、からかわないで下さい」
咄嗟に身を引くアキに、青年は名残惜しそうに掴んでいた髪を離した。
「からかっているわけでは、なかったんだけど」
じゃあ、一体どういうつもりなんだろう。からかう以外でこんなことをする意味が分からない。
思わず眉間に皺が寄るアキに、青年は明るく笑う。
「本当に可愛いよ、キミは」
青年は自然な仕草でアキの手をとると、軽く繋ぐ。びっくりして見上げると、青年は変わらぬ笑みを披露した。
「ほら、捜しに行こう」
一方的に手を引く青年に怯みながらも、その手を振り払うことが出来なかった。
振り返った笑顔に、じわりと胸が熱くなる。穏やかな笑顔はアキの心を振るわせた。
何でだろう。初めて会ったはずなのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。懐かしいような、焦がれるようなこの気持ちは一体……
疑問や疑念は当然あったが、それ以上に青年に魅せられていた。優しく、紳士的な態度は好感が持てたし、何より奸悪な雰囲気も感じられない。 本当に親切心から手助けしているのなら、それを断ってしまうのは良心が咎める。
そう自分に言い聞かせ、アキは青年に身を委ねた。こうすることが自然なのだと、納得させるように。




